エドワード・モラン 3
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こうして迎えた結婚生活は順風満帆と呼んでもいいものだった。
他国に嫁いだというのにベアトリスの順応は早く、モラン公爵家の使用人ともあっという間に仲良くなった。
エドワードは結婚とほぼ同時にモラン公爵という立場を得たが、王子でもあるので公務がなくなったわけではない。
城でも王子として執務にあたっており、ゆくゆくは兄の王太子が王位を継承したときは補佐につくことになっていた。
そのため、モラン公爵家の仕事の大半は執事に任せようと思っていたが、どうやらベアトリスはこの手のことに適性が高かったようだ。
執事の方が補佐につき、ベアトリスが公爵家の仕事をすることになった。
本当はゆったりと過ごしてほしかったが、ベアトリスは仕事をするのが好きなようで、楽しそうに書類に目を通しているのを見れば止められなかった。
これまでどろどろとした陰謀の渦中に身を置き、敵であるプリチェット公爵とその派閥の動向に目を光らせて生活してきたベアトリスにとって、きな臭さのない公爵家の仕事は楽しいらしい。
ただ少し困ったのは、これまでベアトリスが置かれていた環境ならば仕方がないが、彼女は自分から羽を休めることができないことだった。
つまり、遊び方を知らないのだ。
「ベアトリス、明日は休みなんだ。街を少しぶらつかないか。気晴らしにもなるだろうし、二人でゆっくりするのも楽しいだろう?」
結婚して十日ほどが経った頃。
夜に並んでソファに座り、ハーブティーを飲みながら夫婦の時間をすごしていたときだった。
少しはオルブライト国にも慣れてきただろうからと、エドワードがデートに誘えば、ベアトリスはびっくりしたように目を丸くした。
「街に? 二人で?」
どうしてそんなに驚くのだろうかとエドワードは不思議に思ったが、すぐにその原因に思い当たった。
ヘンウッド国で常に周囲を警戒していたベアトリスにとって、不特定多数の人間が大勢歩いている街中は最も避けるべき場所だったろう。
城内でも安心できないのに、その外が安心できる場所なはずがない。
ベアトリスはときには自分をおとりにして情報を集めていたが、かといって、本当に危険な場所を出歩けるはずはなかったろう。彼女は、ゆっくりと街中を歩き回るという楽しみを知らないのだ。
エドワードはぎゅっと胸が苦しくなった。
「二人と言っても護衛はつくし、ここはヘンウッド国ではないよ。それほど気を張らなくたって大丈夫だ」
ベアトリスは迷っているようだった。その顔には、「本当に大丈夫なのかしら?」と書いてある。
「試しに行ってみよう。たまには遊ぶことも必要だ」
「遊ぶ……」
ああ、これもかと、エドワードはため息をつきたくなった。言いようのない怒りが胸の奥から沸き起こって来る。その怒りはベアトリスに対してではない。ベアトリスに、遊ぶことを躊躇わせるような生活を強いてきたヘンウッド国の人間に対してだ。主に彼女の家族に対して。
「遊び方を知らないのなら俺が教えてあげる。これからたくさん思い出を作ろう。ね?」
「思い出……」
ベアトリスはその言葉に心惹かれたようだった。はにかむように笑った彼女が溜まらなく愛おしくて、エドワードは華奢なその体を引き寄せる。
こめかみに口づけると、ベアトリスはくすぐったそうに肩を揺らした。
まったく拒絶がないことに気をよくして、エドワードは彼女の手からティーカップを奪い取ると、ころんとソファの上に押し倒した。
覆いかぶさって鼻先にもちゅっとキスを落とすと、ベアトリスがくすくすと笑う。
「夫婦の思い出だ。いいだろう? 思い出はいくつあってもいい。この時期は苺が美味しいし、美味しいスイーツもたくさん売られているよ。街をぶらぶらして、苺がたくさん載ったケーキを食べよう。ベアトリスは苺が好きだろう?」
「外にケーキを食べに行くなんて、考えたこともなかったわ」
「ヘンウッド国ではそうだったかもしれないけど、ここでは普通だよ。貴族令嬢たちは甘いものに目がない。ケーキ屋にはご令嬢がたくさんいる」
「そうなの?」
「もちろん。俺の母上だって、義姉上だって、お忍びでよく街に甘いものを食べに行っているよ」
ベアトリスはそれが冗談に聞こえたらしい。
「まさかそんな」
「本当だって。今度聞いてみたらいい。というか、先日義姉上に会った時に、ベアトリスを誘ってケーキバイキングに行きたいなんて言っていた。知ってる? ケーキバイキング」
「知らないわ。それは何?」
「決められた時間内なら店にあるケーキが食べ放題になるサービスのことだよ」
「もう、エドワード、わたしが世間知らずだと思って揶揄ってるわね?」
「本当だって! この国では最近はやっているんだよ、ケーキバイキング。店内は女性客ばかりで、兄上は絶対に行きたがらないし、母上はさすがにケーキをたくさん食べるのは年齢的に厳しいらしくてね。義姉上は虎視眈々と君を誘う機会を伺っているよ」
ベアトリスはまだ疑っているようだ。
「君がいいなら、義姉上に伝えておくよ?」
「本当なの?」
「だから本当だって。なんなら義姉上と行く前に俺と行く? 明日にでも」
「女性客がたくさんいるのに?」
「俺は気にしない。君がいればね。この時期なら苺フェアをしていそうだし、ベアトリスはきっと気にいるよ」
「たくさん食べると太っちゃいそうね」
「大丈夫。だって――」
エドワードはちょっぴり悪戯心を起こした。
つーっとベアトリスの腰に手を這わせて、こちょこちょとくすぐる。
「ちょ、エド!」
ベアトリスがエドワードの下で身をよじって震えた。
「ほら、こんなに細い。それにしてもベアトリスは脇腹が弱いね」
「わかっているならくすぐらないで! やっ」
よほどくすぐったいのか、とうとうベッドの上で猫のように体を丸めてしまった。
頬が上気して、少し呼吸が荒くなっている。
こくり、とエドワードの喉が鳴った。
「……明日は俺とデートに行くってことでいい?」
「いいわ、だからくすぐらないで!」
「よし、言質は取ったよ。そして俺は君が可愛くてもう限界」
エドワードはひょいっとベアトリスを横抱きに抱きかかえる。
ベアトリスはびっくりして目を大きく見開いた。
「明日のデートは昼からだ。せっかくの休みだから、明日は少し遅い時間までいちゃいちゃしよう」
途端に真っ赤になったベアトリスが、ぽかっとエドワードの胸を叩いた。
少しずつ、少しずつ、ベアトリスが張り詰めていた空気を解いて、緊張とは無縁の環境に身を許そうとしているのがわかる。
エドワードは、このままベアトリスが祖国の問題から離れ、心穏やかにすごしてくれることを祈った。
そして信じていた。
この幸せは永遠に揺るがないのだと。
だから――
結婚して三年。
ある日突然、一通の手紙を残して消えた妻に、エドワードは目の前は真っ黒に塗りつぶされていくのを知った。
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