8.銀色の救世主
ライカはジャネバを斬ると、その亡骸を汚物でも扱うかのように無造作に蹴り飛ばした。
「!?」
闘いの余波で地盤が限界を迎えたのか。凄まじい轟音を上げながら、ライカを中心とした巨大なクレーターが、まるで祭壇のようにゆっくりとせりあがっていく。
大地が割れる揺れに、人々は悲鳴を上げて逃げ惑う。スフィーリアが遺した光の結界はすでに消失しており、何百年もの歴史を誇った大聖堂が、土煙を上げて次々と崩落していった。
激しい地殻変動が収まったころ、かつての荘厳な大聖堂は見るも無残な瓦礫の山へと変貌していた。
その絶望的な光景の中、ある一人が震える声で天を仰いだ。
「み、みろ!」
指さす先――盛り上がった瓦礫の丘の頂。そこに、剣を地面に突き刺し、静かに跪く銀色の戦士がいた。
丁度、夜明けの太陽が昇りはじめる。分厚い雲の隙間から差し込んだ幾筋もの光の柱が、スポットライトのように彼女の銀髪と鎧を神々しく照らし出した。
「ああ、アーティア様……」
そう歓喜の声を漏らしたのは誰だったか。
信仰を打ち砕かれた人々は、その奇跡のような美しさに涙を流し、我先にと平伏しては銀の戦士に祈りをささげるのだった。
* * *
周囲が狂騒に包まれる中、リルハだけはライカを見つめたまま呆然と立ち尽くしていた。
祈るもの、叫ぶもの、懇願するもの。リルハはそのどれでもなかった。彼女の胸の内にあったのは、全てを失った空虚な心だけ。糸が切れた操り人形のように、膝から崩れ落ちる。
――私はなんなのか。なんの価値があるというのか。老人に体を捧げただけの人生。
冷たい土畳の上で、脳内に自身の声だけが虚しく反響する。
ふと視線を上げると、あの帝国の将軍が瓦礫の丘を降りて、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。彼女の部下たちが、慌ててその後を追う。
彼女はこちらにくる。偽りの神を討ち果たした、本物の女神様の御神体だ。
だが、彼女はなぜ、空っぽになった私の方へくるのか?
「……全部無駄だったって顔だな。シスターリルハ」
「……」
「更に、何を信じればいいのか? って顔だな」
「……私はずっと、大聖堂のために……」
「そうだ」
「でも、大聖堂はサハグのために……」
「そうだな」
「私は、邪神のためにッ!」
「ああ、そうだ」
「私に、価値はない!」
血を吐くようなリルハの叫びを、冷徹な声が遮った。
「それは違うな」
「!?」
銀髪の女は、しゃがみ込んで私の顎に手を添えると、その顔を強引に自分の方へと向けさせた。
「私を信じろ。いいか。お前が信仰するのはこの私だ。お前の献身的な祈りはいつもこの私が見ていたぞ。シスターリルハ。今までのは、そう、その予行練習だ。見ろ、私を見ろ。良かったな。神は救いにやってきたぞ」
「……!?」
顎を掴まれたまま、銀髪の女をみる。
吸い込まれそうな菫色の瞳をした、とても美しい顔だ。慈愛に満ちた、あまりにも美しい顔である。
その顔が、さらに至近距離へと近づいてくる。
「もう一度だけいうぞ、シスターリルハ。お前が信仰するのは、この私だ」
「……はい……主よ……」
その瞬間、リルハの中で何かがカチリと音を立てて繋がった。
世界の色が戻る。絶望で塗り潰されていた灰色の世界が、極彩色の歓喜に色づいていく。
私は一つの信仰を捨て――また新たな拠り所を見つけたのだった。
* * *
「ルーイ……」
「なんだこいつ。ルーイ司祭だよな?」
ザックは呆れた顔で、持っていた木の棒でルーイの頭をつつく。
彼はライカの前まで這いずるようにやってくると、即座にうつ伏せになり、地面に顔をこすりつけるように大の字になったきりピクリとも動かないのだ。
「主よ。アーティア様よ。アスタロト様と並ぶ神の一柱よ。マルコも、マルコも報われます」
地面に顔を押し付けているため、嗚咽とくぐもった声で聴きとりづらいが何とか聞き取れた。
「……ライカ」
「うむ。任せろ。教皇ルーイよ。面をあげよ」
「!? ハッ!」
ルーイは弾かれたように起き上がると、素早く綺麗に跪き、両手を組んで金色の瞳のライカを真っ直ぐに見据えた。
「ん? 主よ、なんといいました?」
「教皇ルーイよ」
「主よ、私は司祭――」
「それはサハグを信仰したときの地位だろ? 殺すぞ」
「い! いえ! はい!」
「お前はこのアーティアに仕える教皇だ。わかったな。あとはお前がまとめろ。いいな」
「ハッ!!!!」
命の危機を感じ取った新教皇の威勢のいい返事が響く中、ザックが恐る恐る口を開く。
「ラ、ライカ、お前……俺も祈った方がいいのか……?」
「馬鹿ね、ザック。神様はクソして寝てるよ(ぜ)」
オッドアイの銀色の上司は、そう言って悪戯っぽく、しかし最高に邪悪なウィンクをしてくるのだった。
* * *
「さぁ、戦力は揃ったぜ。棚ぼただけどな」
「壮観だなぁ……」
崩落した大聖堂の広場。眼下には、教皇にでっち上げられたルーイを先頭に、武装した神殿騎士たちが整然と列をなしている。
鎧は傷つき、ボロボロだ。しかし、皆一様に狂信的な熱を帯びた瞳をしており、ただひたすらにライカの一挙一動へ全神経を集中させていた。
「いいかお前ら! 神聖アスタロッテは救済された! 誰でもない! この私によって!」
ズザァッ、と。
重装備の騎士たちが、軍隊以上の恐るべき統率力で、乱れなく一斉に跪き、深く手を組む。
「敬虔なる信徒よ! お前らの祈りは誰が為だ!」
「ライカ・ローサ様です!」
「いいぞ、お前ら。さいっこうに綺麗だ」
狂信者たちの歪で美しい絶対の忠誠。それを見下ろしながら、ライカは満足げに、この世の誰よりも邪悪な笑みを浮かべた。
「リルハ」
「ここにおります」
「うむ。あとでルーイに伝えろ」
「ハッ」
「――オルディスを攻めるぞ」
「ラ、ライカ!? それは流石に!」
「俺たちは遊撃隊だ。それ以上のことはあるか?」
「……ねぇな。降参だ。やるか」
ザックは頭を掻きむしり、大きなため息と共に覚悟を決めた。
「帝国の戦力はあまり使わない。このままこれを使うぞ」
「オーケー、ボス」
かくして、邪神を討ち滅ぼした最凶の悪鬼は、狂信の軍団を引き連れて、因縁の地であるオルディス王国への進軍の準備をするのだった。
「全く。まぁ、いいわ。あの汚いのは追い払ったのだから許してあげる」
そんなライカをみて天界の女神は微笑むのであった。




