暗殺者の手掛かり 1
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「どういう意味だ?」
エドワードが訝しそうに眉を寄せる。
ベアトリスは「はっきりと言いにくいんだけど」と前置きしてから言った。
「アンソニア・エアトンが泥棒だと考えると、どうにもしっくりこない点が出てくるのよ」
「というと?」
「まず、そうね。第一に考えないといけないことは、タイミングかしら?」
「タイミング?」
「ええ……」
ベアトリスは曇った窓ガラスに視線を向けた。
朝から幾度か響いていた爆発音は聞こえなくなっている。落石の粉砕作業は終わったのだろう。
これから、粉砕した落石除去作業に移るはずだ。
汽車が運転を再開するのは、最短で明後日。
「今、汽車が停車しているじゃない? 昨日の時点で、落石除去を終えて運転が再開するまで三日程度は必要だって乗務員から説明があったわよね。そして、場合によってはもう少し後ろに倒れる可能性もある。つまり、この場に何日も拘束されるの。盗みを働いた後で何日も逃げられない状況がつづくのは、それはちょっとリスクが大きいわ。ものを盗んだ後で歩いて逃走することを考えていた線もあるけれど、あまり現実的じゃないわよね」
外は雪が降っている。
前方のトンネルは落石によって塞が、向かうのは困難だろう。
ならばひとつ前の駅に向かって歩いてもいいが、このあたりは山間部で近くに集落はない。
しばらく線路沿いをまっすぐ駅に向かって歩いて行くことになるが、ここからひとつ前のアストリー駅までは、歩いて半日は掛かるはず。天候が悪いので、もっとかかるだろうか。
汽車の中で盗みを働き、そしてこの状況で汽車内から姿が消えれば、自分が犯人だと知らせているようなものだ。
必死に歩いて逃げたところですぐに指名手配がかかる。
もしベアトリスがアンソニアなら、そのような愚かなことはしない。
「わたしの持ち物を盗むつもりなら、そうね。たとえばだけど、落石除去がほとんど終わり、運転再開の目安がたってからにするわね。せめて、明日の夜よ」
「君が体調不良で留守にしているからこそ、このタイミングを狙ったんじゃないか?」
「もちろん、それも考えたけど、やっぱりしっくりこないのよ」
ベアトリスが医務室にいることは、別に公表していない。
というか、汽車旅は個人個人で楽しむもので、その中の誰かが体調不良だったからといって乗客に報告するはずもない。
では、アンソニア・エアトンがそれを絶対に知らなかったかと言われたら、それについては疑問が残る。
アンソニアはベアトリスと同じ一等車両のコンパートメントの一室を使っていた。
話し声を聞いたり、医務室へ向かう姿を見ていた可能性は排除できなかった。
とはいえ、それではベアトリスが汽車の運転が再開するまでずっと医務室にいるのかどうか。
その可能性を推察することはアンソニアには不可能だろう。
ベアトリスの体調が戻り、部屋に戻って来るかもしれないと考えれば、やはりタイミングがおかしいと感じるのである。
ましてや。
「ここからは疑問点の二つ目になるんだけど、クローゼットやトランクの中身が部屋に散乱していたのがおかしいのよ」
「ああ、なるほど。それは少しわかるかもしれない。部屋が散らかっていたら、明らかに何者かが侵入したとわかるからな。だが、それは鍵穴の周囲に傷がついていた時点で今更だろう」
「もちろんそうだけど。逆にその鍵穴も引っかかると言えば引っかかるのよね。突発的に泥棒を思い至った人に、鍵開けの技術があると思えない。となると、アンソニアはそもそも盗み目的で、お金持ちが集まりやすい一等車両のコンパートメントを押さえたという考えが浮上するけど、それにしてはあの鍵の周りの傷はお粗末すぎる。まるで故意に傷つけたみたいに見えたわ」
エドワードは顎に手を当てた。
「そういうことか。窃盗に慣れた人間ならば、痕跡を残さない。そう言いたいんだな?」
「この状況下においては、その方が得策だと思うはずよ。しかも場所はコンパートメントの中。大切なものなんて、クローゼットかトランクの中に収められている可能性が高いじゃない? そして、探すのにクローゼットの中身を床に放り投げる必要はないし、宝石類もそう。トランクの中の宝石箱を開けて、その中からいくつか、盗みが露見しにくそうなものを選んで盗っていけばいい。軒並み全部欲しかったのならば別でしょうけど、部屋の中が空っぽになっていたら誰だってすぐにものを盗まれたと気づくし、気づかれればすぐに乗客の手荷物検査が入るでしょう。馬鹿のすることだわ」
アンソニアは、人の目のない時間帯を的確に選んで犯行に及んだ。
多少なりとも「考える」ことを知っている人間だからこそ、あの時間帯を選んだだろう。
だとしたら、その後の行動はあまりにも矛盾が大きい。
「だからね、わたしの中で現時点で二つの可能性が浮上したのよ」
ベアトリスは指を二本立てた。
「一つ。アンソニアは泥棒目的でコンパートメントに侵入したのではなくて別の目的があった。それを誤魔化すために、クローゼットやトランクの中身を散乱させて盗み目的で何者かが侵入したと見せかけることにした」
「なるほど」
「二つ。アンソニアは確かに泥棒だったけれど、彼女自身がクローゼットやトランクの中身を散乱させたのではなく、第三者……それこそ、アンソニアを殺害した人間がそれを行った」
「どうしてそんなことを?」
「それはわからないけれど、そうする必要があったと考えたらどうかしら? つまり、部屋が散らかされていたことこそに何か意味があるのかもしれないわ」
それが何かはまだわからない。
クローゼットやトランクの中身が散乱していた理由には、どんなものがあったのか。
しかしここで、アンソニアが何者であったのか、それをより具体的にしなければならないと言う問題が生じたわけだ。
アンソニアが殺害されたのはベアトリスの身代わりとしてではなく、アンソニア自身が狙われた可能性も浮上したからである。
もし暗殺者がベアトリスを殺害しようとしてアンソニアと取り違えたと仮定したとき、その暗殺者の行動があまりにも愚かに思えるからだ。
何故なら部屋の主が夜中にクローゼットを漁るだろうか。
または、夜中に一人ぽつんとあんな場所に立っているだろうか。
鍵をこじ開けるだろうか。
暗殺者は自分の正体を気づかれることを恐れる。
正体がバレれば仕事の支障が生じるからだ。
ならば、機会を伺うだろう。
気づかれないように、隙を伺う。
殺害のタイミングを計っていたのならば、その前後十数分程度のコンパートメントの様子は観察していたはず。
それこそアンソニアが鍵をこじ開けて中に入るのも見ていたと考えていい。
ならばその時点で、アンソニアとベアトリスが別人だとわかるだろう。
だのに、アンソニアは殺害された。
アンソニアの殺害こそが目的だったと考えたら、しっくりくる。
(だとしたら、どうしてアンソニアは殺されなければならなかったのか)
ここを明確にすべきだ。
暗殺者がこの汽車内にいるとして、目的はベアトリスなのか、はたまたアンソニアだったのか。この差は大きい。
事件現場の確認作業は、ひとまず切り上げて、アンソニアが何者であったのかを調べよう。
「ベンジャミン、被害者であるアンソニア・エアトンの荷物ってどこかに保管してあるわよね? 見ることはできる?」
廊下で待っていたベンジャミンに訊ねると、彼はにこりと微笑んで頷いた。
「ええ、支援部隊が乗って来た汽車の倉庫の方に移動させております。今からご案内します……と言いたいところですが。あと三十分もすれば昼食の時間です。午後にいたしましょう」
ベンジャミンが懐中時計を開いて文字盤がベアトリスたちに見えるように向けた。
確かに、そろそろ昼食の時間だ。
食堂車が解放される時間になれば、そこへ向かうための通路となる一等車両の廊下にも人が集まるだろう。
ベアトリスは頷き、エドワードを見上げた。
「少し喉が渇いたんだけど、バー車両でお茶でもいただきつつ、今の考えをノートにまとめておきたいわ」
するとエドワードは仕方がなさそうに肩をすくめた。
「まったく、ゆっくりしてほしいという俺の願いを、君はすぐに無視するんだから」
「ごめんなさい。でも……」
「わかったわかった。もちろん俺も一緒に行くよ。昼食前だが、ついでに甘いものでも貰うといい。頭を使うと、糖分が欲しくなるだろう?」
ベアトリスは笑って、エドワードの腕に甘えるように抱き着いた。
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