真夜中の殺人 1
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扉が開かれる大きな音で目覚めたベアトリスは、まだぼんやりとする頭を覚醒させるために瞬きを繰り返した。
隣では、夫のエドワードがベアトリスの体に腕を巻き付けて眠っている。
そんな彼も、ベアトリスが目覚めて数分後、小さく呻きながら目を開けた。
「……何の騒ぎだ?」
分厚いカーテンで仕切られたベッドの外で、何やら話し声がしている。
ベッドの枕元にある小さな窓の外は、まだ暗かった。
どうやらまだ夜――それも、この暗さから考えると夜中だろうか。
ベアトリスが中途半端な時間に目を覚ましたのは、昼に眠ったからかもしれない。
体を起こそうとすると、エドワードに止められた。
「俺が見て来る。君は……ああ、熱はだいぶ下がったようだが、横になっていて」
エドワードがベアトリスの額に手のひらを触れて熱を測ったあと、ほっと笑いかけてからベッドを降りる。
カーテンの隙間からベッドの外に出たエドワードが、医者ともう一人、声からするとベンジャミンだろうか、彼らに事情を確認した。
声のトーンを落として会話しているので、すべてが聞こえてくるわけではないが、漏れ聞こえてくる単語の中に「死体」という言葉があって、ベアトリスはひゅっと息を呑む。
いてもたってもいられなくなって、ベアトリスはベッドから抜け出すとカーテンを開けた。
「エドワード」
「ベアトリス、君は寝ていて」
「ううん、目が覚めたわ。何があったの? 死体って聞こえたけど……」
エドワードは迷うそぶりを見せたが、やがて肩をすくめた。
「状況が状況だから、君も無関係ではいられないか。……これから、俺たちの使っているコンパートメントに向かうんだが、一緒に来るか? どうやらそこで、女性が一人死んでいるらしくてね」「なんですって?」
「俺も詳しくはわからないんだが……」
エドワードがベンジャミンに視線を向ける。
ベンジャミンが青ざめた顔で言った。
「今夜はこちらのお部屋をお使いとのことだったので、念のために先ほどお使いのコンパートメントに戸締りの確認に向かったのです。そうしたら鍵が開いていて、中を除けば女性がうつぶせに……。その、背中を刺されていて、声をかけても反応がないので、慌てて先生を呼びに来たところだったんですが」
見れば医師は鞄に薬品や治療器具を手当たり次第に詰めているところだった。
「こんなことは前代未聞で……」
「もういい、急ごう」
鞄がパンパンになると、医師が焦れたように言う。
ベンジャミンは片手にランタンを持っていた。
エドワードに頷いて見せ、ベアトリスたちも彼らのあとを追う。
自分が使っていた部屋で女性が刺されていると聞いて、ベアトリスの頭は芯から冷えていた。
もしかしなくても、この汽車にはプリチェット公爵の手のものが潜り込んでいるのではなかろうか。
そうなれば、汽車を緊急停車させたあの落石も疑わしくなってくる。
まだここはヘンウッド国ではないため、プリチェット公爵も満足には動けないだろうと思っていたが、違ったのだろうか。
今日までベアトリスが安全に汽車旅を続けられていたのは、敵は救援のために駆けつけた後続の列車に乗ってやってきたからだろうか。
はたまた、最初からこの列車に乗っていて、機会をうかがっていたのだろうか。
コンパートメントで倒れていた女性とは何者だろう。
何故、ベアトリスが使っていたコンパートメントにいたのだろうか。
何故、刺されていたのだろうか。
ああ、わからない。
今のこの断片的な情報では、判断がつかなかった。
ベンジャミンの持つランタンの明かりを頼りにコンパートメントへ向かう。
まず部屋の中にベンジャミンと、それから医師が入った。
ベンジャミンがコンパートメントの中のランプに明かりを灯す。
扉の所から中を覗き込んだベアトリスは思わず口元を両手で覆って息を呑んだ。
クローゼットとトランクが開けられて、中のものがいくつか散乱している。
女はベッドの方を向いてうつぶせに倒れていたが、右手に何かを掴んでいた。見れば、ベアトリスのネックレスだった。金のチェーンに、大粒の三つ揃いの真珠のついたネックレスだ。
うつ伏せで倒れているので顔は見えないが、女はベアトリスと同じ金髪で、背中には深々とナイフが刺さっていた。
背格好もベアトリスと近いだろう。
(金髪の女性……)
ベアトリスは、モロニー・ロイヤル・エクスプレスに乗ってから今日までに、食堂車で見た乗客たちの姿を思い出した。
食事は決まった時間に食堂車で提供されるので、ベアトリスがこの四日でほとんどの乗客を見ているはずだ。
その中で、ベアトリスが確認した金髪の女性は、三人。
うち一人は年配の女性で、杖を突いて歩いていたので省くとする。
すると、残り二人の女性のうちのどちらかかもしれないが、あいにくと名前を知っているわけでも話したことがあるわけでもなく、ついでに怪しい動きはしていなかったので、ノートにメモは取っていない。
医師が女性の脈を確認し、首を横に振った。
「すまないが、他の夜の番をしている乗務員に声をかけて、医務室から担架を運んできてくれないだろうか。このままにしておくわけにはいかんだろう」
「わかりました」
ベンジャミンが駆けていくと、医師は重たいため息をついてベアトリスたちを振り返った。
「いやはや、とんだ状況になりましたな」
「……ええ」
ベアトリスの口はからからに乾いていた。
この悲劇に見合われた女性が誰かはわからないが、ベアトリスの代わりに殺害されたのかもしれないと思うと、今日このコンパートメントを離れたことがどうしても悔やまれた。
「この女性は……、ここに間違えて入ったのかしら?」
「いや、違うだろう」
ベアトリスよりずっと冷静に、エドワードが言った。
「クローゼットとトランクが開けられていて、君の宝石箱も開いている。手にはネックレスがあるし、コンパートメントの扉の鍵だけど、よく見たらこじ開けられたような傷がいくつも走っているからね。きっとこの女性は、君のコンパートメントに盗みに入ったんじゃないかな」
「盗み⁉」
「君が医務室にいたことを知っていたのか、知らなくとも眠っている時間帯なら大丈夫だと思ったのか。部屋付の乗務員も、さすがに深夜には休むだろうからね。少なくとも、盗みかなにか後ろ暗いことがない限り、こんな風に扉の鍵を壊して入ったりはしないだろう」
「それもそうね」
この女性が自分のせいで死んだのかもしれないとそればかり考えていたから、そんな簡単な事にも気づけなかった。
ベアトリスは首を横に振り、しっかりしなくては、と自分を叱咤する。
医師も、エドワードの推測に否やは唱えなかった。
するとこの女性は、ベアトリスの部屋に盗みに入って、宝石を物色していたところ、何者かに背後から刺されたと、そう言うことでいいだろうか。
「ドクター、変なことを頼むようですが、その短剣に毒が付着しているかを調べていただけますか?」
突発的な殺人だったのか、計画的な殺人だったのか。
もしベアトリスを暗殺することが目的ならば、確実に仕留めるために短剣に毒物を塗布している可能性が高い。
短剣を抜かなかったのは、あちらの落ち度か、はたまた、この身動きの取れない汽車の中で、殺害に使った短剣を所持している方が危険と判断したのか。
医師が顔をしかめ「毒物、か」と低くうなった。
「するとモラン公爵夫人は、これが衝動的な殺人事件ではなく、計画されたものだったといいたいのかな」
「可能性があると思っただけです。それにほら……この女性の悲鳴が上がれば、誰かがもっと早くに気づいたでしょうけど」
「なるほど。……ちょっと失礼」
医師は遺体に向かって軽く瞑目してから、女性の体を横向きに倒した。
女性は目を大きく見開いて絶命していた。
口は半開きだ。
頬のところに、指の跡だろうか、少し鬱血したような楕円の点が三つついていた。
「後ろから手で口を覆われて、刺された……のでしょうか」
ベアトリスがつぶやけば、医師は大きく頷いた。
「でしょうな。もみ合いになった刺したと言うわけではなく、最初から殺すつもりで背後から近づいて一突き、と見るべきでしょう。なるほど、衝動的な殺人であるとは、考えにくい状況でしょうか。彼女が狙われたのか、はたまた……とモラン公爵夫人はおっしゃりたい、と」
「ええ。ここがわたしの使っていたコンパートメントであり、彼女がわたしと背格好の似た金髪の女性であることから考えて、そうである可能性は考慮しなくてはなりません」
ベアトリスはぐるりと部屋の中を見渡した。
ランプの明かりで照らされているとはいえ、夜の暗闇では細部まで確認ができない。
「ドクター、すみません。彼女の遺体を運び出すのは構いませんが、部屋はこのままにしておいてください。明日、明るくなってから今一度室内を調べたいので」
これは殺人事件だ。
そして、前方のトンネルが落石によって塞がり、後方の線路には救援のために駆けつけた汽車がいる。
外は雪。
歩いて移動するのは無理がある。
ならば犯人はまだこの汽車の中にいるはずだ。
もともとモロニー・ロイヤル・エクスプレスに乗っていた人間なのか、はたまた救援で駆けつけた汽車に乗って来たのかはわからないが、この中にいないはずがない。
(わたしを狙ったのなら、十中八九プリチェット公爵の息がかかった人間のはず)
ならば必ず、捕らえなければならない。
プリチェット公爵の息の根を止めるための情報と証拠は、多ければ多いほどいい。
汽車がこの場に停車している今後二日の間に、犯人にたどり着かなければ。
後続の救援の汽車に乗っていても、この汽車に乗っていても、次の駅で逃げられる可能性が高い。
いや、どうだろう。
殺害した女がベアトリスではなく別人だったと気づけば、また機会を狙って来るだろうか。
それとも足がつくことを恐れていったんは計画を取りやめにするだろうか。
ベアトリスはぐるぐると考え、それからエドワードの腕を引いて小声で耳打ちした。
「エドワード。この女性を殺害した犯人を捕まえましょう。そして、可能ならばこちらの陣営に引き込みたいわ」
「ベアトリス?」
「殺人犯なんて味方にしたくないけれど、これは最大のチャンスだと思うの。プリチェット公爵を欺くための、ね。できるかしら?」
エドワードはそっと息を吐き出した。
「できるかできないかは相手次第だろう。難しければそのときに別の方法を考えればいい。……あまりやりたくはない手だが、これがプリチェット公爵に関係しているのならば、あちらの暗殺者を一人手駒に加えるのは、まあ、まったく悪い手ではないだろうね」
ベアトリスもエドワードも、王族である。
国を治めることは、綺麗ごとだけでは不可能だ。
オルブライト国にもヘンウッド国にも、それぞれ暗殺部隊は存在し、王は状況に応じて彼らに仕事を命じる。
関係のない第三者が巻き込まれたと事実はベアトリスの胸に暗い影を落とすが、暗殺者を手駒に加えると言う選択は、王女である彼女にとって、さほど忌避感はない。まあ、実際に暗殺の命令を下したことは一度もないけれど。
(プリチェット公爵を敵に回す以上、綺麗ごとだけではダメなのよ)
この手を赤く染めたいかと聞かれれば否と答えるだろう。しかし、厭いはしない。その覚悟もできないのならば、はなからヘンウッド国に帰るなんて選択はしなかった。
やがて、ヘンウッドが夜の番の乗務員を連れ、担架を持って戻って来る。
運ばれていく女性の遺体に向かって、ベアトリスは静かに瞑目した。
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