後始末とこれから 2
お気に入り登録、評価などありがとうございます!
ベアトリスは、王家の頭脳として育てられた。
何故そうなったのかについては、ベアトリスも詳しくは知らない。
けれど、ベアトリスが自分の頭で考えて行動するようになった五、六歳の頃から、父は彼女に多くの教師をつけた。
もしかしたら、父は父なりに、ベアトリスに生きる術を身に付けさせようとしたのかもしれない。
きっと父は、あの頃から少しずつ、プリチェット公爵とその周辺の奇妙さに気が付いていたのだろう。
その教育の成果が、父が望んだ方に現れたかどうかは定かではない。
予想通りだったのか、予想以上だったのか、はたまた予想とは見当違いだったのか。
ただこれだけは言える。
ベアトリスが城内における敵味方を把握し、父や兄たちに進言するようになってから、明らかにベアトリスに向けられる期待と役目が変わったのは確かだ。
ベアトリスは父、そして母や兄が安全に暮らすための「盾」となった。
その盾はもちろん情報だ。
その情報を集めるためにベアトリスがいかに傷つこうとも――それが精神的にであっても肉体的にであっても、父たちはそれを是とした。
もちろん、家族がベアトリスに対する愛情を持ち合わせていないとはいわない。
しかしベアトリスは家族によってその役割を与えられ、それによって傷を負ったとしても、それはその役割にとって必要なものとして受け入れられた。
心配するそぶりはするものの、家族はその「傷」を仕方がないものとして認識していたのだ。
それに対して、ベアトリスが不満を抱いたことはない。
そもそも、情報収集のための方法に、自分が傷つくことも組み込んだのはベアトリス自身だ。
何よりベアトリスは、自分が守られる立場ではなく、守る立場であることを理解していた。
父や兄と違って、ベアトリスは替えのきく存在だからだ。
そして母は、守られることに慣れすぎていて、誰かを守ると言う選択すら持ち合わせていない人だった。
ベアトリスは、家族間に愛情の優劣があることを知っていた。
父は母を愛し、跡継ぎである兄を何よりも大切にしている。
母は父を愛し、跡継ぎである兄を誰よりも愛している。
兄は父を尊敬し、母を敬愛し、自分自身がこの国において欠けてはならない特別な存在だと理解していた。
三人はベアトリスを愛したが、家族間の中で、ベアトリスに向けられる愛は最も軽いものであることを、彼女はよくよくわかっていた。
不満はない。
それは「価値」の差だ。
ベアトリスの価値は家族の中でもっとも低い。
ただ――頭では理解していても、どうしても感情が追いつかなくなる時があるのもやはり事実だった。
ベアトリスは、ベアトリスを何よりも大切にしてくれる人が欲しくて、けれどもそれは永遠に訪れないと半ば諦めていた。
エドワードに会うまでは。
あれは、いつの頃だったろうか。
ベアトリスが十二か、十三。おそらくはそのくらい。
ベアトリスと婚約してから、エドワードは一年に二度か三度、時間を作ってヘンウッド国までベアトリスに会いに来てくれた。
エドワードが来るとたいてい一週間くらいは滞在して帰るのだが、ベアトリスはそのときが何よりも待ち遠しかった。
だがあの日、エドワードの様子がどうもおかしかった。
「ベアトリス、教えてほしい。君は俺との婚約が、本当は嫌だったんじゃないか?」
ベアトリスの部屋でお茶を飲みつつ、エドワードが深刻な顔で切り出した。
ベアトリスはもちろんびっくりした。
部屋にいた侍女のハンナも同様だ。
驚いて、口の中がからからに乾くほど緊張しながら、ベアトリスは首を小刻みに横に振った。
急激に心が冷える。
ベアトリスはエドワードが大好きで、彼と結婚できるのをずっとずっと楽しみにしていた。それなのに婚約が嫌だったなんて、そんな誤解をされたと思うと、胸が苦しい。
「いやじゃ、ないわ。どうして……」
「だって、君からの手紙の返信が、この三か月、一度もなかったから」
ベアトリスとエドワードは、何度も手紙のやりとりをしていた。
それこそ、月に何通も。
だけど、思い返してみたら、この三か月、エドワードからの手紙が届いていない。
エドワードは第二王子で、ベアトリスと結婚する時には公爵位を賜るとも聞いていた。今から領地経営などについても学んでいるようで、きっと手紙を書く時間もないほど忙しいのだろうと思っていた。
でも、エドワードから手紙が来なくても、ベアトリスは近況報告の手紙を出していたはずだ。
「手紙なら出したわ。何度も。でも、あなたの手紙は来ていないわ。だからもちろん、返信ではなくてただの近況報告を出していたんだけど……そうよねハンナ?」
味方が欲しくてハンナを振り返ると、彼女は力強く頷いた。
「はい。その通りでございます。姫様がエドワード殿下に手紙を書かれるのも、封をしてメイドに手紙を言づけるのも、わたくしは何度も目にしております。そして恐れながら、殿下のお手紙はこの三か月一度たりとも姫様の元に届いておりません」
「なんだって?」
エドワードがぐっと眉を寄せた。
「だが、俺の元には一通も……いや、俺の手紙が君に届いていないのも問題だ。俺はもちろん、いつも通り何通も出したよ」
「……ハンナ。手紙係のメイドを呼んでくれる?」
ベアトリスは王女である。自分で手紙を出しにいったりはしない。
そして王女と隣国の王子との手紙のやりとりは親書に準ずる扱いとなるので、一般的な郵便配達会社を通さない。外交の一つとして扱われるので、外務部の部署の管轄となり、まずはそこに預け、その後でエドワードの元に届けてもらうのだ。
ベアトリスはいつも、外務部が使っている下働きのメイドに手紙を預け、それを外務部に届けてもらっていた。
外務部の人間は、ベアトリスはいつも目を光らせている。ここにプリチェット公爵の息のかかった人間が潜り込むと大変なことになるからだ。
だから外務省の上層部は国王派の人間以外は置いていないし、少しでも怪しいと思えば父や兄に進言してそれとなく移動をかけてもらうようにしていた。
もしかして、ベアトリスの知らないうちにプリチェット公爵の手のものが外務省の上層部に潜り込んでいるのだろうか。
ひやりとした汗が背中を伝う。
エドワードからの手紙が届かなかったことも、またエドワードに手紙が届かなかったことも非常に腹が立つが、ベアトリスの「見落とし」がもしかしたら大きな問題を起こすかもしれないと思うと血の気が引いた。
「ベアトリス?」
青ざめたベアトリスを見て、エドワードが隣に移動してくる。
そっと手を握り締めて、彼はベアトリスの顔を覗き込んだ。
「ええっと、ごめん。不安にさせたかな。誤解ならいいんだ。俺はてっきり君が嫌々俺と婚約したんじゃないかと不安になっただけで、君に対して怒っているわけじゃない」
「ええ、でも……」
「ああ、お互いの手紙がどこかで止められていたのはもちろん問題だ。だけど怖がらなくていい。俺はいついかなる時も君の味方だよ」
遠慮がちに引き寄せられて抱きしめられる。
ベアトリスはびっくりした。
エドワードと婚約したが、彼はいつもベアトリスとの距離に気をつけていた。抱きしめられたことなどまだ一度もない。
思わず緊張して身を固くすると、エドワードが優しく頭を撫でてくれる。
「俺の前ではリラックスしていてほしい。俺は君が安心して休める場所でいたい。ベアトリスはまだまだ小さいのに、まるで大人のように……いや、それ以上に頑張っているよ。頑張りすぎなくらいだ。もっと肩の力を抜いて、心穏やかにすごしてほしい。俺が滞在している間だけでも、ね? 緊張を解いて休んで」
ベアトリスに対して「休め」なんていうのはエドワードくらいだろう。
ハンナは「無茶はするな」とはいう。だけどベアトリスが「休め」ないのは知っているので、休めなんて言わない。
父たちは言わずもがな。ベアトリスはベアトリスの役割があり、その役割に油断や休息がどれほど危険なものかを理解しているので、たとえ熱があろうと「休め」とは言わないだろう。
エドワードだけだ。
ベアトリスに役割を求めず、ただ、一人の女の子として接してくれるのは。
(そう言えば以前、アンジェリカがわたしにティーカップを投げつけたのを目撃して、すごく怒ってくれたことがあったわね)
あれは、去年のことだ。
エドワードが滞在していることに気づいていなかったアンジェリカは、いつも通りベアトリスを攻撃しに部屋に突撃してきた。
そのとき、エドワードはオルグライト国の王子としての仕事――要するに外交で、ベアトリスの元にいなかった。
アンジェリカはいつものようにわけのわからない理由でベアトリスを罵り、ベアトリスが正論を返せば激怒した。
ベアトリスが半分ほど飲んでいたティーカップを奪い取ると、そのまま彼女目掛けて投げつけたのだ。
ティーカップはベアトリスの額を直撃した。
パリンと音を立ててカップが割れて、ベアトリスの額は切れて血がしたたり落ちた。
ハンナが悲鳴を上げて侍医を呼びに行ったが、ベアトリスにしてみたら、アンジェリカに攻撃されることもまた「情報収集」の一環だった。
アンジェリカは怒れば怒るほど我を忘れるので、重要な情報をぽろぽろとこぼす。
ベアトリスを傷付けるための罵倒の中に、隠しておくべき情報があることをアンジェリカはわからない。
アンジェリカのような短絡的な娘は本来、邸の奥で大人しくさせておくべきだろうに、プリチェット公爵はどうして娘を自由にさせているのか。
何か意図があるのか否かベアトリスにはわからないが、格好の情報入手先である彼女から情報を得ないという選択肢はない。
この日もまた、ベアトリスがいかに使用人に馬鹿にされているのかという情報の中に、たくさんの重要事項があった。
中でも、最近雇われたキッチンメイドの幾人かにプリチェット公爵の息がかかっていると知れたのは僥倖だった。食べ物を扱う場所に危険人物は置いておけない。
ベアトリスは、ティーカップを投げてもまだ飽き足らずに髪を引っ張って笑うアンジェリカがもたらした情報に満足していた。
痛い思いをしただけある。
そう思っていたら、侍医を呼びに行っていたはずのハンナが、侍医と、それからエドワードを連れて戻って来た。
エドワードは額から血を流し、髪を引っ張られているベアトリスを見た瞬間に、カッと目を見開いた。
「お前――」
アンジェリカは驚いてベアトリスの髪から手を放したが、一足遅かった。
エドワードはアンジェリカの頭を掴むと、そのまま床に抑えつけた。
ダンッと大きな音がして、床に額をぶつけたアンジェリカが悲鳴を上げる。
「何をした。言え。今、ベアトリスに何をしていた」
エドワードがアンジェリカを抑えつけている間に、侍医がベアトリスの額の傷を確認して手当てをはじめる。
ベアトリスは手当てを受けながら内心焦った。
このままではまずい。
エドワードは王子だが、他国の王子だ。
アンジェリカは公爵令嬢で、王家の血を引いている。
騒がれればエドワードの名前に傷がつくかもしれない。
「ハンナ、お兄様を、お兄様を呼んできてちょうだい!」
この場合、一番ことを穏便に収められるのは兄だろう。
ベアトリスに懇願に、ハンナは「すぐに!」と部屋を飛び出していく。
結局、状況的にどう考えてもアンジェリカに非があるという兄ニコラスの判断で、今回の件は不問にされた。
アンジェリカはニコラス相手にエドワードに乱暴されたと騒ぎ立てたが、エドワードが睨みつけると大人しくなった。どうやら相当怖かったらしい。
自分がアンジェリカに攻撃されたのを見て、あれほど怒ってくれる人はエドワードがはじめてだった。
ニコラスならば、ベアトリスがアンジェリカに黙って乱暴されていたのは、「役割」を果たしていたと認識してそれまでだろう。多少は心配すると思うが、激怒なんてしない。
手当された額の傷を見て、辛そうに眉を寄せるエドワードは、ベアトリスに与えられた「役割」を取り払った内側の自分を見てくれる。
それがくすぐったくて、暖かくて、なんだか泣きそうになるほど嬉しかった。
ベアトリスがその時のことを回想していると、エドワードが不思議そうな顔をする。
「ベアトリス、何か楽しいことでも思い出していた? 笑ったよね」
「そうね。ええ、とっても素敵なことを思い出していたわ」
ティーカップを投げつけられ髪を引っ張られた記憶が素敵なんてどうかしている。
だけどあの時助けてくれたエドワードの様子を、ベアトリスは一生忘れないだろう。
結局、手紙の件は、外務部所属のメイドの一人が握りつぶしていたことを知った。アンジェリカの指示だったらしい。
激高したエドワードはアンジェリカを呼びつけて問い詰めようとしたけれど、アンジェリカの顔を見たら彼はきっと怒鳴るだけではすまなくなるような気がしたので止めた。
代わりに、父と兄に事情を説明してそのメイドを解雇し、相応の処罰を下した。
手紙は直接ハンナが外務部の大臣の元に届けるようになり、エドワードの手紙は大臣の側近がじきじきに部屋に届けてくれるようになった。
そして、おまけだが。
どういうわけか、あの日を境に、エドワードは頻繁にベアトリスを抱きしめるようになって、ベアトリスは彼が訪問している間、最大限、心の休息をとることができるようになった。
面白い!続きが気になる!続きが読みたい!と思ってくださった皆様、
ブックマークや下の☆☆☆☆☆にて評価いただけると嬉しいですヾ(≧▽≦)ノ








