第16話 ヒ素
「毒はグラスの中だけに入っていたということですか?」
アナベルは、セドリックから見せてもらった医師の報告書に目を落とした。
「ああ。瓶の中の赤ワインには毒は検出されなかった。それと、あの小瓶の中身も、君が言う通りただの化粧水だったようだ」
アナベルの質問に、セドリックは答えた。
「休憩室にいた王宮の使用人には再度話を聞いたが、コーディリアにグラスワインを提供した覚えのあるものはいなかった。当日証言していた通り、メインホールの方で人手が足りなくなりそちらへと向かったようだ」
「王宮の使用人以外の出入りはなかったのですか?」
「フロア警備の話では、男性の出入りは確認されていない」
ジュリアンがあの部屋に入ったことはない、ということだ。
「女性用の休憩室フロアは、男がいると目立つだろう?」
スペンサーの問いかけにアナベルは頷いた。ジュリアンはセドリックと同じくらいの背丈だ。体格的に変装も無理がある。
「コーディリア嬢が他殺と仮定すると、殺害理由があるのは、彼女との婚約解消問題を抱えていたジュリアンが最も疑わしいが」
そこまで言って、セドリックはアナベルを見た。
アナベルはセドリックが言わんとすることを理解するよう頷いた。
「ジュリアン様が、直接手を下した可能性は低いということですよね」
「そういうことだ」
「じゃあ、誰がって話なんだよな。殺人の依頼なんてそう簡単に、引き受けられない。ジュリアン周辺を探ってはいるが、確証は得られていない」
「そうでしたか」
先日洋服を返しに王宮へ行った翌日、セドリックがブラッドフォード伯爵家へ現れた。
伯爵に用事があるとは言っていたが、すぐに家に現れるとは思わず驚いていると、「コーディリア嬢の件で、医師からの報告書が上がって来た」と教えてくれた。
「明日、王宮に来られるか?」
セドリックは帰り際、そっとアナベルに囁いた。
それは周囲に聞かれないためだと分かっているのに、セドリックの香りを感じるほどの距離に、少しだけ身体が固くなる。
(変な態度を取らないようにしないと……)
昨日スペンサーと話したことで、セドリックのことは意識してはいけないと思った。
ああいう男性は、誰にでも距離が近い。
誰にでも優しい。自分だけが特別だと勘違いすると、痛い目を見る。
コーディリアの件が整理できないアナベルは、いま痛い目を見て大丈夫なほど強くない。
耳に心地よいハスキーボイスに胸が騒ぐのを無視して、平静を装った。
「コーディリア嬢の件で話したいことがあるんだ」
「午後にお伺いします」
「待ってる」
アナベルの返事に、何故かセドリックは微笑んだ。
その微笑みは、アナベルが来るのを楽しみにしているのではないかと勘違いさせる罪深いものだった。
そして、今――。
(スペンサー様も一緒にいてくれて良かった)
執務室に通されたアナベルは、セドリックとスペンサーに先ほどの説明を受けた。
(セドリック様に「あの男に固執し過ぎると、大切なことを見落とす」と言われてから、冷静に考えたけれど……)
「実行犯は女性……それと、口紅のことを考えると化粧品にも詳しい方の可能性が高いでしょうか?」
アナベルはセドリックとスペンサーを見た。
彼らも同じことを思っているようだった。
「別件だが、君が以前言っていた肌が白くなる化粧水は、ランド商会のものが流通しているようだ。品不足なのか、希少価値を出すためなのか、紹介制での販売をしているらしい」
「紹介制……。だから、私たちなんかは中々入手できないんですね」
「ああ。比較的高位の貴族女性たちの中で購入されているようで、その口利きをしているのはローズ・オブライエン侯爵令嬢の可能性が高い」
その名に、アナベルは胸がザワッとした。
「ローズ・オブライエン……」
「証拠はないが、嫌な組み合わせだとは俺も思った」
セドリックは、不審そうな顔をするアナベルに同意した。
「しかも、ランド商会の支配人は、オブライエン侯爵家で3年前まで使用人として勤めていた男だ」
「え?」
アナベルは驚きで声が漏れた。
「侯爵家が商いで設けているなんて、矜持が許さないんだろうな」
スペンサーが呟いた。
「裏のオーナーは、オブライエン侯爵家の可能性が高い」
セドリックは頭が付いて行かないアナベルのために、はっきりそう言った。
ヒ素入りの化粧水を扱う商会のオーナーをしているということは……。
「オブライエン侯爵家はヒ素を簡単に入手できる、ということですか?」
アナベルの質問に、セドリックは静かに頷いた。
「その可能性は、十分に考えられる」
アナベルはジュリアンの新たな婚約者であるローズのことを思い出した。
「ローズ・オブライエン侯爵令嬢も、コーディリア嬢を邪魔に思う理由はあるんだよね」
スペンサーの言葉に、アナベルも内心同意していたが、どこか引っかかるものがあった。
「……どうかしたか?」
黙り込むアナベルの顔を、セドリックが覗いた。
「あ、いえ。どうかした、という程ではないのですが……。ローズ様が犯人だということにも、少し違和感があって」
「違和感?」
「ローズ様が犯人だとすると、口紅を塗り直したり、嘔吐したものを片付けたりした可能性もあるんですよね?」
「……ああ」
「お噂ではとても華やかなご令嬢のようですし、高貴な方がそう言ったことをなさるかというと……」
「しないだろうね」
スペンサーの言葉に、アナベルは頷いた。
「そうなると、少なくともローズ様ご本人とは考えにくいのではと」
「確かにな」
アナベルの話に、セドリックは同意した。
「ローズ様がどういう方かは、お噂でしか存じませんが」
「だったらさ、アナベル、ローズ令嬢にお会いしてみたら?」
「え?」
アナベルはスペンサーの提案にきょとんとした。
「セドリックさ、今度の王宮の夜会の招待状届いているんだろう?」
「まあ」
「二人で潜入して来たら?」
「は?」「え?」
「百聞は一見に如かず。彼女周辺が怪しいのかどうか、調べてみるのも悪くないだろう?」
スペンサーはそう言うと、食えない笑みを浮かべた。
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