表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青い島の朝――海賊の骨は歌わない  作者: Kentarou Tou / Kentarou Theater


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/10

第八話「ミナの名」


ミナの母は、早く死んだ。


父のことは知らなかった。


港の者は、彼女のことを海賊の娘だと言った。


誰の海賊かは、誰も言わなかった。


ただ、そう呼べば十分だった。


海賊の娘。


死体を洗う女。


海に近すぎる女。


ミナは、否定しなかった。


肯定もしなかった。


そう呼ぶ者の名前を覚えるだけだった。


ハルは、教会の古い婚姻台帳を調べていた。


母方の記録を追っていた。


ミナに頼まれたわけではなかった。


しかし、調べるべきだと思った。


記録の中に、同じ姓があった。


ミナの母方の姓だった。


百年前の洗礼台帳にも、同じ名があった。


航海日誌にも、似た名があった。


港の地下室の壁にも、削られかけた同じ名があった。


ハルは、紙を並べた。


線を引いた。


年号を見た。


一つの家系が浮かび上がった。


消された子供の一人。


海賊によって上陸させられた子供。


その後、山の集落に隠された可能性がある子供。


その子孫。


ミナの母。


ミナ。


ハルは、夕方まで迷った。


言うべきか。


言わないべきか。


言えば、何かが変わる。


言わなければ、何も変わらない。


しかし、何も変わらないことこそ、百年続いた嘘だった。


ハルは、浜へ行った。


ミナは、死者を洗っていた。


その日、若い水夫が一人、浜に上がった。


名前は分かっていた。


船も分かっていた。


家族も分かっていた。


ミナは、髪の砂を洗い流していた。


とても丁寧だった。


生きている者にするよりも丁寧だった。


ハルは、少し離れて待った。


ミナが布をかけ終えると、言った。


「話がある」


ミナは手を洗った。


「いい話か」


「分からない」


「悪い話か」


「それも分からない」


「なら聞く」


ハルは、紙を渡した。


ミナは読んだ。


読み終えるまで、何も言わなかった。


波の音だけがした。


ミナは言った。


「私は、海賊の娘ではなかったのか」


「少なくとも、その記録では違う」


「では何だ」


ハルは言った。


「売られかけた子供の、子孫かもしれない」


ミナは笑った。


笑い声は短かった。


「ひどいな」


ハルは何も言わなかった。


「海賊の娘の方が、まだましだった」


「ごめん」


「なぜ謝る」


「言ったから」


「言わない方がひどい」


ミナは紙を見た。


指で、古い名前をなぞった。


「この子は、生きたのか」


「たぶん」


「隠されたのか」


「たぶん」


「誰が隠した」


「分からない」


「海賊か」


「かもしれない」


ミナは海を見た。


「私は、ずっと海賊の血だと言われてきた」


「うん」


「でも、本当は、海賊に助けられた血かもしれない」


「そうなる」


「笑える」


ミナは笑わなかった。


海を見たまま、言った。


「ハル」


「何」


「私の名前を、書いて」


「記録に?」


「違う」


ミナは、死体を洗う石の台に手を置いた。


「今ここで」


ハルは紙を出した。


筆を取った。


ミナは言った。


「消されなかった名前として」


ハルは、ミナの名を書いた。


丁寧に。


今まで書いたどの名前よりも、丁寧に。


ミナはそれを見た。


「下手だ」


「すまない」


「でも、読める」


「読めるように書いた」


ミナは紙を畳んだ。


胸元にしまった。


「それでいい」


(第八話 了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ