第13話 借り物
アナベルは、セドリックに借りた男物のシャツとスラックスを干していた。
ブラッドフォード伯爵家の家計が傾いて以来、使用人が激減した。そのため、アナベルは洗濯などの下働きもしている。侍女長であるナニーも同様だ。
「アナベル、その洋服、何かあるの?」
ナニーに指摘されて、アナベルは、ぼんやりと洗濯物を眺めていたことに気が付いた。
「え!? いえ、特に、何も……。ちょっと、知り合いにお借りして」
「そう……」
ナニーはアナベルがコーディリア毒殺犯を捜していることは知らない。
「アナベル、きちんと寝られているの?」
「え? はい。一応」
「そう? お嬢様の部屋で寝泊まりしたい気持ちは分からないでもないけれど。もうそろそろお部屋も少しずつ片付けないといけないね」
「え!?」
「いつまでも、あのままという訳にもいかないでしょう?」
「……でも、まだ1カ月も経って」
ナニーは静かに頷いた。
コーディリアの突然の死から、1カ月も経っていない。
アナベルは、コーディリアが生きていたときと同様に、毎晩コーディリアの部屋で、コーディリアのベッドの脇で丸まって眠っていた。コーディリアの傍らで眠ることを許されていたのは、アナベルの侍女としての喜びだった。
「こういうときはね、葬儀をしたり、片づけをしたりすることで、少しずつ心の整理をしていかないといけない」
ナニーは優しくアナベルを諭した。
「旦那様や奥様は、この屋敷にあるお嬢様のものは、私たちで形見分けをしてくれて構わないとおっしゃってくれているから」
「はい……」
たぶんナニーの言っていることは正しい。
本当はそうやって少しずつコーディリアのことを整理すべきなのだ。
コーディリア殺害犯を捜すより、余程、今の自分がすべきことなのかもしれない。
それはアナベルも分かっている。
見上げると、青い空が高く見えた。
干した洗濯物はひらひらと風になびいている。
「今日は洗濯日和ね」
アナベルは、そういうナニーに「はい」と返事をした。
(明日にでも、返しに行かなくちゃ)
アナベルは、ひらひらと風になびくセドリックから借りた服を眺めていた。
「セドリックは、庭園にいるはずだ」
門の付近で出会った王宮騎士に訊ねると、すぐにセドリックの居場所は分かった。
王宮の庭園は、見事に薔薇が咲き誇り、甘い香りが漂う。
庭園へ向かうと、警備のための騎士が何人か立っていた。
セドリックを探して歩いていると、楽しそうな女性の声が響いた。
声の方を見ると、ぴったりと女性と寄り添うセドリックの姿があった。
エスコートというには、ずいぶんと近い距離だということは遠目にも分かった。
女性のドレスは、胸元に大きなリボンと、造花、レースが飾られている流行のものだ。
アナベルは寄り添う二人の親しげな姿に、胸がチクッと痛んだ。
『俺は君が思うほど、不誠実な男ではない』
アナベルは、セドリックのそんな言葉が頭を過った。
(じゃあ、あの人が、セドリック様の思い人ってこと?)
アナベルの位置からセドリックの表情は確認できない。が、女性の視線は、熱っぽく見えた。
あの視線にセドリックが気付かないとは思えない。
セドリックは女性の手をそっと取ると、じっと見つめて何ごとかを話している。
女性はセドリックに手を取られて、照れた顔を扇で隠しながら笑っている。
少しずつ近付きながら様子を窺っていると、セドリックは、握った女性の手の甲に軽く口づけをした。
その姿を見た瞬間、アナベルは荷物を落としそうになった。
先ほど感じた小さな胸の痛みとは違う、明らかな衝撃がアナベルの身体を貫いた。
「あなたを妻にできる男が羨ましい」
風に乗ってセドリックの声が、はっきりと耳に届いた。
(私の結婚話には、そんなこと言わなかったわ)
無意識にアナベルはそんなことを考えてしまった。
セドリックは片眼を閉じ、女性にウインクをすると「またお会いできるのを楽しみにしていますね」と、耳元で囁いていた。女性はご機嫌にセドリックに手を振ると、セドリックに指示された別の騎士が令嬢をエスコートして去って行った。
セドリックは、彼女との別れを惜しんでいるのか。
彼女の後ろ姿が小さくなるのを見送ると、急にくるっと後ろを向いた。
振り返った瞬間、背後に立っているアナベルと目が合った。
アナベルは心臓が止まるかと思った。
「アナベル!? ……どうして、ここに?」
セドリックがアナベルを見て、目を瞠った。
アナベルは動揺を隠すように、手に持つ荷物をキュッと握った。
「お借りしたお洋服をお返ししようと思いまして……」
アナベルは、セドリックをまっすぐに見て小さく微笑んだ。
「え? 洋服? あ、ああ……」
「これ、ありがとうございました。この前のことも、お手数をおかけして申し訳ありませんでした。大変助かりました。それでは失礼致します」
アナベルは手に持った荷物をセドリックに押し付けるように返すと、一気に用件を捲し立てた。すると、くるっと後ろを向いた。
「あ、アナベル、この後時間はあるか?」
スタスタと帰ろうとするアナベルの後ろから、セドリックが声をかけてきた。
アナベルは立ち止まるべきだと分かっていたが、立ち止まることができなかった。
すぐにこの場所を立ち去って、自分が何に動揺しているのか、セドリックから離れて落ち着いて考えたかった。追いかけてくるセドリックからは、いつもとは違う香りが漂った。その香りが、アナベルの気分を悪くした。
「申し訳ございませんが、今日は時間はあまりなくて。後日、予定を調整いたしますので」
コーディリアの件で、何か新情報があったのかもしれない。
本当はすぐにでもその話を聞きたい気もしたが、いまセドリックと二人は危険だと頭の中で警鐘を鳴らしていた。アナベルの気持ちを知ってか知らずか、セドリックは後ろからアナベルの肩を掴んだ。無理矢理止められたアナベルは、どこを見ていいか分からなかった。
「なんで、こっちを見ない?」
「……別に、そういうわけでは」
「じゃあ、こっちを」
「なんで、そんなこと」
「いいから」
アナベルは食い下がるセドリックの言う通り、チラッとセドリックの顔を見た。
セクシーだと言われる口元のほくろが目に入った。
口元が視界に入った瞬間、先ほどの手の甲の口づけが頭を過った。
(思い出したくないのに……)
「な、なんですか?」
「送る」
「え!? け、結構です」
「伯爵にも話がある。そのついでだ」
セドリックは譲る気がないのか。
セドリックはアナベルの手首を軽く握ると前を歩いた。
手を引かれた瞬間、アナベルは思わずその手を振り解いた。
手を振り解かれたセドリックは、振り返った。
「あ……」
アナベルは振り解いたセドリックの手を見つめた。
その手が先ほど別の女性の手に触れていたのを思い出した。
思い出すと、何故だか胃の辺りがムカムカとするのを抑えられなかった。
「じょ……女性に、急に触れるのはどうかと思います」
アナベルの言葉に、セドリックは虚を突かれたようだった。
自分の行動を恥じるように、手を引いた。
「それは申し訳なかったけど、君が逃げそうだったから」
「逃げそうって何ですか?」
「着いて来いと言っても、着いて来ないつもりだっただろう?」
「そんなこと、ありません」
何故かセドリックと訳の分からない言い争いをしていた。
(もう、なんでこんなことを……)
「アナベル、どうしたんだ?」
アナベルがセドリックのやり取りに困っていると、スペンサーが現れた。
「スペンサー様!」
(ちょうど良いわ。これ以上セドリック様と不毛なやり取りをしたくない)
アナベルはここぞとばかりにスペンサーの方へと近付いた。
「ちょっとセドリック様にお借りしていたものをお返しにあがっただけなんです」
「あ、そうなんだ」
「スペンサー、ちょっとアナベルを伯爵邸へ送って行くから」
「あ、そうなの」
「スペンサー様は、お時間ありますか?」
「え? 時間?」
「良ければ、スペンサー様に送っていただきたいのです」
「え?」
「は?」
アナベルの言葉に、セドリックの眉間の皺が深くなった。
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