暗殺者の手掛かり 6
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時間にして五分かそのくらい。
ひとしきりベアトリスの唇を堪能して満足したらしいエドワードは、再び背もたれ越しに彼女の肩に腕を巻きつけ、テーブルの上に置かれた紙に視線を落とした。
ベアトリスの方は、熱くなった顔を持て余しながらも、せっせと解読したルールに沿って手紙の文章を書き直している。
完成した文章を見つめ、ベアトリスは息をついた。
「どうやら、わたしがモロニー・ロイヤル・エクスプレスに乗ることを知っていたみたいね。お兄様が毒に倒れてからわたしにも監視が付けられていたんだわ」
「つまり、オルブライト国にもプリチェット公爵の手のものが暗躍していると言うことか?」
「そうとも限らないんじゃないかしら。たとえば旅行者を装って潜り込ませるのは比較的蜜かしくないでしょう? アンソニア・エアトンが旅行者を装って汽車に乗っていたことから考えても、そう言うことだと思うわ」
プリチェット公爵でも、さすがに他国の中枢に手のものを潜り込ませるのは難しい。
もしそれができたとしても、露見した場合のダメージは並大抵のものではないだろう。
狡猾なあの男がそこまでの危険を冒すとは思えない。
プリチェット公爵の目的はあくまでもヘンウッド国内における権力の掌握であり、他国には現在のところ目を向けている風ではない。
ベアトリスのことだって、結婚して国を出たのを機に、捨て置いていたはずだ。
急にベアトリスの監視を指示したのは、ひとえに兄ニコラスの一件があったからである。
ニコラスを亡き者にした後、ベアトリスが王位継承権第一位に繰り上がる可能性があった。
他国に嫁いだものは王位継承権が後ろ倒しになるものだが、父王は依然としてベアトリスを王位継承権第二位に据え置いている。
プリチェット公爵がヘンウッド国内を完全掌握したあとならいざ知らず、今のタイミングでベアトリスに戻られるのは困るのだろう。逆を言えば、プリチェット公爵はまだ、ヘンウッド国を完全に手中に収め切れていないと言うことだ。
(楽観視はできないけれど、お兄様の無事もわかっているし、打つ手はあるわ。むしろ、お兄様はこのタイミングを見ていたのかしら。完全にプリチェット公爵の息の根を止めるために)
中途半端なところで手を出すよりは、ギリギリまで引き付けて一気に敵勢力を叩く作戦に出たのかもしれない。
ニコラスは毒を盛られたようだが、案外それも、万全の対策を取った上でわかっていて口にした可能性すらあった。兄はそう言う人だ。
「見て。解読した暗号に、わたしの乗車に合わせてモロニー・ロイヤル・エクスプレスに乗るように指示があるわ。自然死に見せかけて殺害するようにという指示もね。つまり、アンソニアはやっぱりあの夜にわたしを殺害しにコンパートメントを訪れたのよ。この手紙は証拠品として取っておくべきね。とはいえ、プリチェット公爵の名前は明記されていないから、これだけだと言い逃れされるわね」
「ベアトリス、一つ訊いてもいいだろうか」
「なあに?」
ベアトリスが解読を終えた手紙を片付けていると、エドワードが前方に回り込んで顔を覗き込んできた。
「君は、プリチェット公爵を亡き者にしたいのか。それとも、裁判で徹底的に公的にさばきたいのか、どっちだ?」
ベアトリスは虚を突かれたように目をしばたたいた。
「そう、ね。それはとても難しい質問だわ。可能なら公的にさばいてしまいたい。他の派閥の連中も一緒に、徹底的にね。でも、それが厳しいようなら……最悪、暗殺も視野に入れているわ。ただ、決して容易ではないでしょうけど」
プリチェット公爵を説得しようなどという甘い考えは抱いていない。
彼を排除するか、またはこちらが彼に排除されるか。この二択しかないのだ。
ベアトリスは王女として、できることなら裁判によって罪を白日の下にさらして、公的に裁きたいと考えている。
その方が、あとあと禍根も少ないだろうし、裁判をかけることによって芋づる式にプリチェット公爵派閥の人間を罪に問えるだろう。
プリチェット公爵だけを暗殺した場合、残党処理に時間がかかる。さすがに全員暗殺するわけにはいかないからだ。
「証拠さえそろえば罪に問えるわ。裁判所までプリチェット公爵の息がかかっているとは思いたくないけれど、それは関係ないの。高位貴族を裁くとして、他国から――それこそ、北の法王庁から裁判官を派遣してもらうことだってできるわ。他の同盟国に対してもね。公正に裁くと言う名のもとに、他国の裁判官を集めれば、いくらプリチェット公爵でも掌握しきれないでしょう」
「あまり例はないけどね」
「そうだけど、まったくないわけではないでしょう?」
三十年前に、とある国の国王を裁く際にその方法が取られたことがある。
さすがに国のトップである国王を、自国の裁判官だけで裁くのはなかなか厳しいものがあったからだ。
それにより、国王は有罪判決が出、王位は彼の弟の息子に渡った。国王は幽閉の身になっている。
クーデターという形で国を荒らさずに裁判で平和的に解決したとして、その国には称賛が集まり、醜聞により王が変わったと言うのに、概ね他国との取引には影響が出ていない。
未来の他国との関係を考えるなら、同じような手を取る方が賢明だ。
そのための国際同盟である。
「プリチェット公爵がわたしとあなたの婚約を阻止しようと動いたことがあったけど、それはきっと、王家とオルブライト国との関係が強化されるのを嫌ったからよ」
「なるほど、裁判官の派遣要請が出れば我が国は進んで出すだろうな。クーデターが起きてもやはり、軍を派遣しただろう」
「そういうこと。わたしとあなたの結婚で、お父様たちには強力な盾と矛が同時に揃ったことになるの」
もしかしたらベアトリスがヘンウッド国のためにした最大の貢献がエドワードとの結婚かもしれない。
エドワードのことは間違いなく愛しているし、この結婚に幸福しか感じていないが、同時に祖国にとっても最大の恩恵をもたらしたことになる。
エドワードは笑った。
「それを聞いて安心した。君は最悪の場合はプリチェット公爵を暗殺することも視野に入れているわけだ。だったら、場合によっては俺も最大限動ける。状況を見てオルブライト国の暗部を動かそう」
「それは、ちょっと危険ではないかしら。オルブライト国が他国の要人を――要人なんて認めたくはないけれど、立場的に宰相なんだから要人よ。それを暗殺したことが公に出たら、国際社会からの批難は必至よ」
「ばれなければいい。手はいくらでもあるよ。最終手段として持っておく分にはいいだろう?」
「だけど……」
もしかしたら、ベアトリスは甘いのかもしれない。
味方の被害を最小限に抑えつつ、プリチェット公爵とその一派を追い落としたいと考えているのだから。
「……最悪その方法を取るとしても、プリチェット公爵の勢力を正しく把握してから出ないと失敗するかもしれないわ。危険な方法を取るのなら確実性を狙わないと」
「それもそうだ。この手の強引な方法は一度失敗すると相手を警戒させるだけだからね。その点、プリチェット公爵は一度失敗したわけだ。ニコラス義兄上を仕留め損ねたんだからね。たぶん、義兄上のことだからそこまで視野に入れていたんだろうけど、これで義兄上の周囲には安易に人が近づけなくなった。次の機会を狙うのは大変そうだ」
「そうね。お兄様はそのためにまだ寝込んでいるふりをして部屋に籠っているみたいよ。そして、一部を除き面会謝絶にしているみたいなの」
「危険人物を排除し、味方だけを引き入れて暗躍できるな。なかなか賢いやり方だ」
「そのためにあえて毒を飲んだのなら、褒められたものじゃないわよ」
「まあそうだが。自分の勢力の戦力強化のために君を呼びつけた点においては、俺は少々義兄上に恨みを抱いている」
う、とベアトリスは言葉に詰まる。
「君たち兄妹は、昔から仲がいい。味方が少ない中で肩を寄せ合って生きてきたのだからそうなっても仕方がないが、夫である俺より優先されるのは面白くない」
「……ごめんなさい」
「この件の埋め合わせは、全部終わったらきっちりしてもらうから」
うぅ、とベアトリスはまた言葉に詰まった。
もう許してくれたと楽観視していたのにそうではなかったらしい。全部が片付いたあとが怖い。
「さて、残りの二つの手紙の暗号解読の前に、休憩しないか。ああ、すっかり紅茶が冷めたな。追加を頼もう」
エドワードが扉のところのベルを鳴らす。
すると、今度はベンジャミンがやって来た。倉庫の片づけは終わったようだ。
エドワードはベンジャミンに紅茶のお代わりを頼むと、彼からは例の薬瓶と香水瓶の中身の分析をマイケル医師に頼んでおいたと報告があった。
結果がわかるのは明日の朝頃になるだろうとのことである。
ベンジャミンは、薬瓶や香水瓶の中身が毒物である可能性を告げると、マイケル医師から「この汽車では戦争でも起こっているのですか?」とあきれられたと言った。
確かに、普通ではなかなか起こるようなことではないだろう。
マイケル医師にはあとで詫びておこうとベアトリスは思った。
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