13.怯えて震えるただの子供
焼け落ちたベルン領の跡地。
乾いた風が吹き抜けるたび、思わずむせるような土埃が舞い上がる。
公爵軍の監視の下、石材や木材の運搬、荒れ地の開墾など、生き残った旧ベルンの民に課せられた仕事は山のようにあった。
だが、どれだけ重労働をこなしても、彼らに報酬など一切支払われない。一日の終わりに支給されるのは、味の薄いスープと、石のように固いパンの欠片だけなのだ。
彼らは『王国に弓引いた反逆者』という理不尽な汚名を着せられ、平民以下の奴隷の身分へと落とされていた。
少しでも足が止まれば、容赦のない王国兵の鞭が飛び交い、背中を赤く腫れ上がらせる。
そんな、希望もなければ代わり映えもしない毎日。
だが、ある日唐突に異変が起きた。
森の番人を任され死に場所を探すようにフラフラと森へ向かったアレクが、戻ってこないというのだ。
「……逃げたんだ。それか、あの怪我だ。魔物に食われたのかもしれない」
誰かが力なく呟く。その言葉に、民たちは重苦しい沈黙を落とした。
だが、その沈黙を破り、重い石材を運んでいたトムが、汚れた顔を歪ませて叫んだ。
「あんなやつ、戦士じゃない……!」
少年の震える声には、血を吐くような悔しさと悲しみが混じっていた。
かつてエルマに菫色の石を贈った純真な少年は、今や痩せこけ、その目には行き場のない怒りが渦巻いている。
「ぼくが……ぼくが、アレクさんくらい力があったら……! こんな奴ら、みんなやっつけてやるのに……!」
ポロポロと、土で汚れた頬を大粒の涙が伝い落ちる。
トムにとって、アレクはベルンの誇りであり、憧れの戦士だった。その彼が戦うことを放棄し、自分たちを見捨てて消えたことが、少年の心を何よりも深く抉っていたのだ。
そんなトムの震える背中を、節くれだった皺だらけの手が優しく撫でた。
「トム。アレクを悪く言ってはいけないよ」
静かにたしなめたのは、かつてパン屋を営んでいたヘレンだ。
先の帝国との戦いで、夫であるロッシを失った彼女の顔には、深い悲しみが刻まれている。しかし、その瞳の奥には、決して折れないベルンの民としての温かな光が残っていた。
「あのアレクが、どうしてあんな姿になってしまったのか……お前にもわかるだろう? あいつは勇敢に戦ったのさ。本人は生き残ってしまった、なんていってるけどね」
「でも……!」
「トム。ベルンの戦士は誇り高く、勇敢で……」
「……何よりも強くあれ」
「うん、良い子だ」
ヘレンの優しくも力強い言葉に、トムは言葉を詰まらせ、ただしゃくり上げることしかできなかった。
「生きていれば、きっと希望はある。だから私たちは、諦めちゃいけないんだ」
ヘレンはトムを抱き寄せ、その頭をそっと撫でる。
「おい! 手を休めるな反逆者ども! さっさと石を運べ!」
直後、静かな慰めを切り裂くように、王国兵の罵声と鞭の音が響き渡った。
* * *
翌日。
トムが眠気眼のままなんとか身体を起こすと、騒々しい朝の空気に気が付いた。
王都からの伝令だろうか。王国兵の一人が叫びながら何かを通達すると、領内を監視していた兵達が慌ただしく武器を手に駆け出していく。
「何があったの?」
「東の生臭坊主たちが、攻めてきたようだよ」
トムの問いに、傍らにいたヘレンが声を潜めて答える。
「じゃあ、ここは……」
「ああ。手薄になるね」
顔を見合わせたベルンの領民たちは、互いに無言で深く頷き合った。
――決行だ。これ以上ない、千載一遇の機会だ。
多くの兵が王都の応援へと去っていったと思われたその時。ベルンの民は、持てる限りの武器を手に取った。
武器と言っても、使い古した開墾道具や錆びた農具といった些末なものだ。それでも、彼らの瞳には抑えきれない闘志が燃えていた。
だが、彼らの決死の決起も虚しく、大地を震わせる新たな足の音が彼らを再び絶望の底へと突き落とした。
警鐘が鳴り響き、残った公爵軍が混乱するのを傍目にトムは隙を突いて防壁の階段を駆け上がり、外を見下ろした。
北門から迫る敵影、およそ十。重装備の歩兵たちが馬のような速度で旧ベルンに迫ってきている。
鎧の意匠からして、あれは国外のものだ。その鎧は主に二種類に分かれていた。一つは得体の知れない薄緑色の全身鎧。そしてもう一つは――――忘れもしない、このベルンを焼き払った忌まわしき帝国の鎧だ。
先頭を駆けるのは、左手を不自然にだらりとぶら下げた、薄緑色の全身鎧の男。その右手には、一般的な長剣が握られている。
そしてその隣を並走しているのは、帝国の軍鎧を身に着けた、どこか冴えない顔の男だった。
「なんで……」
トムは手にした農具を取り落とし、絶望に唇を震わせた。
あれだけこの地を蹂躙し、みんなを奪っておいて。
帝国は、まだ足らぬというのか。
* * *
「敵襲! 敵襲だ! あれは、帝国だ!」
旧ベルン領守備隊長のホーキンスは、物見の兵の叫びを聞いて震え上がった。なぜこんなところに帝国が? 関所からの報告もない。
まずい、この屋敷に何かあればユベール公爵からの罰が待っている。この旧ベルンはいまや、屋敷以外の価値が見出されていない奴隷の地だ。
あの日、避難してきたベルン領の者共は屋敷と守備兵の維持のためだけに働かせている。
全てはアデレータ姫の為とのこと。
「敵影およそ十!」
幸い、敵の数は少ないようだ。常駐はおよそ二百。アスタロッテが仕掛けてきたとのことで百五十が王都へ向かった。それでもここには五十人いる。更に防壁で囲まれているのだ。
「奴隷共を屋敷の地下へ押し込め! いらんことするからな!」
ホーキンスは手早く指令をだすと、自身は剣を抜いて迎撃態勢をとった。
西から迫る黒馬に乗った銀狼に気が付くこともなく……。
* * *
「ザック副長! いくぜ!」
「おっさん! 無茶するなよ!」
「景気付けだ! ベルン流のドラグの歌、聞かせてやるぜ!」
薄緑色の全身鎧に身を包んだアレクは、地響きのような雄叫びを上げる。
「進撃だ! 蹂躙だ! 敵の血で大地を染めよ!」
アレクは迫りくる矢も物ともせずに、長剣を握りしめたままの拳で、北門の扉を力任せに殴りつけた。
凄まじい破裂音と共に、分厚い門扉が内側へ向かって木端微塵に砕け散る。
「攻城兵器かよ……」
「オラオラ! アスタロッテの神殿騎士だ! 死にてぇ奴はかかってこい! 死にたくなくても殺すがな!」
ザックの呆れたツッコミを置き去りにし、アレクは敵陣へと突撃をかけていくのだった。
いつものライカのように、血に飢えた狂戦士の笑みを浮かべて。
* * *
屋敷の地下室に押し込められたトムは、うす暗い中で震えていた。
あの日の恐怖は忘れない。あの日、エルマが心配なあまりファナの先導を抜け出し、一人でベルンの街を彷徨った時のことだ。
燃える家屋、迫りくる帝国兵。ヘレンにこっぴどく叱られながら連れ戻されるまでに見たあの地獄の光景は、いまでもまだ目に焼き付いている。
だが。
「戦士は負けない……戦士が負ける時は……心を殺されたときだ……」
トムは泥だらけの拳を強く握りしめる。
トムは戦士だ。誰が何といおうと、ベルンの戦士なのだ。
耳を澄ませる。地下室の扉は一つしかない。外の騒ぎに向かっていった足音でわかっている。あそこには今、誰もいない。
「僕は、戦士なんだ!」
「トム!?」
ヘレンが制止の声を上げた時には、すでに遅かった。
トムは小さな身体の底から絞り出した渾身の力で、重い地下室の扉を蹴り開け、戦火の上がる外の世界へと駆け出していた。




