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束の間の平穏 3

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 美術館に入ると、入り口の近くは彫刻の展示コーナーだった。

 大昔の偉人から、異国の神々まで、多くの彫刻が並んでいる。

 エドワードと結婚して、オルブライト国の王都にある美術館に連れて行ったもらったことはあるけれど、場所が変われば雰囲気が異なるものだ。


「すごいわね。これは海の神様の彫刻だそうよ。見て、髪の毛が海藻みたい」

「ベアトリス、それは神様に少し失礼だぞ」

「あら本当。面白くてつい……」


 ベアトリスがマフラーの上から頬を抑えると、エドワードが笑う。


「まあ、この彫刻の作者も、案外海藻をイメージしたのかもしれないけどな」

「そうよね? このうねり具合、普通の髪の感じじゃないもの」

「この三俣の槍も、なんというか……」

「銛みたいよね」


 ベアトリスが目を輝かせて言うと、エドワードがふんわりと目を細める。


「君はこの手のものが好きだよな」

「そうね。神話をおとぎ話と同列に考えていいのかどうかはわからないけれど……物語を想像するのはとても好きなの」


 ベアトリスは幼いころから、能天気に物語に思いをはせるような時間を持てなかった。

 物語に没頭して楽しめるようになったのは、オルブライト国に移り住んでからだ。

 想像の世界に意識を向けるのは、心に余裕がないと不可能で、ヘンウッド国ではいかに自分の神経が尖っていたのかを、エドワードと結婚してから思い知らされたほどだ。

 ヘンウッド国では、物語に没頭するというよりは、心を落ち着けるために本を開いていたようなものだったから、心から想像の世界を楽しむということはなかったのである。


 彫刻の横には異国の神についての簡単な説明も書いてあった。

 一つ一つ説明を読みながらだと、ベンジャミンに指定された四十分をあっという間に使ってしまいそうなので、説明文は読まずに展示されている美術品だけを見て回る。

 この美術館では、絵画コーナーが一番充実していた。


 美術館を一通り楽しんだ後で、今度は教会へと向かう。

 四角形と三角形を組み合わせたような外観のシンメトリーな教会は、雪に埋もれるような白さだった。

 大きく、荘厳な教会の入り口をくぐれば、すぐに大きな礼拝堂がある。

 二百人は収容できそうな大きさの礼拝堂の天井は高く、見事なフレスコ画が描かれていた。

 フレスコ画は漆喰が乾く前に顔料を塗ることで耐久性をぐんと向上させた絵画の技法だ。

 しかし、一度乾くとやり直しがきかないため、高度な技術を必要とする。

 フレスコ画を見れば、その国の当時の文化や技術のレベルがわかるほどだった。ダインリル国はこの教会が建てられた百年前にすでに素晴らしい技術を持っていたのだろう。


「明るくて優しくて、とっても素敵なフレスコ画だわ」

「そうだな。天からの光が降ってきそうだ」

「ええ……」


 平和をそのまま描いたようなフレスコ画に、ベアトリスはしばしば見入った。


「アナスタージア様?」


 その時、低く穏やかな声がして、ベアトリスははっとした。

 天井から視線を戻せば、祭服に身を包んだ初老の男性が驚いたような顔をして立っていた。

 この教会の司祭だろうか。

 エドワードがわずかに警戒したようだが、相手が司祭なので過敏には反応していない。

 ただ、さりげなくベアトリスを守るように一歩前に出た。

 ベアトリスは目を瞬き、それから首を横に振った。


「わたしはアナスタージアではございません。……わたしの顔を見てその名前を思い出されたのならば、きっと母のことでしょうね」


 ベアトリスの母は、アナスタージアという名前だ。

 アナスタージアは元ミューア公爵令嬢だが、母の母、つまりベアトリスの母方の祖母はダインリル国出身の帰属令嬢である。

 アナスタージアは結婚後、ほとんど他国に足を運ぶことはなかったが、独身時代にこの国を訪れていても不思議ではなかった。

 司祭はなるほどと頷いた。


「そうでございますよね。アナスタージア様がこの教会にいらっしゃったのは、それこそ二十五年以上前のことでございます。アナスタージア様がヘンウッド国の国王陛下……当時は王太子電化でしたが、ご結婚されたと聞いて驚いたのです。そうですか、あなたはアナスタージア様の……。失礼いたしました、私はこの教会で司祭を務めておりますヨハンと申します」


 ベアトリスはヨハンの言葉に少しばかり引っ掛かりを覚えた。


「あの、失礼ですが、母と父が……アナスタージアと当時ヘンウッド国の王太子だったフランクが結婚したことに、驚かれたのはどうしてでしょう?」


 アナスタージアは公爵令嬢だった。王太子の結婚相手に選ばれるのは何らおかしくない身分である。むしろ納得のいく縁談だ。驚くようなことだろうか。

 ヨハンは慌てたように首を横に振った。


「失礼いたしました。ただ……この教会を訪れた際に一緒にいらっしゃった方は別の男性でしたので、私はてっきりその方が婚約者なのだと勝手に勘違いをしていただけなのです」


 母アナスタージアと父フランクは、母が十八歳の時に結婚したはずだ。

 王族の結婚には時間がかかるため、結婚の数年前から婚約関係にあったと考えていい。場合によっては子供のころからだ。

 なので、アナスタージアがこの地を訪れた際にはすでにフランクと婚約していたはずだった。


「もしかしたら、護衛の誰かと勘違いなさったのかもしれませんね」

「ええ、そうかもしれません。公爵令嬢の護衛の方でしたら、身なりも整えておいででしょうから、てっきり……」


(身なりを整えた護衛……)


 確かに街中で武装して護衛に当たったりはしないだろうが、身なりを整えていたというほどきっちりした服装の護衛だったということだろうか。

 少し解せないが、そういうこともあるだろう。


「母のその時の様子はどうでしたか?」


 ヨハンは天井を見上げてふわりと笑った。


「今のあなたと同じように、天井を見上げて楽しそうにされていました。護衛の方とは仲がよろしかったのでしょう。笑いながらお話しされていて……非常に仲睦まじく見えましたので」


 いよいよ不思議である。

 アナスタージアは傲慢ではないが、護衛や侍女、メイドたちとはあまり親しくしないタイプの女性だ。一線を引いているというのか、深入りしないし、深入りされることを嫌う。

 もしかして、父に嫁ぐ前は違ったのだろうか。


「ベアトリス、もしかしたら陛下がお忍びで来ていたのかもしれないよ」

「お父様が?」

「陛下は王妃様を溺愛なさっているから、案外、旅行についていったのかも」

「……言われてみたらそんな気もするわね」


 祖父が元気で生きていたころ、ヘンウッド国は今よりもずっと平和だった。その頃なら、王太子がお忍びで他国に遊びに行くこともできただろう。

 ヨハンが教会の中を案内してくれるそうなので、ベアトリスたちは時間が許す限り大きな教会の内部を見学して、それから時計塔のある広場へ向かって出発した。


 そして広場の近くのカフェでゆったりと休憩したのち、ベアトリスたちはホテルに戻ったのだった。






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