幕間 王太子の縁談
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ハンナは表向き王太子ニコラスの侍女という立場で仕事に復帰した。
ニコラスはいまだに毒の影響を受けている――という体で、面会謝絶の状態である。
彼の部屋に入れるのはニコラスの側近と侍女たち、それから侍医のキルナー、あとは限られた人間が数人のみだ。
ゆえに、ニコラスの部屋は現在、プリチェット公爵の手のものが入ってこられない。
それは非常に都合のいい環境であるが、ニコラスが部屋の外に出られない体を貫く限り、問題も発生するものだ。
「縁談、ですか」
ハンナは、養父バロック子爵からもたらされた情報に目を丸くした。
「殿下が床に臥せっておいでだというのに、殿下本人のあずかり知らぬところで、どうして縁談が持ち上がるのですか?」
「プリチェット公爵が言い出したことだよ」
すでにバロック子爵から詳細を知らされていたのか、ニコラスが忌々し気に舌打ちする。
「僕も二十四だ。王太子という身分を考えると、すでに結婚していてもおかしくないし、結婚していなくとも婚約者は決められているはずだろう? だが、今のところ僕は結婚どころか、婚約すらしていない」
それは、プリチェット公爵の娘アンジェリカがニコラスの妻の座を狙っていたからだ。
ニコラスはそれを逆手に利用して、アンジェリカを遠ざけつつ、彼女を使って候補に挙がっていた令嬢たちを遠ざけていた。
悋気の強いアンジェリカは、自分以外の令嬢がニコラスの婚約者候補になること自体許せないようで、裏で手を回したり、嫌がらせをしたりして、ことあるごとに話をもみ消していた。
国内の状況が状況ゆえにニコラスは結婚に慎重になっていたため、アンジェリカのこの行動は役に立つと放置していた。ゆえにいまだに婚約者が決まっていないのだ。
「どこのご令嬢です? まさかアンジェリカ・プリチェット公爵令嬢ではないでしょう?」
ハンナは、それだけはどうしても許容できなかった。
アンジェリカはことあるごとにベアトリスを攻撃していた。手を挙げたこともあるし、それも一度や二度ではない。
ハンナにとって、もしも暗部が許すのならば、アンジェリカは真っ先に始末したいほど憎い相手だったのだ。
ベアトリスはアンジェリカが利用できるといっていたが、そのためにベアトリスがアンジェリカに暴力を振るわれるのは我慢ならなかった。
もしニコラスの相手がアンジェリカなら、今度こそ闇に乗じて――そんな物騒なことを考えたハンナだったが、ニコラスの表情を見るに、どうやら相手はアンジェリカではないようだ。
「相手はベッカム侯爵の養女だ」
「養女なんていつおとりになったんです?」
「最近らしい。なんでも遠縁の娘を養女にしたのだとか」
「それで、養女を王太子妃にと? 馬鹿にしていらっしゃるのでしょうか」
王太子妃とはそう簡単に務まるわけではない。
血筋はもちろんのこと、教養、性格、思想、ありとあらゆる面で問題の有り無しが問われる。
養女を迎えて、それをそのままニコラスの相手になどと考えるのは、どう考えても王太子を、ひいては王家を馬鹿にしている行為だった。
バロック子爵は腕を組んで眉を寄せた。
「だからこちらとしても真意が読めない。ベッカム侯爵の養女を殿下の婚約者候補に挙げることで、王家を陥れたいのか、はたまた裏にほかの意味が隠れているのか。どちらにせよ縁談を受け入れるわけにはいかないのだが、殿下が表舞台に戻られない以上、このまま推し進められる危険性も無きにしも非ずだ」
「そんな、陛下がいらっしゃるではないですか! 陛下がお止めになるのでは?」
「プリチェット公爵派閥の貴族が、一丸となってこの縁談を推し進めようとしているのだ。陛下やミューア公爵が反対したからと言って、簡単に退けられるものでもない。あまり反対するようなら、別の候補を挙げて来いと言われるだろう。殿下の年齢から考えて結婚を急ぐというあちらの言い分は、間違っているわけではないからな」
「一番安心できるのはミューア公爵家に連なる家の令嬢だけど、母上がミューア公爵令嬢だったからね。二代続けてミューア公爵家に関係のある所から王妃を輩出しようとすると、軋轢も大きい。かといって、僕としては常に妻からの毒殺されることを懸念しながら生きたくないからね」
「……ベアトリス様の縁を頼って、オルブライト国の貴族令嬢を招き入れることはできないのですか?」
「できなくはないけれど、急速にオルブライト国との関係が密になる。オルブライト国の属国になるつもりかと、議会から非難を受けかねない。実際、プリチェット公爵は非難してくるだろう」
「……毒から回復したという体で、表舞台に復帰されますか?」
「それしかないかもしれないね。もしかしたら、僕が仮病を使っていることに気づいたプリチェット公爵が、僕を引きずり出そうと画策したのかもね。まったく小賢しいよね、彼」
ニコラスはバロック子爵に視線を向けた。
「どう思う? 子爵」
「もう少し引っ張りましょう。それでも押し通されそうなら、殿下に表舞台に戻っていただくよりほかはございますまい。せめてベアトリス様が戻ってくるまで引っ張れれば、ベアトリス様のほうで対処が可能かもしれませんが……」
「到着早々僕の婚約問題に巻き込まれるのは、いくら妹でも想定外だろうね」
「でしょうなあ」
バロック子爵が顎を撫でながら思案する。
「ハンナ、ベアトリス様ならどう対処するだろうか」
水を向けられて、ハンナは眉を寄せた。
ベアトリスならばこの問題を何とかするだろう。
それも、自分が動いていると気づかれずに、相手方の勢力をうまく操って同士討ちさせる。
ベアトリスはこの手のやり方が非常に得意だった。
「……アンジェリカ様の動向は?」
「さて、まだ情報はないな。僕が部屋にこもって面会謝絶だからね、来ても意味がないとアンジェリカは最近は城に足を運んでない」
「ならば、殿下の縁談についても知らないかもしれないですね」
「ああ、そうだな。……なるほど、アンジェリカを使うわけか」
ハンナは大きく頷いた。
「はい。アンジェリカ様が知ればきっと激怒し、派手に潰しあってくれることでしょう」
ニコラスはふっと笑った。
「プリチェット公爵にとって、アンジェリカはまさに弱点だな。愚かな娘を持って気の毒なことだ」
自分の感情の赴くまま身勝手に行動するアンジェリカは、プリチェット公爵の思惑の外で動き回るだろう。
「よし、僕がアンジェリカに手紙を書こう。婚約者が決められそうだが、ベッカム侯爵の養女とはどういう人物なのかと書いて送れば、きっと焚きつけられてくれるだろう」
ニコラスは実に悪い顔で微笑しながら、どこか楽しそうに言った。
「独の影響がある中必死で書いた風を装ったほうがいいと思うか? いびつな文字を演出するために、そうだな、左手で書いてみるか」
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