束の間の平穏 2
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「暗殺者って、変装が得意でないといけないのね」
ベアトリスはしみじみと言った。
ベンジャミンは染めていた髪色を落として染め直し、今度は青灰色の髪色に変えた。
黒縁の眼鏡をかけて、髪を撫でつけ、眉を太めに書いている。
その他、どこをどう触ったのかはわからないけれど、モロニー・ロイヤル・エクスプレスの乗務員の時とも、ホテルのベルボーイの時とも雰囲気が違った。
ベンジャミンは袖のボタンがきちんと止まっているかどうか確認しながら笑った。
「全員が全員、変装が得意ということはありませんよ。集団の中に紛れ込んで仕事をするものは覚えますし、逆に夜にひっそりとターゲットの部屋に侵入して仕事をする人間は変装ではなく隠密を覚えます」
ベアトリスは少しだけ、元侍女のハンナはどうだったのかしらと考えた。
彼女はベアトリスを守るために侍女になった暗殺部の人間だった。侍女に扮していたのだから変装になるのだろうか。だけど顔を変えていたという風ではないので、違うかもしれない。
なるほど、暗殺者とひとことで言ってもいろいろあるようだ。
これからはどこに暗殺者が紛れ込んでいるのか、今まで以上に用心すべきだろう。振り返ればそこにいたなんてことになっては目も当てられない。
「ベン、君から見て、この町にプリチェット公爵の手のものが紛れ込んでいる可能性はどの程度だ」
エドワードがコートを羽織りながら訊く。
ベンジャミンは少し考えて首を横に振った。
「可能性は低いでしょう。無駄打ちはしないと思います。下手を打って、自分に疑いの目が向けられるのは避けたいでしょうから。この駅には、現在多くの国際警察が滞在していますからね。もしモラン公爵夫人の身に何かあれば、即座に国際警察が動くでしょう」
「なるほど、確かにな」
これまでろくな証拠を残さずに暗躍していたプリチェット公爵が、ここにきて自分に疑いの目が向けられるようなことをするとは思えない。ベアトリスもそう思う。ならばこの町はやはり比較的安全だと考えていいだろう。
ベンジャミンはふっと目を細めた。
「デートの口実を探しているのでしたら、今のうちに行くことをお勧めしますね。昨日、聴取も無事に終わりましたし予定通り明日には汽車が出発します。今日を逃せば呑気にデートをしている暇はないですよ」
ベンジャミンのあけすけな言い方にベアトリスは赤くなった。
エドワードが憮然とする。
「前から思っていたが、君は存外口が悪いな」
「お上品な生き方をしていたら生き残れなかったもので」
エドワードははぁと一つため息をこぼすと、ベアトリスのコートのボタンを確認した。
「ボタンは掛け違えていないな?」
「鏡を見ながら留めたから大丈夫よ」
エドワードはベアトリスのコートの襟を少し直して、その上からマフラーを巻く。きゅっとリボンを結ぶようにされると、口元が隠れた。
「可愛いな」
「もう、エドワード、遊んでいるのかしら?」
「口元を隠しておくと温かいんだよ」
今日はエドワードと共に、町を少し観光する予定だった。ベンジャミンも同行してくれるので安全面は格段に上がる。
汽車の中で命を狙われかけたというのに能天気かもしれないが、ベアトリスは少し考えてみたのだ。
もし、この先プリチェット公爵の手にかかって命を落とすことがあれば、ベアトリスが愛する夫と過ごせる期間も少ない。
もちろん、ベアトリスは死にたくないし、生きてすべてに片をつけたいが、自分が思う通りの未来をつかめるかどうかは定かではない。
ならば、状況が許せるときには、少しでもいいからエドワードと幸せな時間を共有したかった。
こんなことを口に出せばエドワードは怒るだろう。
だから決して口には出さないけれど、ベアトリスは兄の手紙を受け取り、ヘンウッド国に向かうと決めた時から、万が一の際には死ぬ覚悟をしていた。
できることなら、エドワードを巻き込むことなく……、最悪の時は、自分の犠牲だけですむようにしたい。
支度が終わり、ベアトリスたちはホテルの外に出た。
馬車は拾わず、歩いて回れる範囲内の観光に留めるつもりだ。
「ここから歩いて十五分ほどのところに美術館があります。時計塔を見たいのなら、美術館からさらに十分ほど歩いたところですね」
ベンジャミンがこの町の地図を見ながら、方角を指でさし示して説明してくれる。
「教会へは行けないのかしら?」
「教会なら、美術館から時計道と反対の方向に……十五分ほど歩けばつくんじゃないでしょうか?」
「では、美術館の後に教会に行こう。そして時間が許せば帰りに時計塔を見に行けばいい。時計塔のある広場にはカフェもあるだろうから、休んで行ってもいいね」
エドワードがプランを決定すると、ベンジャミンが懐中時計を取り出した。
「その程度なら何とかなるでしょう。ただ、美術館と教会の滞在はそれぞれ四十分ほどにしてください。暗くなる前にはホテルに戻っておいたほうがいいでしょうからね」
「そうだな。わかった」
「ベンがいると、行動を決めるのが楽でいいわね」
悩むまでもなく予定が決まることにベアトリスは感心した。
何時にホテルに帰ると決め、そこから逆算して時間を図るのは意外と面倒なものだ。
「時間間隔を養うのは仕事に大きく影響しますからね。無駄話をしていると時間がなくなりますよ。行きましょう」
なるほど、そういうものかとうなずいて、ベアトリスはエドワードと手をつないで彼の後を追う。
足元の雪は除雪されているのでさほど積もっていないけれど、道の左右にはこんもりと雪の壁ができていた。
今日は晴れているけれど、気温が低いので雪はほとんど解けないだろう。
「足元に気を付けて。ブーツを履いているとはいえ滑るからね」
「ええ、ありがとう、エドワード」
滑り止めのために底に金具が打ち付けられている靴とはいえ、油断していたら滑る。
ベンジャミンはベアトリスの歩く速度を考えて時間計算をしているのか、彼は時折後ろを振り返りながらゆっくりと歩いてくれていた。
「結構寒いのね」
「暖かい飲み物が欲しくなるな」
「その辺の露店で買ってもいいですが、美術館の中にはもって入れませんよ。まあ、それまでに飲むでしょうけどね」
ベンジャミンは足を止めて、露店で暖かいお茶を三つ買って戻ってきた。
木製のコップに入れられたお茶だ。このコップは再利用もできるので持ち帰ってもいいが、不要ならば町のいたるところに置かれている回収用の箱に入れておけば定期的に業者が回収していく。
「ありがとう、ベン」
「お礼は結構ですよ。あなたから預かっているお金を使ったので、私の懐は痛みません」
そうだとしても、気遣って買ってきてくれたのだから、やはりお礼は必要だろう。
ちびちびと飲んでいたお茶がすっかりなくなったころ、ベアトリスたちは最初の目的地の美術館に到着した。
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