第27話 バルコニーの密談
「あの、こういう場で二人きりは……」
淑女教育では、人目のない場所で男女は二人きりになるべきではないと教育される。
「周囲には他の男女もいるだろう」
セドリックが言うように、暗がりのバルコニーには何組かの男女二人が寄り添っていた。アナベルの受けていた淑女教育と、実態にズレはあるのかもしれないが、アナベルとしてはセドリックと妙な噂を立てられると困る。
「彼らと私たちは違います」
「……従僕を呼ぶ」
そういうと、少し離れた位置で待機していたセドリックの従僕が二人の傍に控えた。セドリックはアナベルの横に立ったが、こぶし二つほどの距離を空けてくれた。ローズの香水だろうか。夜風に乗って、セドリックから甘い香りが漂った。先ほどまでは香っていなかった。
(庭園のときもそうだった。ローズ様とのダンスも、身体が密着していたし……。セドリック様にとっては普通なのかもしれないけれど)
アナベルは、セドリックの横顔をそっと盗み見た。
(手を伸ばせば触れられるけれど、このくらいの距離が私とセドリック様はちょうどいいわ)
アナベルの視線に気が付いたのか。セドリックが、アナベルの方を向いた。セドリックの青い瞳に、自分の心の内を見透かされるような恐怖を感じた。が、アナベルはすぐに平静を装った。
「ローズ様は何を?」
バルコニーに連れて来たということは、何か分かったと言うことだろう。
「ローズは君のことも、化粧水のことも、知っていた」
「私のことも……?」
意外だった。第一王子派のブラッドフォード伯爵家は、第二王子派の筆頭のオブライエン侯爵家との接点は薄い。茶会や夜会で一緒になったとしても、直接のやり取りはない。
(ローズ様が関わりの薄い令嬢の侍女まで把握している……?)
アナベルが訝しむと、セドリックは頷いた。
「はっきり言って変だ。あのローズ嬢が、そんなことに興味を持つとは思えない。化粧水のことも、俺がエイムズ伯爵の名を使ったことも分かっているだろう。何より、コーディリアを自死と決めつけて話していた」
「……」
「コーディリアの死因は明らかになっていない」
「ローズ様にとって、自死と言われるのは避けたいはずなのに、なぜ口に……?」
自死となると婚約解消が原因だと世間に結びつけられる。理由の一端がローズとなれば、ダメージはあるだろう。だとしたら、不明のままにした方がよいはず。
「しかも、毒殺かとも聞いてきた」
アナベルはその言葉に眉間に皺が寄った。コーディリアの死の状況は、関係者以外には秘匿されていた。毒殺のことは、知られていない。
「ローズも馬鹿ではない。そこまで語っても俺たちには何も調べられないと確信しているのかもしれない」
馬鹿にしているということだろうか。アナベルは、自信満々なローズの姿を思い出し、胃の辺りがムカッとした。
「こちらの動きは把握している、という牽制だな」
今回はわざわざローズから声をかけてきた。その可能性は高い。
「ただ一点」
セドリックは眉をあげた。
「エイムズ伯爵令嬢の侍女に、こちらが気付いた件は予想外だったのかもしれない」
「え?」
「侍女のことを聞いたとき、わずかに脈が早まった」
「脈……」
「ああ、話しながら彼女の手に触れて、脈を確かめたんだ」
「手に触れて」
「すぐに扇で顔も覆っていた。触れられたくない話題だとすぐに分かったよ。案外分かりやすい女性で助かった」
セドリックはニヤッと笑った。アナベルはそんなセドリックに、思わず冷たい視線を向けてしまった。
(そんなことを考えて、いつも女性に触れているのかしら?)
「え? なんでそんな顔? 侍女のことが何かヒントになりそうだと分かったんだから、まあ悪い話じゃないだろう」
「……そうですね」
狐と狸の化かし合いのような話だが、相手の弱みを見つけられたのは不幸中の幸いだ。もちろん、アナベルだってそれは分かっている。嬉しいと思う反面、仕事だと分かっているのに、モヤモヤする自分が不思議だった。
「エイムズ伯爵令嬢の侍女のことでしたら、私の侍女仲間からも情報を得られると思いますので探ってみます」
「ああ、頼む」
セドリックは、浮かない顔のアナベルを不思議そうに見たが、それ以上は何も聞かず黙った。
「話はそれで終わりのようでしたら、さっそく前室で馴染の侍女を」
バルコニーから立ち去ろうとしたアナベルの腕を、セドリックは反射的に掴んだ。夜風に冷えたアナベルの腕に、セドリックの手の温もりが沁みた。
「すまない。すっかり冷えてしまっていたな」
セドリックは自分のコートを脱ごうと手をかけた。
「結構です」
やんわり断ろうとしたはずなのに、アナベルの口を出た言葉は予想以上に固い声音だった。セドリックは驚いてアナベルを見ている。
(……しまった)
「あの、もう大広間に戻りますので。セドリック様も、寒いでしょうし」
「……俺は君に何かをしたのかな?」
セドリックは静かにアナベルにそう訊ねた。
「……いえ。失礼な言い方になってしまって、申し訳ございません」
セドリックは、そんなアナベルの態度に自嘲気味に笑った。
「エイムズ伯爵令息とは、短時間にずいぶん仲良くなったようだが」
「……何を食べようか迷っていたら、エイムズ伯爵令息が声をかけてくださったのです。彼のおすすめが美味しかったので、少し話が弾みましたが、何か問題のある行動でしたでしょうか?」
「一人で動くなと言っただろう」
「セドリック様がおっしゃったのは、ローズ様やジュリアン様と二人きりになるなということだったかと思いますが」
段々と険悪な雰囲気になる二人に、従僕がやや困ったような顔で立っていた。
「エイムズ伯爵令息だってそうだ。何をしてくるか分からないだろう」
「エイムズ伯爵令息は、ご令嬢と違って、警戒するお相手には思えませんでした。そんなことおっしゃるなら、セドリック様だって」
(エイムズ伯爵令嬢や、ローズとべったりとくっ付いて……)
アナベルは思わず口にしそうになった言葉を慌てて飲みこんだ。
「……俺がなんだと言うんだ?」
セドリックは、真正面からアナベルを見つめていた。
(何を言おうとしたの、私は……)
セドリックがほかの女性と親しげにしていたからといって、何だというのだ。彼を責める立場など、自分にはない。そもそも、彼がエイムズ伯爵令息を警戒するのは、捜査のためかもしれないのに。アナベルは、思わず口にしかけた言葉を飲み込んだ。
アナベルはカッとなっていた自分を恥じた。黙り込むアナベルに、セドリックは「見た目は俺よりマスティフに近いかもしれないが、人間は見た目だけでは分からない」と機嫌悪そうに漏らした。
「ああいう男こそ、警戒すべき男だ」
あの人の良さそうなエイムズ伯爵令息の何を警戒しろと言っているのかはよく分からなかったが、この言い争いはとても不毛なものに思えた。
(だって、私は……セドリック様に何かを言う立場にはないもの。お嬢様の死の真相を巡って、一緒に捜査をしてくれているだけ。これは嫉妬だ。……認めたくないけれど)
「……承知いたしました」
アナベルは自分の感情を押し殺した。
「……お、俺は、君を心配して言っただけで……。君は結婚前の女性なのだし、男と二人で親しげに話すのは……一般的に、よくないだろう」
暗がりのバルコニーにアナベルを連れて来た男とは思えない発言だったが、そんなことを言っても仕方がない。セドリックは、何か言い訳するようにあれこれ言っていたが、アナベルはもう気にしないことにした。
丸い月が見える。
「セドリック様! こんなところにいらしたのね」
バルコニーにエイムズ伯爵令嬢が現れた。アナベルが見えていないかのように、セドリックへ向かって来ると、当たり前とばかりに彼の腕を抱きしめた。
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