15.見ていろ。復讐の牙は貴様等を食いつぶす
エルマは屋敷に足を踏み入れた。神殿騎士たちには、地下にいるベルンの民を手厚く保護するよう厳命してある。
(勝手知ったる我が家だな)
『当時のままだ……』
一階の広間から階段を上り、自室の扉を開ける。
家具の配置も、壁に飾られた装飾も、全てが当時のままである。壁に掛けられた母の肖像画を見上げた。
(相変わらずの別嬪だな)
『流石のお母様だ』
そして、あの日と同じように、部屋の隅にある姿見に映る自分を見つめた。
当時と比べて背は随分と伸びた。体の所々が女らしく丸みを帯びているが、何よりもその瞳が、戦場を駆け抜けた戦士のものへと変貌していた。
(野生のアデレータ嬢って表現するのが正しいか?)
悪鬼は笑いながら茶化す。
『ハッ、言い得て妙だ』
(チッ)
からかいをまともに取り合わず、逆に皮肉で切り返したエルマに対し、悪鬼は忌々しげに舌打ちをした。
机の前に立ち、引き出しを開ける。
あった。トムがくれた『菫色の石』に紐を通した手製のペンダントが。
あの日、着の身着のままで逃げ出したために置いてきてしまった、大切な宝物だ。
そっと取り出し、首にかける。石の冷たさが、心地よく胸元に収まった。
コンコン、と。
開け放たれた扉をわざわざノックして、ザックが声をかけてきた。
(こういうところがお行儀いいんだぜ? ザック)
「ライカ、どうすんだ?」
「私はこの部屋を貰う。あとは好きに使え。風呂もあったぞ」
「おお! そりゃいい!」
「皆入ったら教えてくれ。私は最後に入る」
ザックが去っていったのを確認すると、エルマは扉を閉めて、悪鬼に主導権を渡し、調達しておいた様々な草をすり潰す作業に入った。
調合の具合を見極めながら、綿密に作業を進める。
(こういう時は頼りやがって)
『私はか弱い令嬢だからな。洗料まで作れるとは恐れ入った』
(ハッ)
そして、簡単に夕食をとり、風呂に入って身の汚れを洗い落とすと、天蓋付きのベッドに倒れこんだ。
『体がいたいですぅ。お馬さんはもういやぁ……ってな』
(酸味が効いてやがるぜ)
昔の自分の情けない泣き言をあえて口にしたエルマに、悪鬼は愉快そうに嗤う。
その夜、ライカ――エルマは久方ぶりに深い眠りについた。
翌朝。
目が覚め、身支度を整えて扉を開けた。
皆が待つ、地下室へと歩を進める。
「おう、ライカ。――!?」
廊下ですれ違ったザックが、その姿を見るなり絶句して固まった。その反応が面白い。
「その髪……金……それに、ドレス……?」
「似合っているか?」
「あ、ああ……」
今、ザックが見ているのは血と狂気にまみれた冷酷な将軍、銀狼のライカ・ローサではない。きっと、夢と砂糖に塗れたような甘ったるい貴族の令嬢の姿であることだろう。
言葉を失っている副長に対し、エルマは静かに問いかける。
「ザック。ザックはついてきてくれるか?」
「……俺の将軍は、ライカ・ローサしかいねーよ」
「……ザック。ありがとう」
――それは、今まで戦場で見せていた狂気や冷笑とは全く違う、蕩けるような笑みだった。
ザックは顔を熱くして目を逸らす。そして、照れを誤魔化すようにぶっきらぼうに言うのだった。
「……がんばれよ」
* * *
「一体なんだっていうんだ。地下に集めてさ。アレク、早く説明してくれよ」
「皆殺しなんてことはないだろうか?」
「攻めてきたのは帝国の銀狼とかいう将軍らしい。苛烈で冷酷だということだ」
ベルンの民は地下で身を寄せ、震えながら刻がくるのを待っていた。
アレクはアレクで、壁際で一人静かに瞑想をしている。これは彼の出陣前の習慣だ。
トムは上の空で昨日の光景を思い浮かべる。銀が舞い、神速の一閃。たなびく狼と薔薇の外套。なんと猛々しくも流麗なことか。
各々が思い思いの不安と緊張を抱えていると、唐突に地下の重い扉が開け放たれた。
そして、扉を開けた神殿騎士が、恭しくその場に跪く。
皆殺しか、それとも奴隷として連行されるのか……。コツ、コツ、と階段をゆっくり下りる足音が聞こえてくる。ベルンの民の間に張り詰めた緊張が走った。
足音は入口前で一旦止まったかと思うと、やがてその主が姿を現した。
輝く金糸の髪を揺らし、白磁のような肌。美を体現したかのような造形。
誰もが、見覚えがあった。彼らの記憶にある姿よりも、遥かに洗練された破壊的な美しさを伴っているが、間違いない。
女は、ドレスの隠し鞘から一振りの刃を引き抜く。
無骨な短剣だ。ドレス姿に無骨な短剣。そのあまりの歪さに、ざわめきかけた民の心が急激に冷える。
そんなこと、あるわけがない。空似だ。やはり、いまここであの短剣で一人ずつ殺されるのだ、と。
だが、作り話のような美女は切先を静かに下げた。
そこから、刃を下から水平に鋭く切り上げる。流れるような動作で手首を返し、そのまま反対方向へと水平に空を薙ぐ。
最後に、柄を両手で力強く握り込み、刃を垂直にして胸の前に高く掲げた。
その動作が続くにつれ、民たちの目が驚愕に限界まで見開かれていく。まさか、まさか。と。
「黒曜の牙の戦士が一人、エルマ・ベルン! 巨狼の遠吠えに血を滾らせ、ベルン焼べし痴れ者を、嚙み殺すべく蘇ったぞ――みんな、待たせたな。復讐だ」
黒曜の牙の剣儀。誇り高き名乗り。
ヘレンも、トムも、すべての民が絶句した。あまりの出来事に、誰も言葉が出ない。
「……皆、助けに来たよ」
水を打ったように静まり返る民衆を見て不安になったのか。
彼女は先ほどまでの凛々しい戦士の顔を崩し、いつものように眉を八の字にして、ボロボロと涙を溢れさせた。
「お嬢! エルマお嬢!?」
「エルマ様! エルマ様ぁぁぁぁぁ!」
その泣き顔を見て、すべてを理解した。
トムは堪えきれず駆け出し、涙を流して両手を広げるエルマの胸へと、力いっぱい抱き着いたのだった。
「『ベルン』か。そりゃ、予想外だ。そして『黒曜の牙』。ちょっと情報量が多いぜ、ライカ」
ベルンの民とライカの再会の光景を、開け放たれた扉の影から見守りながら、ザックが頭を掻いて呟いた。
「ふ、副長!? ライカ将軍は、オルディスの……!?」
「ベレス、カイ、キース、ロッジ。お前らは帰ってもいいぞ。俺は残る」
ザックは事も無げに言ってのける。
彼ら帝国兵にとって、敵国であるオルディスの貴族に与することは、明確な国家反逆罪を意味する。ザックはそれを分かった上で、彼らに逃げ道を提示してやった。
「……見くびらないでください」
「お前ら」
「ライカ将軍の近くの方がモテますからね。何より、こっちのが詠になりやすいとみた」
「だな。おれも吟遊詩人の題材になりたいしな」
「同じく」
「どうせ死ぬなら、美女の下がいいっすわ」
元々は生真面目な帝国兵だったはずの彼らは、いつの間にかすっかり狼と薔薇に染まりきっていた。
命がけの重い選択を、あえて軽口で返す。その目には、祖国よりも「ライカ・ローサ」という一人の将軍への忠誠が、揺るぎなく宿っていた。
「あぁ、アーティア様。我等の信仰が一段上に昇華したことにより、御身の本来の姿の一部を……」
(こいつらは心配いらねぇか)
と神殿騎士を横目にザックは溜息をつくのだった。




