追いかけて来た夫 3
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目を覚ました時には、すっかり夕方になっていた。
窓の外は相変わらず雪が降り続いている。
よほど疲労が溜まっていたのか、ベアトリスは深い眠りのそこにあったらしい。夢すら見ることなく目を覚ませば、頭の中がすっきりしていた。
だからだろうか。
今までのこと――兄の手紙が届いてからモロニー・ロイヤル・エクスプレスの中で過ごした今日までのことこそが、夢であったのではなかろうか、そんな気すらしてくる。
汽車が緊急停車中で、振動がないからこそ余計にそう感じられるのか。
ゆっくりと上体を起こすと、「おはよう」と穏やかな声がした。
首を巡らせれば、椅子に座ったエドワードが呼んでいた本から顔を上げて微笑んでいた。
ついさっきまで彼はひどく怒っていたようだったのに、今のエドワードはベアトリスが知るいつもの彼だった。穏やかで優しく、紳士な彼。
怒りは収まったのだろうか。
「君が眠っている間に乗務員から話を聞いたよ。トンネルを塞いでいる落石を撤去するのに丸二日かかる見積もりのようだ。出発は三日後らしい。明日の朝に安全を確保できた状態で爆薬を使って石を粉砕し、その後で残骸を線路から運び出すようだね」
エドワードが立ち上がり、ベッドに近寄りながら説明をくれる。
ベアトリスの額に手を伸ばして、彼は少しだけ眉を寄せた。
「微熱があるな。そんな気はしていたんだ。きっと気を張っていたからだろうね。君は昔から、どうも自分の体調に無頓着なところがある」
疲れていると思っていたのは、どうやら熱の影響もあったようだ。いや、逆か。疲れていたから熱が出たのかもしれない。
ベアトリスが何も言えないままでいると、エドワードが扉のところの紐を引っ張ってこのコンパートメント専属の乗務員ベンジャミンを呼ぶ。二人分の飲み物を頼むと、彼はすぐにベアトリスの側に戻って来た。
頬を撫でられ、顔を覗き込まれる。
怒っていたのが――彼の元を離れたこの数日の空白が嘘のように、いつも通りの表情。
「ベアトリス、君は俺がいないとだめだよ。だって君は、なかなか他人に心を開けないだろう?」
それは否定しない。
だが、だからこそ、大切な人を巻き込みたくなかったのだ。
エドワードはくすりと笑った。
「考え事をしている時、君は極端に口数が少なくなるね。おおかた、俺をどうやって納得させようか考えているのかな。だけど、さっき言った通り、俺は提示した二択以外認めないよ。君が俺から離れると言う選択肢は、はじめから用意されていない」
(ずるい……)
そうやって、ベアトリスの逃げ場を奪っていくところは、昔からだ。
ベアトリスの心の機微を何よりも理解しているからこそ、エドワードはベアトリスが逃げ込みたくなるような甘い選択肢を用意してくる。
本当は縋って甘えたくなっているベアトリスの本心に、エドワードはとっくに気づいているのだろう。
エドワードに恋をする前は、自分はもっと強かった。
目的のためならば、自分の身も感情も犠牲にできた。
アンジェリカに怪我をさせられたことなんて、一度や二度じゃない。
最初に父がそのことをアンジェリカ本人とプリチェット公爵に抗議したが、のらにくらりとかわされて事実をもみ消されたのを見てから、ベアトリスは考え方を変えた。
ならばそれを逆に利用しよう。
アンジェリカは劇場型で単純だ。
彼女をわざと怒らせれば、重要な情報をぽろりとこぼすことはままあった。
それによっていくつかプリチェット公爵の暗躍は阻止できたが、結局、スケープゴートを立てられて彼の首までナイフの先は届かなかった。
でも、今度は違う。
完全にその息の根を止めるために、ベアトリスは戻るのだ。
この身を犠牲にする覚悟は持っていた。
だというのに、どうして、こんなにも感情が揺れるのだろう。
「プリチェット公爵は、きっと、今回で畳みかけるつもりなんだと思うわ。だからこそ、隙が生まれる。大きく動けば、二度目の機会はやって来ないものね。これが最後のチャンスだとわかっているからこそ、思惑通りに事が進まなければ無茶もするでしょう。今までみたいに、中途半端じゃない本当の王位簒奪の姦計が巡らされているのよ。……だから」
「俺は来るなって? 逆だよ。だから一緒に行くんじゃないか。君は自分の危険に少々無頓着だからね。それにこう見えて俺はそこそこ強いよ。まあ、頭の出来は、君には遠く及ばないだろうけどね。あと、なんだかんだと誤魔化そうとしているけれど、俺が提示したのは二択で、その二択に今の話はあったかな?」
エドワードは「頭の出来は、君には遠く及ばない」というけれど、そんなことはない。
こうしてベアトリスの話に騙されてもくれない。
ベアトリスがのらりくらりと煙に巻こうとしても、絶対に巻かれてくれない。
エドワードが二択と言い切ったらそうなのだ。彼はそれ以外、決して認めないだろう。
「わたしは、ヘンウッド国の問題を無視できないわ」
「そうか。なら、二つ目の選択肢だな」
「そうなってしまうわね」
巻き込みたくない。
だけど、彼が追いかけて来た時点で、抵抗したって無駄なのだ。
どうして追いかけて来たのとなじりたいけれど、なじれない。
ベンジャミンがお茶を運んできたので、ベアトリスはベッドから降りるとテーブルへ向かった。
テーブルを挟んで向かい合わせで座って紅茶を飲んでいると、エドワードがふと何かを思いついたように顔を上げる。
「そう言えば、君とこうして二人で汽車に乗るのは、はじめてのことじゃないか?」
エドワードは第二王子でもあるので、公務でとても忙しい。
彼の領地は王都から近いので、汽車ではなく馬車を使った。
言われてみたら、エドワードと汽車旅をしたことはない。
「一度くらいあると思ったけど、思い返してみたらなかったわね」
「こんな時じゃなかったら、目いっぱい楽しみたいところだが、それは問題を片付けて帰る時まで取っておこうか。きっと、帰りは清々しい気分で汽車旅を楽しめるだろう」
エドワードは楽観的だ。
この先、何があるかわからないのに、二人そろって帰途に就くことを疑いもしていない。
(でも、そうね――)
最悪のことばかり考えて覚悟していたが、すべてがうまくいくイメージも、また必要かもしれなかった。
ベアトリスは何も、敵と指し違いにいくわけじゃない。
その覚悟は持っているけれど、それが必然ではないのだ。
「エドワード」
「うん?」
「あの、あのね……。ごめんなさい」
こんなことになるのなら、最初から打ち明けて、計画を練ってから来るべきだった。
ベアトリスがしゅんと肩を落とすと、エドワードが笑って、茶請けのクッキーを彼女の唇に押し付ける。
「もう少し怒って反省させてもよかったけど、体調が悪い君にそれはできないな。夕食の後は、早く休もう。汽車が動かないんだから、部屋でごろごろしているかバーで飲むくらいしか、することがないからね」
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