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第23話 聖女様、珍生物の夜番は毛布つきです

 条件達成まで、二十二時間台。


 ようやく二十三時間を切った。


 たったそれだけのことなのに、俺には大きな前進に思えた。


 もちろん、まだ長い。


 長すぎる。


 二十二時間五十八分。


 普通に考えれば、ほぼ一日だ。


 今の俺にとっては、果てしなく遠い。


 それでも。


 二十三時間台は終わった。


 一秒ずつでも進んでいる。


 俺はリリアが作ってくれた小さな毛布の中で丸くなり、前足に触れている聖力糸を感じていた。


 白く細い糸。


 柔らかく、温かい。


 直接触れられるより刺激は少ない。


 でも、リリアの気配はちゃんとある。


 背中には毛布。


 前足には聖力糸。


 下には中立紋つきの結界台。


 ここだけ切り取れば、かなり手厚い介護である。


 ただし、部屋の外には神官兵。


 窓には封印。


 床下と天井裏には感知聖印。


 隣の祈祷室には警備。


 そして外には、俺を器扱いする魔性研究者。


 手厚い介護と厳戒態勢が同居している。


 落ち着くような、落ち着かないような。


 いや、落ち着かない。


 普通に落ち着かない。


 ステータス画面が薄く浮かんだ。


---


条件達成まで:22時間56分44秒


現在状態:臨界安定


安定補助:聖力糸/中立紋/簡易毛布


負荷:中低


---


 簡易毛布。


 ちゃんと補助扱いになっている。


 毛布、強い。


 いや、毛布そのものが強いわけではない。


 リリアが俺のために作ってくれたものだと分かるから、安心できるのだと思う。


 それが精神状態に効いて、結果的に安定補助になっている。


 たぶん、そういうことだ。


 俺は毛布の端に鼻先を埋めた。


 柔らかい。


 温かい。


 少しだけ、リリアの聖力の気配がする。


 でも痛くない。


 ちょうどいい。


「ノア、毛布は苦しくありませんか?」


 リリアが小声で尋ねた。


 彼女は俺のそばの椅子に座っている。


 片手で聖力糸を維持し、もう片方の手は膝の上に置いていた。


 疲れているはずだ。


 それでも表情は穏やかだった。


「きゅ」


 大丈夫です。


 これはかなり良いです。


 リリアがほっとしたように微笑む。


「よかったです。まだ完成ではありませんけど」


 未完成なのに、もう役に立っている。


 完成したらどうなるのだろう。


 防具扱いになるのか。


 聖女の手作り珍生物毛布。


 字面が強い。


 いや、強いのか?


 分からない。


 アリアは扉のそばに立っていた。


 剣には手をかけていない。


 だが、いつでも抜ける姿勢だ。


 司祭長は机で封印済みの黒い石を調べている。


 先ほどガルディアスの声を届けてきた中継具だ。


 今は聖布に包まれ、三重の封印箱に入れられている。


 それでも俺の危険察知は、箱の中にかすかな嫌な気配を感じていた。


 完全には消えない。


 ガルディアスの気配は、石に薄く残っている。


 司祭長が低く言った。


「この石も、神殿の古い結界式に反応しています」


 アリアが眉を寄せる。


「神殿の結界式?」


「ええ。外から無理に破るのではなく、神殿の結界が持つ古い接続部に絡ませている」


「つまり、神殿を知っている者でなければ扱えない」


「その通りです」


 司祭長の顔は険しい。


「ガルディアスは、二十年前の神殿を知っている。今の改修部分ではなく、古い構造を狙っているのでしょう」


 古い構造。


 それは厄介だ。


 見た目では新しくなっていても、根っこは昔のまま。


 そこを知っている相手が、外から細く干渉してくる。


 どこから来るか分からない。


 俺は毛布の中で耳を伏せた。


「きゅ……」


 リリアが俺を見る。


「不安ですか?」


「きゅ」


 はい。


 かなり。


「私もです」


 リリアは正直に言った。


 そして、少しだけ笑う。


「でも、不安だとちゃんと言えるうちは、まだ大丈夫だと思うことにします」


 また大丈夫と言った。


 俺がじっと見ると、リリアは慌てて言い直した。


「あ、ええと……まだ続けられる状態です」


「きゅ」


 よし。


 アリアが淡々と言う。


「聖女様、だいぶ訓練されてきましたね」


「ノアに注意されますから」


「良い傾向です」


 良いのか。


 俺は低級魔物なのに、聖女の発言指導をしている。


 状況が変だ。


 でも、少しだけ笑いそうになった。


 笑うといっても、俺の口から出るのは「きゅ」だ。


 それでもリリアには伝わるらしい。


「ノア、少し安心しました?」


「きゅ」


 少しだけ。


 すると、ステータス画面がまた開いた。


---


精神状態:安定傾向


負荷:中低 → 低寄り


---


 また低寄り。


 ありがたい。


 このまま何もなければ、しばらく耐えられそうだ。


 そう思った。


 もちろん、こういう時ほど何かある。


 俺はもう学んでいる。


     ◇


 夜は、静かに深くなっていった。


 部屋の明かりは落とされている。


 完全な暗闇ではない。


 壁の聖印が弱く光り、机の上には小さな聖灯が置かれている。


 ただし、俺に刺激が強すぎないよう、光は布で和らげられていた。


 聖女の部屋なのに、俺のために聖属性控えめ。


 神殿としてはどうなのだろう。


 でも俺は助かっている。


 ありがたい。


 アリアは短い休憩を取るよう勧められたが、扉の近くから離れなかった。


 司祭長も目を休めるよう言われたが、記録を閉じただけで机の前に座っている。


 リリアは聖力糸を維持したまま、呼吸を整えていた。


 俺は毛布の中で丸くなり、カウントダウンを見ないようにしていた。


 見ない。


 見ないぞ。


 今見ても、どうせ大して減っていない。


 気になっても見ない。


 俺は目を閉じる。


 耳を伏せる。


 尻尾を体に巻く。


 少しだけ意識が沈みかける。


 眠るわけではない。


 ただ、目を休めるだけ。


 そう思った瞬間、頭の奥で数字が勝手に浮かんだ。


---


条件達成まで:22時間31分12秒


---


 見えた。


 見ないようにしても見えた。


 やめてほしい。


 カウントダウンの自己主張が強すぎる。


 でも、三十分近くは進んだ。


 少しだけ嬉しい。


 いや、まだ二十二時間半もある。


 嬉しいのか、絶望なのか、よく分からない。


 俺は毛布の中で小さく鳴いた。


「きゅう……」


 リリアがすぐに反応した。


「ノア?」


「きゅ」


 時間です。


 また見えました。


「また少し進みましたか?」


「きゅ」


 はい。


「よかったです」


 リリアはそう言って微笑んだ。


 よかった。


 そう言えるのは強い。


 俺はまだ「長い」としか思えない。


 でも、リリアは減っていることを見てくれる。


 そうか。


 同じ数字でも、見方が違う。


 二十二時間半もある。


 二十三時間から三十分減った。


 どちらも同じだ。


 なら、後者で見た方が少しは楽なのかもしれない。


 俺は小さく息を吐いた。


「きゅ……」


 少しだけ、そう思うことにします。


 リリアは俺の顔を見て、安心したように頷いた。


 その時。


 部屋の四隅に吊るされた白い鈴のうち、窓際ではなく、扉側の鈴が揺れた。


 ちりん。


 小さな音。


 全員が反応した。


 アリアは即座に剣を抜く。


 司祭長が杖を持つ。


 リリアの聖力糸が細く強まる。


 俺の危険察知が開いた。


---


危険察知:中反応


対象:扉外


危険度:中


備考:魔性反応を含む接近物を確認。


---


 扉外。


 窓ではない。


 今度は扉だ。


 俺は毛布の中から顔を出した。


 アリアが扉に向かって低く問う。


「誰です」


 返事はすぐにはなかった。


 廊下の神官兵の声もない。


 沈黙。


 嫌な沈黙。


 次に、扉の外から小さな音がした。


 こつん。


 何かが床に置かれたような音。


 アリアの目が鋭くなる。


「扉から離れなさい!」


 外の神官兵が動く気配。


 だが、その前に、扉の下の隙間から黒い薄い煙のようなものが入り込んできた。


 まずい。


 煙?


 魔性?


 俺の危険察知が跳ね上がる。


---


危険察知:強反応


対象:黒煙


危険度:高


警告:嗅覚および意識への干渉物質を確認。


---


 煙だ。


 しかも意識干渉。


 俺は息を止めた。


 いや、止められているのか分からない。


 小動物の体で息を止めるのは難しい。


 リリアがすぐに手を上げた。


「風ではなく、隔離を!」


 司祭長が頷く。


「ええ!」


 部屋の二層目の結界が光る。


 煙を吹き飛ばすのではなく、床の上で薄い膜に包む。


 風で飛ばせば、部屋中に広がる可能性がある。


 だから隔離。


 さすがだ。


 だが、少しだけ煙が漏れた。


 ほんのわずか。


 それが俺の鼻先に触れる。


「きゅっ……!」


 頭が揺れた。


 一瞬、視界が暗くなる。


 耳の奥で、ガルディアスの声がした。


『白い獣』


 また声。


 今度は煙に乗っている。


『眠れ。夢の中で開け』


 眠れ?


 夢?


 ぞっとした。


 これは直接攻撃ではない。


 俺を眠らせるつもりだ。


 臨界安定中の俺を眠らせ、意識の防御が弱くなったところへ干渉する。


 最悪だ。


 俺は毛布の中で体を硬くした。


---


意識干渉を確認しました。


眠化誘導:微量接触


抵抗中……


---


 眠化誘導。


 やめてほしい。


 眠りたいとは思っていた。


 でも、こういう眠り方は違う。


 自然に休みたいのであって、敵に眠らされたいわけではない。


 俺は必死に目を開けた。


 リリアが俺を見た。


「ノア!」


「きゅ……!」


 眠い。


 まずい。


 俺の体が重くなる。


 ただでさえ臨界状態で疲れている。


 そこに眠気を誘導されたら、抵抗しづらい。


 ガルディアスの声が続く。


『聖女の糸も、眠れば緩む』


 そうか。


 俺だけではない。


 俺が眠って反応が鈍れば、リリアの聖力糸も安定を失う。


 あるいは、俺が無意識に糸を引き込むかもしれない。


 また接続を利用するつもりだ。


 アリアが扉へ踏み込む。


「外を確認します!」


「深追いは禁物です!」


 司祭長の声。


 アリアは扉を開けず、横の小窓から廊下を確認した。


 外の神官兵が二人、膝をついている。


 倒れてはいない。


 だが、意識がぼんやりしているようだ。


 廊下には、小さな黒い筒が転がっていた。


 煙はそこから漏れている。


 魔性具。


 まただ。


 司祭長が杖を掲げる。


「扉前を隔離。廊下側の神官兵を下げなさい。直接触れず、聖布で包む!」


 指示が飛ぶ。


 外が慌ただしくなる。


 だが、俺の眠気は消えない。


 黒煙の一部が、俺の意識に引っかかっている。


『眠れ』


 声がする。


『眠れば楽になる』


 それは少しだけ魅力的だった。


 楽になる。


 眠れる。


 今すぐ、このカウントダウンから逃げられる。


 残り二十二時間なんて考えなくてよくなる。


 体の熱も、角の痛みも、銀紋のざわつきも、全部忘れられる。


 眠れば。


 楽に。


 なれる。


「ノア!」


 リリアの声。


 はっとした。


 危ない。


 今、一瞬本気で眠りたくなった。


 いや、眠りたいのは本当だ。


 でも、この眠気に乗ってはいけない。


 これは敵の誘導だ。


 俺は毛布の中で前足を動かした。


 聖力糸に触れる。


 リリアの糸。


 現実の糸。


 ここにいる証拠。


「きゅう……!」


 俺は必死に鳴いた。


 リリアがすぐに聖力糸を調整する。


 強くではない。


 目を覚まさせるように、細かく、優しく。


 白い光が俺の前足を撫でる。


「ノア、私の声を聞いてください」


「きゅ……」


「眠ってはいけない眠りなら、今は起きていましょう」


 リリアの声は柔らかい。


 でも、はっきりしていた。


「本当に休める時に、ちゃんと休みましょう」


 その言葉が、俺の意識に刺さった。


 本当に休める時。


 そうだ。


 今は違う。


 これは休息ではない。


 罠だ。


 俺は目を開けた。


 眠気の黒い膜が、少しだけ薄れる。


---


保護対象との接続を確認しました。


眠化誘導に抵抗しています。


抵抗率:上昇


---


 よし。


 いける。


 毛布の中で体を丸める。


 聖力糸に前足を押し当てる。


 リリアの声を聞く。


 ガルディアスの声ではなく。


 リリアの声を。


『聖女に依存するほど、器は開く』


 黒い声がまたした。


 だが、さっきより弱い。


 俺は心の中で言い返す。


 依存じゃない。


 いや、少しは依存しているかもしれない。


 でも、それだけじゃない。


 俺もリリアを支えたいと思っている。


 助けられるだけじゃない。


 守りたい。


 それを勝手に器の性質にするな。


「きゅうっ!」


---


感情反応:拒絶


眠化誘導への抵抗が強化されました。


---


 拒絶。


 そうだ。


 拒絶する。


 ガルディアスの声を。


 器という呼び方を。


 眠れという命令を。


 俺は拒絶する。


 司祭長の声が響いた。


「廊下側、魔性筒を封印!」


 外の神官兵が答える。


「封印完了! 煙、収束します!」


 扉下の黒煙が薄れていく。


 部屋の中に隔離された煙も、白い膜の中で小さくなっていく。


 ガルディアスの声が遠ざかる。


『……よく耐える』


 褒めるな。


 気持ち悪い。


『ならば、次は聖女を眠らせる』


 俺の背筋が凍った。


 次はリリア。


 やっぱりそう来る。


 俺を眠らせられないなら、リリアを狙う。


 聖力糸の維持者を崩せば、俺も崩れる。


 分かりやすく最悪な手だ。


「きゅう!」


 俺は叫んだ。


 リリアが目を見開く。


「ノア?」


 どう伝える。


 リリアが狙われる。


 眠らされる。


 危険。


 俺は必死にリリアの手を見る。


 聖力糸。


 そしてリリアの顔。


 目。


 眠り。


 どう伝える。


 俺は毛布の中から前足を出し、目を閉じる仕草をした。


 いや、できているか分からない。


 小動物の前足で「眠る」を表現するのは難しい。


 リリアが首を傾げる。


「眠い……?」


「きゅう!」


 違う。


 いや、そう。


 でも俺じゃなくて。


 俺はリリアを見て、また目を閉じるように顔を伏せた。


 アリアが先に気づいた。


「聖女様が眠らされる?」


「きゅ!」


 それです!


 アリアの顔が一気に険しくなる。


「司祭長、ガルディアスの次手は聖女様への眠化誘導かもしれません」


 司祭長が即座に頷く。


「リリア様の周囲に覚醒結界を追加します。ただし強すぎないように」


 リリアが俺を見る。


「ノアが教えてくれたのですね」


「きゅ……」


 たぶん、伝わりました。


「ありがとうございます」


 リリアはそう言って、少しだけ表情を引き締めた。


「私は、眠らされません」


 強い。


 だが、アリアがすぐに言う。


「聖女様。気合いだけでは防げません」


「はい」


「眠気や違和感があれば、即座に申告してください」


「分かりました」


「大丈夫は禁止です」


「はい」


 完璧だ。


 アリアさん、本当に頼もしい。


 司祭長がリリアの周囲に薄い覚醒結界を張る。


 強い聖光ではなく、空気を少し澄ませるような結界だ。


 俺にも刺激は少ない。


 リリアの聖力糸も乱れない。


---


周辺環境:覚醒補助を確認しました。


臨界安定:維持


---


 よし。


 これなら少しは防げるはず。


 黒煙は完全に封じられた。


 廊下の神官兵も、軽い眠気だけで済んだらしい。


 命に別状はない。


 だが、部屋の空気は重くなった。


 ガルディアスは見ているだけではない。


 探っている。


 試している。


 そして次の手を口にした。


 リリアを眠らせる。


 それを防ぐ準備はできた。


 でも、次がそれだけとは限らない。


 俺は毛布の中で、カウントを見た。


---


条件達成まで:21時間47分33秒


---


 いつの間にか、二十一時間台に入っていた。


 煙の対処。


 眠気への抵抗。


 リリアへの警告。


 その間に、時間は一時間近く進んでいたらしい。


 嬉しい。


 でも、疲れた。


 時間が進むたびに、俺も削られていく気がする。


 リリアが俺を覗き込む。


「ノア、少し休めそうですか?」


「きゅ……」


 休みたいです。


 でも、眠るのは怖いです。


 リリアは少し考えた。


「では、眠らずに休みましょう」


 そんなことできるのか。


 俺が困惑していると、リリアは優しく言った。


「目を閉じなくても、体の力を抜くだけで少し休めます。私もそうします」


 なるほど。


 眠らない休憩。


 今の状況には合っているかもしれない。


 俺は毛布の中で、少しだけ体を緩めた。


 目は開けたまま。


 聖力糸に触れたまま。


 リリアも椅子に座り直し、目を開けたまま呼吸を整えた。


 アリアは扉を見ている。


 司祭長は結界を確認している。


 部屋の外では神官兵が警戒を続けている。


 誰も完全には休めない。


 それでも、少しだけ息を整える。


 夜はまだ長い。


 俺のカウントダウンも、まだ二十一時間以上ある。


 ガルディアスは、また来るだろう。


 だが、今回も耐えた。


 俺は眠らなかった。


 リリアにも警告できた。


 少しだけ、前に進んだ。


 俺は小さく鳴いた。


「きゅ……」


 聖女様。


 毛布で守られているのに、眠ることさえ罠になるなんて聞いていません。


 でも。


 眠らずに休む方法を教えてくれるあたり、やっぱりあなたは聖女様です。

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