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幕間 ヴィタリー=アクロフ・エリストラートヴァ

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少し長めです。

 ベンジャミン――本名ヴィタリー=アクロフ・エリストラートヴァは、ラドゥロフ帝国の皇帝の弟エリストラートヴァ公爵を父に持つ。とはいえ、皇位継承権は持っていない。


 ラドゥロフ帝国は皇帝の兄弟のうち、一人が皇帝についた際に、他の兄弟たちの皇位継承権をすべて排除してしまうからだ。

 ずっと昔は皇位継承権と共に命まで奪っていたこともあるが、それにより、一時期皇帝の血筋が途絶えかけるという危機的状況を生んでからは、命までは取らなくなったと言う。

 皇帝と皇妃、または愛妾の間に男の子が生まれなかった場合、血縁のものから養子を取るために血筋を残しておくことにしたのだ。


 この風習は、ラドゥロフ帝国のセリャコフ王朝の初代皇帝が作ったものだと言われているので、おおよそ三百年続く。

 ゆえにベンジャミンは皇族の血を引いているが皇族に数えられない人間だった。

 ベンジャミンの父が大公という高い地位を与えられたのも、ひとえに父の実家が無視できない権力者だったからである。


 皇帝を生んだ母よりも身分が高かったのだ。

 皇帝と父の年齢がもう少し近ければ、恐らく皇位を継承したのは父の方だったろう。

 このような理由があり、父は臣下に下る際に大公という特別な位を賜り――猜疑心の強い皇帝は、ベンジャミンの父を、いや、一家を、自分の地位を脅かす危険因子として警戒した。


「私に言わせたら、父は無欲な人間で、皇帝の椅子になんてまるで興味を示していませんでしたけどね。皇帝は人の言葉も、態度も、何もかもを疑わなければ気が済まないような人間でした。あの男が皇帝の椅子に座っていた時、驚くほどの数の人間が処刑された。あの男は、少しでも自分が疑わしいと思えば、あの手この手で罪を捏造してその命を奪う残虐な人間だったんです」


 ベンジャミンは静かに話に傾けるベアトリスとエドワードに少しばかり気をよくした。

 ラドゥロフ帝国の処刑された前皇帝をよく知るベンジャミンからすれば、この二人は実に善良だ。少なくともベンジャミンにはそう見える。


「父が処刑されたのは、私が十五歳の時でした」


 突然、皇帝直属の軍が邸に乗り込んできた。

 いや、父にしてみたら突然ではなかったのだろう。

 おそらくベンジャミンの知らないところで、父と母の話し合いは終わっていたと思われる。


 皇帝軍が邸を包囲したとき、ベンジャミンは邸の中にいなかった。父の使いで、父の友人の家に行っていたのだ。

 ベンジャミンが家族が捕縛されたことを知った時、父の中ですでに計画は終わっていたのである。

 そう、長男であるベンジャミンを逃がすという計画だ。


 計画に気づくと父たちの元に駆けつけようとしたベンジャミンだが、それは父の友人に止められた。

 ベンジャミンが生き残ることが、父たちの望みだと知らされた。

 幼い弟妹を逃がすのは無理がある。また、大勢を逃がせば勘づかれる可能性が高い。

 だが十五歳のベンジャミンなら、何とか生きていけるだろう。

 そう考え、父は、ベンジャミンの替え玉を立て、彼だけを生かすことにしたのである。


 間もなく、父の処刑が終わったこと、家族たちが毒杯を飲まされたことを知った。

 ベンジャミンは、処刑現場に行くことすらできなかった。

 行って見つかれば、父の願いが水の泡だ。

 ベンジャミンはその後、父の友人の勧めで、後に反乱軍を指揮することになる男の元で過ごした。


 そこでは、ありとあらゆることを学んだ。

 というのも、その男の元には、様々な人材が揃っていたからだ。

 基本教育はもとより、望めば専門的な知識が与えられた。

 ベンジャミンは迷わず、人を殺す術を身に着けた。いつの日か皇帝に復讐するためだ。

 そして今から一年ほど前、反乱の狼煙は上がった。


「もちろん、私も反乱軍の一員として動きましたよ。残念ながら皇帝への憎しみが強すぎて、直接皇城に乗り込むのは止められましたけどね。怒りで暴走すれば計画がパアになるからと言われました。まあ、暴走しない自信はなかったので、泣く泣く諦めるしかありませんでしたが」


 戦力は歴然だったのに、皇帝の身柄を押さえるまで半年という歳月がかかったのは、皇帝が行方をくらませていたからである。

 さらに面倒なことに、皇帝は揺動のために妻子を別ルートで逃がしていた。

 大勢で移動する妻子に反乱軍が注目しているうちに遠くに逃げる算段だったと思われる。


 だが、その逃亡劇は皇帝の想定していたようには進まなかった。

 皇帝の予測に反して、妻子の逃亡がスムーズに執り行われたのだ。


 皇帝は孤立した。

 最後は離宮に少ない味方と共に立てこもったが、反乱軍により身柄が確保された。


「皇帝は処刑されました。セリャコフ王朝は終わり、ラドゥロフ帝国には新たな新皇帝が立ちました。けれども、まだ反乱は……あえて革命と言わせていただきますが、革命は、すべて片付いたわけではありません。前皇帝の妻子は、以前として行方不明だったからです」


 革命により皇帝が代わった以上、前皇帝の子を残しておくわけにはいかない。

 子に罪はないと言う人間もいるだろう。

 だがベンジャミンは否と答える。

 皇帝の妻子もまた、非情に残虐で、このまま残しておけない危険人物であるからだ。


 皇帝が誰かを処刑を命じた時の、皇妃とその子らの非常に残虐で醜い表情をベンジャミンは覚えている。

 父が処刑されたのちも、皇帝の機嫌によりその命を奪われた人間は山のようにいた。

 そしてそれは、皇妃やその子らにとっては、一種の見世物――娯楽でもあったのだろう。

 皇妃たちは、処刑現場に必ず顔を出し、特等席を用意させ、優雅にお茶を飲みお菓子を食べながらその様子を見物した。

 処刑される人間が泣き叫べば笑い、何の反応も見せなければ「今日はつまらなかった」と言う。

 そんな人間が生きていると思うだけで虫唾が走った。


「だから新皇帝は、皇妃たちを指名手配し、依然としてその足取りを追っています。そして、手掛かりを見つけた。ヘンウッド国でね。前皇妃とその子らはヘンウッド国のどこかに匿われているか、そうでなくとも、何らかの情報を握っているものがいる。私はそう睨み、ヘンウッド国に潜入しました。そして見つけた。皇妃の側近が名を変えプリチェット公爵家に出入りしているのを。アンソニア・エアトン――本名ダーリヤ・シャローフでしたか、まあ、そんな名前です。あの女は皇妃の遠縁であり、彼女の護衛の一人でもありました。普段は侍女の姿で皇妃につき従っていたダーリアが習得している武術は暗殺向きであり、どうやらプリチェット公爵には暗殺者として重宝されていると言うことを知りました」


 それはベンジャミンにとっても非常に都合がよかった。

 父が処刑されて十五年。

 三十歳になったベンジャミンの顔立ちは子供の頃と比べて変化していたが、面影がないとは言えない。

 普段は変装しているのですぐに気づかれないだろうが、皇妃の前に顔を晒すのは危険だった。


 その点、プリチェット公爵はヴィタリー=アクロフ・エリストラートヴァの顔を知らない。

 さらに暗殺者であれば、お互いに顔を合わせることも少ない。

 その特性上、姿を頻繁に見せる必要もなかった。


 ベンジャミンはプリチェット公爵の暗殺部隊の中に潜り込んだ。これは比較的簡単だった。プリチェット公爵がちょうど密かに抱えている暗殺部隊の拡充を図っているという情報を入手したからだ。

 革命軍には諜報を得意とするものが幾人もいる。

 ベンジャミンと共にヘンウッド国に潜り込んでいた彼らは、短期間で様々な情報を入手していた。


 たとえば、ヘンウッド国の王太子ニコラスが毒に倒れたというもの。

 ニコラスがオルブライト国に嫁いだ妹ベアトリスに手紙を書いたというもの。

 そしてそれを知ってプリチェット公爵が動いたというもの。


「だから私は先回りしてオルブライト国に向かいました。暗殺者というのは非常に身軽なもので、ある程度の単独行動が許されています。とはいえ、さすがに暗殺となると、主の命令を無視して行うわけにはいきませんけどね」


 プリチェット公爵はベアトリスの暗殺に乗り出す可能性が高かった。

 味方の諜報員の情報から、プリチェット公爵の狙いはヘンウッド国の王の椅子だろうことはわかっていた。

 民意を意識しているのかはたまた別の理由があるのかは定かではないが、プリチェット公爵は非常に回りくどく玉座を狙っているように思える。

 つまりは武力で無理矢理奪い取るのではなく、事故死に見せかけた殺害や暗殺により、国王派閥の勢力の低下を狙っているようだった。


 現在、ヘンウッド国の勢力図は、プリチェット公爵が優勢だ。

 だが、依然として国王一家は国民人気が高い。

 ヘンウッド国内の貴族の勢力図は大きく分けて、国王派閥、プリチェット公爵派閥、そして中立派の三つである。


 このいわゆる中立派は、国王や公爵と言った派閥に与するのではなく、自身の治める領地とその民を最優先に考えていると言い換えてもいい。かと言って忠誠心がないとは言わないが、その忠誠心は領地の存続とそこに暮らす民の平穏の前には簡単に揺らぐ。

 もっと言えば、そこに暮らす民の感情を優先する。民が国王を支持しているのならば、簡単にはプリチェット公爵の派閥には身を寄せないだろう。

 ゆえに、プリチェット公爵は自身が行動したと知られずに、国王と王太子の排除に動かなくてはならないが、もちろんそれは簡単なことではない。


 ベアトリスがオルブライト国に嫁いで、プリチェット公爵は虎視眈々と玉座を奪う機会を伺ってきただろう。

 ベンジャミンが調べさせたところ、ベアトリスはヘンウッド国の国王一家における「頭脳」だった。彼女が集めた情報と分析により、城の中の情勢は大きくプリチェット公爵に優勢になることなく保たれていた。

 国の中枢にプリチェット公爵が人を潜り込ませる、またはそこにいる人間を懐柔すれば、ベアトリスがその情報を仕入れて国王や王太子に進言することで、城内で配置換えを行う。首にすれば目立つが、配置換えならばよくあることなので目立ちはしない。


 そうして自分たちの周囲から、信頼できない人間を外していく。

 全員を外せば怪しまれるが、その中で重要な部分のみ梃入れすればさほど目立たない。

 ベアトリスは城内でプリチェット公爵の娘アンジェリカに好きなように攻撃され、また自身の周囲にもあえてプリチェット公爵の息がかかっているものを残した。

 これまでプリチェット公爵は、ベアトリスの本当の顔に気づかなかったろう。


 だが、彼女が去ればその差は歴然となる。

 これまでのベアトリスの動きを知るには、彼女不在の三年という時間は充分だったはずだ。

 ベアトリスが消え、徐々に城内における勢力を拡大していったプリチェット公爵にとって、今ベアトリスに戻られるのは非常に困るのだ。

 ましてやベアトリスは王位継承権第二位という高い立場にいる。


 戻ってくる前に消すべきだ。

 プリチェット公爵ならばそう考える。


 ベンジャミンはオルブライト国に向かうことで、プリチェット公爵が都合よく自分に指示を出すだろうと考えた。

 まあ、指示がなければなかったでそれはかまわない。

 ベアトリスの側にいれば、プリチェット公爵側の誰が動いたかなんてすぐにわかる。


 そう思っていたら、ダーリヤ・シャローフ――アンソニア・エアトンという偽名を使って、皇妃の側近の女が現れた。

 ベンジャミンはなるほどと思った。

 もしベアトリスの暗殺が露見しても、ダーリヤ・シャローフはヘンウッド国の人間ではない。プリチェット公爵はいくらでも誤魔化すことが可能だ。


 ベンジャミンは、ダーリヤ・シャローフが送り込まれる前にすでにオルブライト国にいる旨を、プリチェット公爵家の暗部を束ねる男に通達していた。

 プリチェット公爵はベアトリスを確実に仕留めたかったようで、ベンジャミンの元にもダーリヤ・シャローフと協力して仕事にあたるようにと指示があった。仕事の仕方は任せるという。


「あとはあなたの推測通りですよ、モラン公爵令嬢。ダーリヤ・シャローフ……ややこしいので、アンソニア・エアトンと呼びましょう。彼女は私が味方であると疑わなかった」


 静かに聞いていたベアトリスは、そこで一つ疑問を持ったようだ。


「トンネルの落石事故は、あなたの仕業だったのかしら?」


 ベンジャミンは肩をすくめた。


「まさか。さすがにあれは無理です。偶然ですよ。ここで足止めされたのは私にとっては非常に都合がよかったですけどね。まあ、落石事故なんて起こさずとも、汽車を一時停止させる手立てはいくらでもあるので、都合にあわせて小細工はするつもりでしたけどね」


 ベアトリスは唖然とした顔になった。こういうところがやはり善良なのだ。

 彼女は目的のために非情になり切れない。

 だからこそ、ベンジャミンはベアトリスに好感を持てたのだろう。

 ラドゥロフ帝国の前皇帝のように、疑いを持った瞬間に処刑を決めるような人間は、決して上に立ってはならないのだ。


 ベンジャミンは少しだけ楽しい気分になった。

 父が殺されてから十五年。こんな気持ちになったのははじめてかもしれない。


 他人になかなか心を開けないくせに、決して非情にもなれない優しい王女。

 夫エドワードが過保護になるわけだ。

 ベアトリスは自分が優しい人間ではないと思っている。そのくせ、自分を犠牲にしてでも大切なものを守ろうとする。自分は優しくないと思い込んで自分自身を傷付け、そして他人を守ろうとすることでやはり自分を傷付ける。なんて危うい。だからこそ、目を離すわけにはいかないのだ。


 でも、こういう人間は嫌いではない。


「モラン公爵夫人。私は有能ですよ。さらに言えば、私を味方に引き入れることで、革命軍の諜報員も情報も、戦力も使えます。何故なら革命軍……新皇帝は、前皇帝の妻子を必ず捕縛したいと考えている。他国なので表立って動けなくとも、あなたが協力してくれるのならばいくらでも手を貸せる。十中八九、プリチェット公爵は前皇帝の妻子と何らかの関りがあるはずです。私とあなたの目的は一致している。そうでしょう?」


 ベアトリスはベンジャミンを欲しているはずだ。

 彼女は自分の手駒を欲している。

 ベンジャミンの身分はベアトリスにとって危ういところはあるだろう。

 世間的には処刑されたことにはなっているが、ラドゥロフ帝国の前皇帝の異母弟を父に持つ身だ。

 だが、ベアトリスはその危うさを承知でベンジャミンの手を取る。これは確信だった。

 彼女は、これほど大きな戦力を、無視できない。

 エドワードは面白くなさそうな顔をしているが、ベアトリスの決定に異は唱えないだろう。

 ベアトリスがアンソニア・エアトンを殺害した暗殺者を欲していることを、彼は知っているのだから。


 ベアトリスが悩んだのは短い時間だった。

 顔を上げた彼女は、何かを決意した顔で言う。


「あなたが欲しいわ、ベンジャミン。協力してくれますか? 元々の目的はもとより、ヘンウッドの王女として、プリチェット公爵とラドゥロフ帝国の前皇帝の妻子のつながりは見過ごせません。……それに、そのつながりは、プリチェット公爵にとって諸刃の剣でしょうからね」


 ああ、やはりいいな、とベンジャミンは思う。

 ここに来てもベアトリスは、正攻法からプリチェット公爵を追い落とす気でいるのだ。

 ラドゥロフ帝国の前皇帝の妻子とつながりがあろうとなかろうと、プリチェット公爵の暗殺に動くことだってできるはずなのに、正面から立ち向かうつもりだろう。

 暗殺者を味方に引き入れるならば、真っ先に相手の暗殺を念頭に置くものだろうに、ベアトリスは違うのだ。


「では、これからどうぞよろしくお願いします、モラン公爵夫人。ああ、あと、私に敬語は不要ですよ」

「それなら、わたしにも――」

「いいえ。あなたになれなれしくすると、そちらにいるあなたのご夫君に剣を抜かれそうですから、私は今まで通りの態度でいさせていただきます」


 エドワードが憮然とした顔でふんと鼻を鳴らす。

 ベンジャミンが話している間も、決して警戒を緩めなかったオルブライト国の第二王子。

 なるほど、ベアトリスのような女性には、このくらいがお似合いだろう。

 ベンジャミンにはエドワードのベアトリスに向ける愛情はひどく重たく見えるが、彼女はそのくらい重たく愛されていないとすぐに無茶をしそうだ。


 ベンジャミンが立ち上がって手を差し出すと、ベアトリスも同じように立ち上がる。

 握手を交わすベンジャミンとベアトリスの手を、悋気の強いエドワードが不機嫌そうに見つめていたのは、言うまでもないことだった。





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