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第22話 聖女様、珍生物を毛布で守ろうとしています

 作りかけの小さな毛布が、リリアの膝の上にあった。


 白い布。


 柔らかい手触り。


 端には中立紋が細く縫い込まれている。


 それは、俺のための毛布らしい。


 珍生物用。


 角つき。


 銀紋あり。


 臨界安定中。


 用途説明がどんどんおかしくなっていく。


 俺は結界台の上で、その毛布をじっと見ていた。


 普通なら、毛布を作ってもらうだけでかなり平和な場面だ。


 小動物を拾った聖女が、夜に小さな毛布を作ってくれる。


 それだけなら、ほのぼのだ。


 だが現実は違う。


 部屋の外には神官兵。


 窓は封鎖。


 床下には感知聖印。


 天井裏には封印札。


 隣の祈祷室にも神官が詰めている。


 さらに外には、俺を「器」と呼ぶ魔性研究者ガルディアスがいるかもしれない。


 そして俺の頭の奥では、進化条件達成までの残り時間が減り続けている。


---


条件達成まで:23時間06分04秒


---


 まだ二十三時間以上。


 長い。


 本当に長い。


 さっきから、十分ちょっとしか進んでいない。


 毛布を作って、偵察されて、警備が動いて、少し会話して。


 それでも、たったそれだけ。


 時間は減っている。


 でも遅い。


 遅すぎる。


 俺は小さく鳴いた。


「きゅう……」


 リリアがすぐに顔を上げる。


「ノア、また時間が気になりますか?」


「きゅ」


 はい。


 ものすごく。


 リリアは少し困ったように微笑んだ。


「分かってしまうのも、大変なのですね」


 その通りです。


 分からなければ不安。


 分かったら長い。


 どちらにしてもつらい。


 俺は前足の先で、聖力糸にそっと触れた。


 リリアの糸は、相変わらず細くて柔らかい。


 白い光が、俺の前足に絡むでもなく、縛るでもなく、ただ添えられている。


 この糸のおかげで、俺は安定している。


 だが、この糸があるからこそ、リリアは俺から離れられない。


 俺を支えるために、リリアもここに縛られている。


 そう思うと、心が少し沈んだ。


「きゅ……」


 リリアは俺の顔を見て、静かに言った。


「ノア、また謝ろうとしていますか?」


 鋭い。


 本当に鋭い。


 俺は目をそらした。


「きゅ」


 少しだけ。


「謝らなくていいです」


 リリアはゆっくり首を横に振った。


「私がここにいるのは、私がそうしたいからです」


 その声は穏やかだった。


「ノアが私を守ろうとしてくれたように、私もノアを守りたいのです」


 俺は何も言えなかった。


 鳴き声すら、少し詰まった。


 リリアはずるい。


 こういう時だけ、迷いなく真っ直ぐな言葉をくれる。


 俺は低級魔物だ。


 見た目は珍しい獣。


 中身は元人間。


 自分でも、自分が何なのか分からなくなってきている。


 だが、リリアは迷わず言う。


 ノアだと。


 守りたい相手だと。


 その言葉が、俺を俺のままつなぎ止める。


---


精神状態の安定を確認しました。


臨界安定:維持


---


 ステータス画面が静かに浮かぶ。


 やはり、リリアの言葉は効く。


 聖力より、結界より、毛布より、ある意味で強い。


 俺は小さく鳴いた。


「きゅ……」


 ありがとうございます。


 リリアは微笑んだ。


「どういたしまして」


 アリアが少し離れたところで、静かに息を吐く。


「完全に会話が成立していますね」


「ノアは賢いので」


「聖女様、それだけで済ませてはいけない段階に入っています」


「とても、とても賢いので」


「二回重ねても同じです」


 いつものやりとりだ。


 そのやりとりを聞いて、俺は少しだけ力を抜いた。


 怖い時間の中に、いつもの会話が混ざる。


 それだけで、部屋の空気がわずかに変わる。


 この空気を、ガルディアスに壊されたくない。


 俺はそう思った。


     ◇


 リリアの毛布作りは、慎重に続けられた。


 大きな裁縫ではない。


 針仕事のほとんどは侍女長が手伝う。


 リリアは布を押さえたり、中立紋の位置を確認したり、小さな角用の余裕を作ったりするだけだ。


 角用の余裕。


 俺はその言葉に引っかかった。


 もう完全に角前提である。


 個性という言い訳はどこへ行った。


「聖女様」


 アリアが布を見て言った。


「その膨らみは何ですか」


「ノアの大切な個性が当たらないようにする部分です」


「角用ですね」


「大切な個性用です」


「角用ですね」


「……個性用です」


 リリアが少しだけ粘る。


 アリアも引かない。


 俺は結界台の上で、無言で耳を伏せた。


 どちらでもいい。


 いや、よくない。


 でも、もう角なのは事実だ。


 俺が認めたくないだけである。


 司祭長が記録を見ながらぽつりと言った。


「進化後にさらに伸びる可能性もありますな」


 やめて。


 今それを言わないで。


 俺は思わず鳴いた。


「きゅう!?」


 リリアがすぐに司祭長を見る。


「司祭長、ノアが怖がります」


「失礼しました」


 司祭長は素直に頭を下げた。


「しかし、可能性としては考えておくべきでしょう」


「考えるだけにしてください」


 リリアは真面目だった。


 俺は少しだけ救われた気がした。


 そうだ。


 考えるだけにしてほしい。


 口に出されると、想像してしまう。


 進化後。


 角が伸びる。


 体が大きくなる。


 銀紋が増える。


 翼が生える可能性もあるのだろうか。


 リリアなら、それでもきっと言う。


 大きくなりましたね、と。


 いや、角が伸びたら。


「個性が立派になりましたね」


 とか言うかもしれない。


 だいぶありそうだ。


 俺は自分で想像して、少しだけ気が抜けた。


---


精神状態:安定傾向


---


 また出た。


 ステータス画面は、俺の微妙な感情にも反応するらしい。


 笑うほどではない。


 でも、少しだけ怖さが薄れた。


 その時だった。


 窓際の白い鈴が、かすかに震えた。


 ちりん。


 小さな音。


 部屋の空気が一瞬で固まる。


 アリアが剣に手を伸ばす。


 司祭長が杖を構える。


 リリアの聖力糸がわずかに強まる。


 俺の危険察知が開いた。


---


危険察知:微反応


対象:窓外


危険度:低


備考:監視視線を確認。


---


 また監視視線。


 攻撃ではない。


 ただ見ている。


 だが、今回は前よりも近い気がした。


 窓の外。


 庭の向こう。


 外壁のさらに先。


 闇の中から、黒い視線がこちらを撫でている。


 俺だけではない。


 リリアも。


 毛布も。


 部屋の結界も。


 全部、見られているような感覚だった。


「きゅ……」


 俺は小さく鳴いた。


 アリアが即座に窓側へ移動する。


「また偵察ですか」


 司祭長が目を細める。


「反応は弱い。ですが、前回より焦点が合っています」


「焦点?」


「こちらを探っているのではなく、見たいものを選んで見ている」


 嫌な言い方だった。


 見たいもの。


 俺か。


 リリアか。


 それとも、俺とリリアをつなぐ聖力糸か。


 リリアは聖力糸を乱さないようにしながら、静かに俺を見た。


「ノア、今は攻撃ではありませんか?」


「きゅ」


 はい。


 たぶん、まだ攻撃ではないです。


 でも、気持ち悪いです。


 かなり。


 リリアは頷いた。


「アリア」


「はい」


「外の警備を動かしてください。ただし、深追いはしないでください」


「承知しました」


 アリアが短く指示を飛ばす。


 神官兵たちが庭へ回る。


 外壁付近の警備も動く。


 しかし、黒い視線はすぐには消えなかった。


 むしろ、一瞬だけ強まった。


 その瞬間、俺の頭の中に、かすれた声が響いた。


『……白い獣』


 俺は固まった。


 耳ではない。


 頭の内側に直接届いた。


 声。


 低い男の声。


 乾いた、古い紙を擦るような声。


『やはり、育っている』


「きゅっ……!」


 俺は反射的に鳴いた。


 リリアが立ち上がりかける。


 聖力糸が揺れる。


 アリアが振り返る。


「ノア!」


 ステータス画面が開いた。


---


精神干渉を確認しました。


対象:ノア個体


危険度:中


警告:外部音声が意識領域に接触しています。


---


 精神干渉。


 最悪だ。


 見ているだけではなかった。


 声を送ってきた。


 リリアには聞こえていない。


 たぶん、俺だけに。


 俺は体を丸めようとした。


 しかし角が布に当たりかける。


 毛布はまだ完成していない。


 結界台のくぼみに頭を押し込むようにして、俺は震えた。


『器は、聖女に懐くほどよく開く』


 また声。


 俺の中に入ってくる。


 気持ち悪い。


 吐き気がする。


 俺は必死に抵抗した。


 聞くな。


 入れるな。


 あれは俺の声ではない。


 俺の考えではない。


 ガルディアスの声だ。


 俺を器と呼ぶ男の声だ。


「きゅう……!」


 リリアがすぐに聖力糸を調整した。


 強くするのではない。


 細く、柔らかく、でも俺を包むように。


「ノア、私の声を聞いてください」


 リリアの声がする。


 現実の声。


 部屋の中の声。


 俺をノアと呼ぶ声。


「あなたはノアです」


『器だ』


「ノアです」


『聖女のために開く器だ』


「ノアです」


 リリアの声が、ガルディアスの声を押し返す。


 俺は前足で聖力糸に触れた。


 離れない。


 この声を聞く。


 リリアの声を。


「きゅう……!」


---


保護対象との接続を確認しました。


精神干渉への抵抗を開始します。


臨界安定:維持


---


 よし。


 耐えられる。


 リリアの聖力糸がある。


 俺は一人ではない。


 アリアが窓へ剣を向ける。


「司祭長、声ですか」


「おそらく精神系の遠隔干渉です。直接術式を飛ばすより細い。結界をすり抜けている」


「斬れますか」


「対象が見えれば」


「見えないなら?」


「流路を探します」


 司祭長が杖を床につける。


 部屋の三層結界が淡く光る。


 感知。


 遅延。


 隔離。


 細い黒い糸のようなものが、窓の外から部屋の隅へ伸びているのが見えた。


 いや、見えた気がした。


 実際に見えているのか、危険察知が認識しているのかは分からない。


 だが、そこにある。


 俺に声を届けている黒い流路。


 アリアが剣を構える。


「そこですね」


 司祭長が頷く。


「まだ切らないでください。切れば反動がノアに返る可能性があります」


 やめて。


 反動は嫌です。


 俺は小さく震えた。


 リリアがさらに声をかける。


「ノア、大丈夫です。こちらを見てください」


 俺はリリアを見た。


 青い瞳。


 優しいけれど、強い目。


「ガルディアスが何を言っても、ノアはノアです」


 その言葉に、黒い声が一瞬だけ弱まった。


『……聖女の情は、よく育つ』


 声は笑っているようだった。


『ならば、その情ごと使えばよい』


 次の瞬間、黒い流路が震えた。


 声が、俺ではなくリリアの聖力糸へ向かう。


 やばい。


 リリアの糸を通して、逆にリリアへ干渉するつもりだ。


---


危険察知:強反応


対象:聖力糸


危険度:高


警告:接続反転の兆候があります。


---


 接続反転。


 リーネの床下術式と似ている。


 俺とリリアをつなぐものを、逆に利用する。


 またか。


 本当に、この男はそういうことばかりする。


 俺は前足に力を込めた。


 聖力糸に触れる。


 逃げるのではなく、押さえる。


 黒い流路が糸に絡もうとした瞬間。


 俺の銀紋が光った。


---


仮スキル:聖魔変換膜 が反応しました。


対象:聖力糸周辺


外部干渉を変換します。


---


 白銀の膜が、俺の前足の周囲に広がる。


 小さい。


 薄い。


 でも、黒い流路を包んだ。


 黒い声が歪む。


『……その状態で、まだ変換するか』


 ガルディアスの声に、初めて苛立ちが混ざった。


 ざまあ。


 いや、ざまあと思っている余裕はない。


 膜は薄い。


 すぐ破れそうだ。


 だが、リリアの聖力糸がそれを支える。


 俺は変換する。


 リリアは安定させる。


 黒い干渉を、白銀の膜に変える。


 それは、リーネの時にやったことと似ていた。


 だが今回は、遠隔だ。


 相手はガルディアス本人かもしれない。


 格が違う。


 負荷も大きい。


---


負荷:低寄り → 中


警告:長時間の干渉対応は危険です。


---


 知ってる。


 早く終わらせたい。


 でも、下手に切れば反動が返る。


 なら、どうする。


 俺は危険察知に集中した。


 黒い流路。


 窓の外。


 庭の向こう。


 外壁の先。


 その先に、さらに薄い中継点がある。


 小さな黒い石。


 視線と声を飛ばすための魔性具。


 本人ではない。


 ガルディアスは、魔性具を通して俺を見ている。


 俺は鳴いた。


「きゅう!」


 窓の外を示す。


 アリアが反応する。


「外の中継具ですか」


「きゅ!」


 たぶん!


 司祭長が杖を掲げる。


「外壁付近の警備へ伝令! 黒い石、または小型の魔性具を探せ! ただし直接触れるな!」


 指示が飛ぶ。


 外の神官兵たちが動く。


 黒い流路が揺れる。


 ガルディアスの声が低くなる。


『見えるのか』


 見えます。


 残念でした。


 いや、怖いけど。


 でも、見えます。


『面白い』


 面白くない。


 全然面白くない。


『やはり、三日目が楽しみだ』


 その言葉に、俺の中で怒りが少しだけ湧いた。


 楽しみ。


 俺が苦しんでいることを。


 リリアが消耗していることを。


 神殿中が警戒していることを。


 全部、研究の経過みたいに見ている。


 ふざけるな。


 俺は前足に力を込めた。


 白銀の膜が強くなる。


「きゅううっ!」


---


感情反応:怒り


聖魔変換膜の出力が一時上昇しました。


---


 怒りで出力が上がった。


 それはそれで怖い。


 でも、今は使う。


 黒い流路がさらに薄くなる。


 リリアが俺の名前を呼ぶ。


「ノア、無理をしすぎないでください」


「きゅ……!」


 無理ではあります。


 でも、これはやります。


 俺の中に入ってきた声を。


 リリアの糸に触れようとした干渉を。


 そのままにはしない。


 アリアが窓の方を見据えたまま言った。


「外壁付近、発見したようです!」


 部屋の外から神官兵の声が響く。


「黒い小石を確認! 封印布で包みます!」


 その瞬間、黒い流路が大きく揺れた。


 ガルディアスの声が遠くなる。


『白い獣』


 まだ呼ぶ。


『お前は、いずれ自分から器になる』


 嫌だ。


 絶対に嫌だ。


『聖女を守るためなら、お前は開く』


 俺は息を呑んだ。


 その言葉だけは、少しだけ刺さった。


 リリアを守るためなら。


 俺は無茶をする。


 それは事実だ。


 ガルディアスは、そこを見ている。


 俺がリリアを守りたいと思うほど、器として開く。


 そう言いたいのか。


 ふざけるな。


 俺の気持ちを、勝手に道具にするな。


 リリアが静かに言った。


「ノア」


 俺はリリアを見る。


「守りたい気持ちは、誰かに利用されるためのものではありません」


 リリアの声が、また俺を引き戻した。


「私も、ノアを守りたい。だからこそ、ガルディアスの思い通りにはさせません」


 その言葉と同時に、外の神官兵が叫んだ。


「封印完了!」


 黒い流路が、ぷつりと切れた。


 反動は来なかった。


 少なくとも、強いものは。


 俺はその場で力が抜けた。


 結界台の上に、ぺたんと伏せる。


---


精神干渉を遮断しました。


聖力糸への接続反転を回避しました。


臨界安定:維持


負荷:中 → 中低


---


 助かった。


 今回も、何とか。


 俺は荒い息を吐いた。


「きゅ……」


 リリアがすぐに覗き込む。


「ノア、大丈夫ですか?」


「きゅ」


 大丈夫です。


 禁止されている言葉だけど、今は俺が言う側なので許してください。


 アリアが外から戻った報告を受け、司祭長へ伝える。


「黒い石は封印済み。庭の外壁に埋め込まれていたようです」


 司祭長の顔が険しい。


「こちらの警備配置を見た後、声を通す流路へ切り替えたのでしょう。完全にこちらを試している」


「次はさらに強く来ると?」


「ええ」


 嫌な予想だ。


 でも、たぶん当たっている。


 ガルディアスはまだ本気で来ていない。


 今は試しているだけ。


 視線。


 声。


 聖力糸への接続反転。


 それで俺たちの反応を見ている。


 リリアは膝の上の毛布を見た。


 そして、そっと俺の方へ持ってくる。


「ノア、少しかけてもいいですか?」


「きゅ……」


 お願いします。


 リリアは作りかけの毛布を、俺の背中にそっとかけた。


 まだ端は縫い終わっていない。


 でも、柔らかい。


 温かい。


 中立紋のおかげか、聖属性の刺激も少ない。


 俺は毛布の中で、小さく丸まった。


 角用の余裕がある。


 そこが少し悔しいが、楽だ。


---


安定補助:簡易毛布


精神状態:安定傾向


---


 毛布にステータスが出た。


 もう何でもありだ。


 でも、助かる。


 リリアが優しく言った。


「ノアは、ノアです」


「きゅ……」


 はい。


「器ではありません」


「きゅ」


 はい。


「私たちが守る子です」


 俺は毛布の中で、少しだけ目を閉じた。


 眠るわけではない。


 まだ眠れない。


 でも、一瞬だけ、力を抜いた。


---


条件達成まで:22時間58分02秒


---


 二十二時間台に入った。


 まだ長い。


 でも、二十三時間台は抜けた。


 少しだけ、進んだ。


 外にはガルディアスがいる。


 次はもっと強く来るだろう。


 俺はそれを分かっている。


 それでも、背中にはリリアの作った毛布がある。


 前足には聖力糸がある。


 部屋にはアリアがいて、司祭長がいて、神官兵たちが守っている。


 俺は一人ではない。


 だから、まだ耐えられる。


 たぶん。


 俺は小さく鳴いた。


「きゅ……」


 聖女様。


 毛布で魔性研究者に対抗する日が来るとは思いませんでした。


 でも。


 意外と、悪くないです。

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