暗殺者の手掛かり 5
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コンパートメントに戻ると、ベアトリスはさっそく箱から手紙を取り出した。
手紙は全部で三通ある。差出人の名前はないが、封筒の裏側に「D」と書いてあった。
ベアトリスはそれを「デイヴィッド・プリチェット」のイニシャルだと判断した。三通とも彼からの手紙だろう。
そのうち一通を封筒から取り出して広げてみる。
エドワードも隣から手紙を覗き込んだ。
「普通の手紙に見えるな」
「暗号だと思うわ」
何も知らない人が読んだらただの手紙に見えるような暗号を、ベアトリスも使用している。主に兄、ニコラスとの手紙のやりとりで、だ。
暗号と呼ばれるものは世の中に多く存在するが、だいたいいくつかのパターンで形成されている。
たとえば転置式暗号。これにも複数の書式があるが、文章の文字の配置を変えて読み取るタイプのものだ。
一つ例を挙げてみよう。列転置暗号と呼ばれるものだが、一見すると普通の手紙に読めるのの、決められたルールに従って列の順番を並び替えて解読する。文字を五文字ごとにそれぞれ別の列に並び変えるとするなら、こうなる。元の文章を「今日は雪が降っている」としよう。
一列目――今日は雪が
二列目――降っている
となり、読みか方は一列目の「今日は雪が」の「今」を一文字目に、次は二列目の「降っている」を二文字目に読む。
そうするとこうなる――「今降日っはて雪いがる」。
もちろん例として挙げたので、この文章は意味が成立しないが、このような方法で暗号を作るのを列転置暗号という。
次に換字式暗号というものがある。これは各文字をルールに従い別の文字に置換して解読するタイプの暗号だ。
このタイプで一番多いのが、文字をずらして置換するものである。
たとえば、三文字ずらしとしよう。「A」という文字をアルファベット順に三文字ずらせば「D」となる。同じように「B」は「E」。このようにして文字をずらし別の文章を作って解読する方法だ。この置換方法はさまざまあり、中には特別な道具を使用して文字をずらす場合がある。
ベアトリスはこの手紙が列転置暗号を用いたものだろうとあたりをつけた。
列転置暗号はルールに慣れてしまえば比較的解読が容易である。また、暗号ルールについての説明も非常にわかりやすい。
ベアトリスは紙とペンを用意して、椅子に腰かけると、手紙をテーブルの上に置いてじっと見つめた。
ルールを見つければ解読は容易だが、ルールを探すまでに時間がかかる。
エドワードが黙ってベルで乗務員を呼んだ。
ベンジャミンは倉庫を片付けているので、別の乗務員がやって来る。
エドワードは紅茶を二つと、それからクッキーを頼んだ。
そしてベッドの縁に腰かけると、ベアトリスが手紙の解読をしている間に、アンソニア・エアトンの荷物にあった別のものを調べはじめる。
なのでベアトリスは手紙以外のもののチェックを彼に任せることにして、暗号解読に集中した。
ベアトリスが集中している間に、乗務員が紅茶とクッキーを運んできた。
エドワードが手荷物の中からカトラリーセットを取り出し、銀スプーンを二つ用意する。
試薬による毒物検査は、ベアトリスは初日に行っただけに留めておいたが、銀のスプーンによる簡易検査は行うようにしていた。
紅茶を銀のスプーンでかき混ぜて変色がないことを確認し、エドワードがティーカップに口をつける。そうして彼はひとつ息を吐いた。
「うちのメイドを一人くらい連れてくればよかったな」
「あら、だめよ。巻き込めないわ」
「だが、細々としたことを頼める人間が一人欲しい」
それは確かにちょっと思う。
飲食物の毒物検査から部屋の整理整頓や異物の確認など、さすがに二人で行うのはなかなか骨が折れた。
「それで、解けそうか?」
「たぶん、これじゃないかなって言うのは見つけたわ。今からその法則によって書き出してみるつもり」
「君はこういう問題に長けているな」
エドワードが感心したように言う。
ベアトリスは肩をすくめた。
「ヘンウッド国にいた時、プリチェット公爵や彼の派閥貴族の動きを探るために、個人的に間諜を雇っていたのよ。やり取りは暗号で行っていたし、間諜がプリチェット公爵の周辺でやりとりされた手紙を持ち帰ることもあったわ。その手紙もやっぱり暗号だったから、暗号解読は人より少し慣れているだけよ」
「その間諜は男か?」
「え?」
「君が頼りにして使っていた間諜は、男か?」
「頼りにって……」
ベアトリスは他人をあまり信用できないため、使っていた間諜を全面的に信用していたわけではないが、それなりに頼りにはしていた。だが、男か女かという性別は関係あるのだろうか。
不思議なことを聞くものだなと思っていると、エドワードが仏頂面になっていることに気づく。どうやら、妬いているらしい。
(エドワードの嫉妬のスイッチはよくわからないわね)
ベアトリスは苦笑した。
「男性じゃなくて女性よ。男性のようにすらりと背の高い人で、必要に応じて男装もしていたけどね」
というか、普段は男の格好をして過ごしていた。ベアトリスが嫁ぐ際、彼女のことは兄に預けたが元気にしているだろうか。
間諜が女だと聞いて機嫌を直したエドワードが、ベアトリスの背後に回って椅子の背もたれ越しに肩に腕を回した。
「君が俺の知らないところで男と仲良くしていたわけじゃなくてよかったよ」
「もう、人を浮気者みたいに言わないで」
「吊り橋上の恋と言うじゃないか。危険を共にしたら、案外ころっといくものだ。そう言う意味で間諜は危険だな。ああでも、そうか。ちょうど今、その状況だ。つまり俺と君の仲はもっと深まるのかな」
「エドワード、ふざけてる?」
「俺はいたって真面目だよ。ただ、敷いて言うなら、最近スキンシップが少なくて拗ねている」
「ええ⁉」
やっぱりふざけているのかと思って振り返ると、存外真面目な顔があってベアトリスは目を丸くした。
「……本当に拗ねているの?」
「今朝もいちゃいちゃしたかったのに、君は暗殺者のことにばかりかまけて相手をしてくれなかったからね」
ベアトリスは赤くなった。
「そ、そう言う状況じゃあ……」
「どんな状況でも、いや、こういう状況だからこそ夫婦の仲は深めるべきだ。そう思わないか」
屁理屈である。
そう思ったが、本当に拗ねているらしい夫を前にベアトリスは強く出られなかった。
彼の元から逃げ出そうとした負い目もある。
ベアトリスは視線を彷徨わせ、折れた。
「今は、キスだけね」
エドワードは満面の笑みを浮かべると、ベアトリスの頬に手を添えた。
「俺の妻が優しくて可愛くて嬉しいよ」
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