9.神を利用する令嬢
帝都の皇宮デズロード。神聖アスタロッテにおける大規模な地殻変動、および大聖堂崩壊という信じ難い報を受け、宮中は人が行き交い怒号が飛び交う前代未聞の大混乱に陥っていた。
「ライカ将軍は無事なのですか!?」
圧倒的に多いのは、民からのその問い合わせだった。
「そもそも帝国は、なぜライカ将軍をあのような危険地帯へ派遣したのです!? フォルテ殿下は如何にお考えか!?」
次に決まって、そんな苦情が入る。ライカ将軍の圧倒的な人気が伺える。
矢面に立って対応に追われたフォルテは、デズロードから自身の別邸に帰る道すがら、深く溜息をついてズキズキと痛む眉間を揉んだ。
「勿論、僕だって心配に決まってるだろ……」
「フォルテ殿下でいらっしゃいますか」
疲労困憊でそんなことをつぶやいていると、不意に暗がりから一人の女が声をかけてきた。
背後に控えていた護衛の『砂塵の古参兵』が、即座に剣の柄に手をかけ迎撃態勢をとる。
「アーティア様からの託でございます」
女は歴戦の兵から剣呑な殺気を向けられても、瞬き一つしなかった。
霞んだブロンドの髪を後ろで一つに纏めており、化粧気はほとんどない。だが、その瞳には異様なほどの生命力――いや、狂信の熱が満ち溢れている。一目で只者ではないとわかる不気味さがあった。
「君は?」
「アーティア様第一の信徒リルハと申します。御身は現世のアーティア様へ御指示をなさる、いと貴きお方と存じます」
……現世の、アーティア様。第一の、信徒。
「……あー。ライカ将軍、向こうで何かすごいことやったんだね……。アハハ、スフィーリア越えてアーティアだって。目を離したら神様になっちゃってる」
数秒で事態のすべてを察したフォルテの口から、呆れ交じりの深い溜息が漏れた。同時に、酷使している胃がキリキリと悲鳴を上げる。
あの規格外の将軍は、神国でまた暴れまわった挙句、ついに『神』そのものに成り上がってしまったらしい。
「ははっ。でもまぁ……これで、ボスの無事は確定したってことですね」
フォルテの背後で、砂塵の古参兵が剣を収めながら、呆れと安堵の入り混じった息を吐き出した。
「アーティア様ってのはよくわからないけど、ライカ・ローサ将軍なら私の麾下にはいっているよ」
「あぁ……!」
その言葉を聞いた瞬間、リルハはその場に深々と跪き、石畳に額をこすりつけてフォルテに向かって祈りをささげる。
「……まぁ、いいや。それでリルハ嬢、その託というのは……?」
「はい。申し上げます。『ライカ・ローサ将軍、ザック副長他四名、これよりオルディスに入る。アズガルド関所のバレリィに話を通していただきたく』」
その伝言を聞いた瞬間、フォルテの目つきが皇子のそれから、冷徹な為政者のそれへと変わる。
「……そういうことか。ライカ将軍、流石の猛将だ」
自分たちは遊撃隊として神国の狂信者を率いて王国へ雪崩れ込む。だから、背後となる帝国側の国境(アズガルド関所)の憂いを絶ち、さらに退路を確保しておいてほしいという軍事的指示。
「『最後に――殿下は殿下の闘いを。健闘をお祈り申し上げる』」
「――!?」
狂信者の口を借りて届けられた、銀狼からのエール。
フォルテは一瞬目を丸くした後、毒気を抜かれたようにふっと笑みをこぼした。
「……本当に、大した将軍だよ。ライカ・ローサは。――ところでリルハ嬢、念のためお聞きしたい。現在、アスタロッテは何を信仰しているんだ?」
「勿論、アーティア様にございます」
その淀みない答えに、フォルテの脳内で瞬時に大陸の勢力図が広げられる。
(神聖アスタロッテはオルディスの北部、エルドラドの南部、トラキアの南部から西南部に位置する地政学的な要衝だ。……アスタロッテの頭が『ライカ・ローサ』であることは、他国にも、そして帝国内の政敵にも隠しておくのが吉だ)
フォルテはその口の端を、三日月型に深く吊り上げた。
「リルハ嬢。アーティア様は、ご自身が『ライカ・ローサ』であることを隠したいと常々仰っていたよ。第一の信徒である君なら、その深慮が何故かわかるよね?」
「えっ……?」
「彼女から直接の指示がないということは、君なら『言わずとも当然わかっているはずだ』と見做されているからだよ」
「――――ッ! 勿論でございます!!」
神からの厚い信頼を匂わせるフォルテの誘導に、リルハは歓喜に打ち震えながら再び深く平伏した。
(フフ……誰でもない、僕の手駒が神国アスタロッテを完全に掌握したんだ。この最高の手札、誰が教えるものか)
帝国の第六皇子は、遠く離れた地で暴れ回る最凶の将軍へと思いを馳せながら、ひっそりと嗤うのであった。
「殿下もボスに似てきた……」
と、古参の兵はぽつりとこぼすのであった。
* * *
時を同じくして。
狂信者と元傭兵、元帝国エリート兵の闇鍋軍団を率い、オルディス王国との国境である帝国西南のアズガルド関所へと向かう馬の上で、ライカはふと、とある日の夜のことを回想していた。
夜も更けたころ、焚火を囲んでフォルテは静かに言ったのだ。
「私は、帝国を壊すよ。ライカ将軍、力を貸してくれないか?」
「……何故ですか?」
「帝国は腐敗している。武を重んじながら貴族は戦士を軽視し愚弄する。戦士は民を犠牲にして勝利をもぎ取った。こんなのは間違っている」
「なるほど」
青い正義感だ。と思う。
だが、現場で血を流す戦士と、玉座を見据える施政者とでは、そもそも思考や思想が異なる。そんなもんか、とライカはひどく冷めた頭で思った。
「ベルベット兄上、カルロ兄上はこっちだ。アドニスとファラリスを討たなければ帝国に未来はないと思う」
「そうですか」
(ハッ、民はよ。そもそも皇族なんて求めてないかもしれねぇぜ?)
精神の奥底で悪鬼が嘲笑うのを余所に、フォルテは自嘲気味に言葉を続ける。
「青いことは分かっている。義憤であることも理解しているつもりだ。君からみたら滑稽かもしれない。でもね。それはそれで、君も利用しやすいだろう?」
その言葉に、ライカの口角が自然と吊り上がる。
黄金の瞳を爛々と輝かせ、大悪党は薪が爆ぜる音に紛れて吐き捨てた。
「ハッ、余計なお世話だぜ、ボンボン」
* * *
帝国からオルディス王国への連絡通路、アズガルド関所。
オルディスは帝国の南部に東西へ長く横たわる国だが、その国境の大半は険しいアズガルド山脈によって遮られている。
東の平地から侵攻しようとすれば、必然的に神聖アスタロッテを通過しなければならない。一方、山脈を越える最短ルートを選ぶなら、このバレリィを抜けるのが定石とされていた。
そして何より、このバレリィの関所を抜けた先にあるのは――ベルン領だ。
「アスタロッテによるオルディス東部への一斉攻撃は、きっかり十日後だ。その隙に、まずはベルン領を獲る」
「……ライカ。なんか今日、力入りすぎてねぇか?」
ザックの鋭い指摘に、ライカはわずかに目を伏せた。
「そうかもしれない。……ザック、今回も頼む」
「あいよ」
悪鬼としての狂乱ではなく、どこか静かな決意を秘めたライカの横顔に、ザックは短く頷き返す。
そうして、ライカ率いる数十名(神殿騎士含む)の精鋭部隊は、朝霧に包まれたアズガルド山脈へと足を踏み入れたのだった。




