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大悪令嬢──蟲這う大陸で戦士達は詠う──  作者: ぐんそう
第三章 狂信者たちの鎮魂歌
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15.最凶の悪鬼と帝国将軍

 ライカは屋敷に足を踏み入れた。神殿騎士たちには、地下にいるベルンの民を手厚く保護するよう厳命してある。


(勝手知ったる我が家だな)

『当時のままだ……』


 一階の広間から階段を上り、かつての自室の扉を開ける。

 家具の配置も、壁に飾られた装飾も、全てが当時のままである。壁に掛けられた母の肖像画を見上げた。


(相変わらずの別嬪だな)

『流石の母上だ』


 そして、あの日と同じように、部屋の隅にある姿見に映る自分を見つめた。

 当時と比べて背は随分と伸びた。体の所々が女らしく丸みを帯びているが、何よりもその瞳が、厳しい戦場を駆け抜けた戦士のものへと変貌していた。


(『野生のアデレータ嬢』って表現するのが正しいか?)


 悪鬼は笑いながら茶化す。


『ハッ、言い得て妙だ』

(チッ)


 からかいをまともに取り合わず、逆に皮肉で切り返したエルマに対し、悪鬼は忌々しげに舌打ちをした。


 ライカは机の前に立ち、その引き出しを開けた。

 そこには、かつてトムがくれた『菫色の石』に紐を通した手製のペンダントが、大切にしまわれていた。あの日、着の身着のままで逃げ出したために置いてきてしまった、彼女の宝物だ。

 そっと取り出し、首にかける。石の冷たさが、心地よく胸元に収まった。


 コンコン、と。

 開け放たれた扉をわざわざノックして、ザックが声をかけてきた。


(こういうところがお行儀いいんだぜ? ザック)

「ライカ、どうすんだ?」

「私はこの部屋を貰う。あとは好きに使え。風呂もあったぞ」

「おお! そりゃいい!」

「皆入ったら教えてくれ。私は最後に入る」


 ザックが去っていったのを確認すると、ライカは扉を閉めて、調達しておいた様々な草をすり潰す作業に入った。

 黄金の瞳で調合の具合を見極めながら、綿密に作業を進める。


(こういう時は頼りやがって)

『私はか弱い令嬢だからな。洗料まで作れるとは恐れ入った』

(ハッ)


 そして、簡単に夕食をとり、風呂に入って身の汚れを洗い落とすと、天蓋付きのベッドに倒れこんだ。


『体がいたいですぅ。お馬さんはもういやぁ……ってな』

(酸味が効いてやがるぜ)


 かつての自分の情けない泣き言をあえて口にしたエルマに、悪鬼は愉快そうに嗤う。

 その夜、ライカ――いや、エルマは久方ぶりに深い眠りについた。


 * * *


 翌朝。

 目が覚め、身支度を整えて扉を開けた。

 皆が待つ、地下室へと歩を進める。


「おう、ライカ。――!?」


 廊下ですれ違ったザックが、その姿を見るなり絶句して固まった。その反応が面白い。


「その髪……金……、それに、ドレス……?」

「似合っているか?」

「あ、ああ……」


 血と狂気にまみれた冷酷な将軍、銀狼の面影はそこにはない。目の前にいるのは、透き通るような金糸の髪を揺らす、絶世の美貌を持った深窓の令嬢だった。

 言葉を失う副長に対し、彼女は静かに問いかける。


「ザック。ザックはついてきてくれるか?」

「……俺の将軍は、ライカしかいねーよ」

「……ザック。ありがとう」


 それは、今まで戦場で見せていた狂気や冷笑とは全く違う、蕩けるような笑みだった。

 破壊的なまでの美しさと無垢な笑顔に、ザックは思わずカッと顔を熱くして目を逸らす。そして、照れを誤魔化すようにぶっきらぼうに言うのだった。


「……がんばれよ」


 * * *


「一体なんだっていうんだ。地下に集めてさ。アレク、早く説明してくれよ」

「皆殺しなんてことはないだろうか?」

「攻めてきたのは帝国の銀狼とかいう将軍らしい。苛烈で冷酷だということだ」


 ベルンの民は地下で身を寄せ、震えながら刻がくるのを待っていた。

 アレクはアレクで、壁際で一人静かに瞑想をしている。これは彼の出陣前の習慣だ。

 トムは上の空で昨日の光景を思い浮かべる。銀が舞い、神速の一閃。たなびく狼と薔薇の外套。なんと神々しく、美しいことか。


 各々が思い思いの不安と緊張を抱えていると、唐突に地下の重い扉が開け放たれた。

 そして、扉を開けた神殿騎士が、恭しくその場に跪く。

 皆殺しか、それとも奴隷として連行されるのか……。コツ、コツ、と階段をゆっくり下りる足音が聞こえてくる。ベルンの民の間に張り詰めた緊張が走った。


 足音は入口前で一旦止まったかと思うと、やがてその主が姿を現した。


 輝く金糸の髪を揺らし、白磁のような肌。美を体現したかのような造形。

 誰もが、見覚えがあった。彼らの記憶にある姿よりも、遥かに洗練された破壊的な美しさを伴っているが、間違いない。


 女は、ドレスの隠し鞘から一振りの刃を引き抜く。

 無骨な短剣だ。ドレス姿に無骨な短剣。そのあまりの歪さに、ざわめきかけた民の心が急激に冷える。

 そんなこと、あるわけがない。空似だ。やはり、いまここであの短剣で一人ずつ殺されるのだ、と。


 だが、作り話のような美女は切先を静かに下げた。

 そこから、刃を下から水平に鋭く切り上げる。流れるような動作で手首を返し、そのまま反対方向へと水平に空を薙ぐ。

 最後に、柄を両手で力強く握り込み、刃を垂直にして胸の前に高く掲げた。


 その動作が続くにつれ、民たちの目が驚愕に限界まで見開かれていく。まさか。まさか。


「黒曜の牙の戦士が一人、エルマ・ベルン! ……待たせたな」


 黒曜の牙の剣儀。誇り高き名乗り。

 ヘレンも、トムも、すべての民が絶句した。あまりの出来事に、誰も言葉が出ない。


「……皆、助けに来たよ」


 水を打ったように静まり返る民衆を見て不安になったのか。

 彼女は先ほどまでの凛々しい戦士の顔を崩し、いつものように眉を八の字にして、ボロボロと涙を溢れさせた。


「お嬢! エルマお嬢!?」

「エルマ様! エルマ様ぁぁぁぁぁ!」


 その泣き顔を見て、すべてを理解した。

 トムは堪えきれず駆け出し、涙を流して両手を広げるエルマの胸へと、力いっぱい抱き着いたのだった。


 * * *


「『ベルン』か。そりゃ、予想外だ。そして『黒曜の牙』。ちょっと情報量が多いぜ、ライカ」


 その感動的な再会の光景を、開け放たれた扉の影から見守りながら、ザックが頭を掻いて呟いた。


「ふ、副長!? ライカ将軍は、オルディスの……!?」

「ベレス、カイ、キース、ロッジ。お前らは帰ってもいいぞ。俺は残る」


 ザックは事も無げに言ってのける。

 彼ら帝国兵にとって、敵国であるオルディスの貴族に与することは、明確な国家反逆罪を意味する。ザックはそれを分かった上で、彼らに逃げ道を提示したのだ。


「……見くびらないでください」

「お前ら……」

「ライカ将軍の近くの方がモテますからね。何より、こっちのが|(うた)になりやすいとみた」

「だな。おれも吟遊詩人の題材になりたいしな」

「同じく」

「どうせ死ぬなら、美女の下がいいっすわ」


 元々は生真面目な帝国の守備兵だったはずの彼らは、いつの間にかすっかり、悪鬼と副長の不敵なノリに染まりきっていた。


 命がけの重い選択を、あえて軽口で返す。その目には、祖国よりも「ライカ・ローサ」という一人の将軍への忠誠が、揺るぎなく宿っていた。


「あぁ、アーティア様。我等の信仰が一段上に昇華したことにより、御身の本来の姿の一部を……」

(こいつらは心配いらねぇか)


 とザックは溜息をつくのだった。


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