6.神だの邪神だの信仰だの、やかましいわ
サハグは本来、喜びを司る神だった。様々な遊びを考えてはロッソやフェルムと宴会をする、毎日楽しく笑って居られればいいな等と考える非常に穏やかな神である。
しかし、とある日に天界へ一匹のトカゲが迷い込んだ。黒く、異臭を放つひどく醜いトカゲだ。それでも、好奇心旺盛なサハグはトカゲに問いかける。
「君はどこからきたの?」
「遠い深淵の地でございます」
「ふぅん? そこにはどんな遊びがあるのかな?」
「他者を陥れて、破滅する様子を観察することを至上の遊びとします」
「そんな。それはひどいじゃないか」
「体験していただくのが一番かとおもいます」
そう言って、トカゲはサハグの手を取った。トカゲの記憶がサハグの脳内に直接映し出される。
人々が泣いている。嘆いている。絶望して叫んでいる。そしてそれを観て、歓喜に震えている観察者の感情。
その『快楽』の度合いは、普段の遊びとは比にならないほど強烈なものだった。
ゾクリと体中を駆け巡る快感。自然と口が吊り上がってしまう。
「うわぁ、すごい! これを天界のみんなにもやってみよう!」
「お手伝いしますよ」
無邪気に感動しているサハグに、トカゲはそのやり方を教えるのだった。
* * *
「僕は裏切りと嘲りの神、サハグ。自分でいうのもなんだけど、邪神なのさ。あぁ、いい。いいよみんなのこの感情。とてもいい」
天井を突き破るほど巨大に膨れ上がっていた山羊の異形は、しばらくすると急速に収束していき、やがて一人の『黒髪黒目の少年』の姿へと変わった。
少年は、絶望に満ちた礼拝堂を見渡して無邪気に笑う。
「みんな、僕をわかってくれなかった。楽しいことを共有することの何が悪いんだ。でもいいのさ、やっぱりジルドラに教えてもらってよかった。そうだよ。これこそが最高の遊びだよ。アスタロトもアーティアもやったらわかるのに、頭が固いんだよな」
いくら鈍感な者でも、これはわかる。この圧倒的な存在感。この、おぞましいオーラ。
「ハッ! 銀ピカの次はイカレ小僧かよ! 最近の俺はついてるぜ!」
(……小娘、逃げる準備だ)
『今回は反対しない』
「ララララ、ライカ、こいつはやべぇ。ギュスターヴの時も同じこと思ったけど、こいつはマジでやべぇって!」
「邪神め! 我が大聖堂を汚すかァァッ!」
怒号と共に、神殿騎士達がサハグに殺到する。
「武勇と義憤は、口に合わないんだ」
サハグが退屈そうに手を水平に振るうと、殺到した騎士達の体が容易く二つに分かれた。
悪鬼はその動作を、爛々と輝く黄金の瞳で冷静に観察する。
(神、か。……いや、神はいねぇ。あれはただの、少し能力の高ぇ魔術師といったところだ。で、あればだ)
動作を見る。騎士が飛ぶ。動作を見る。司教が潰れる。
(……見えたぜ。振ったあとの刹那、空間が歪む。それが予備動作だ)
『悪鬼? 逃げるのではないのか?』
(初めて見る珍味だ。もったいねぇと思わねぇか?)
『……欲が勝ったのね』
「ザァーック!」
「な、なんだよ! 逃げるぞ! 流石に逃げるぞ!?」
「何ビビってんだよ。いくぞ」
「やめてぇぇぇぇッ!!」
ライカはザックの首根っこを掴み、サハグへと突撃する。
「なんか元気の良い子がいるね? おいしそう」
「ザァーック! あそこらへんに匂いがでるはずだぜ!」
ザックはライカの指す方を見るまでもなく言う。
「するよ! プンプンする! するから逃げようぜ!」
「やっぱりお前は最高だ、ザァーック!」
ライカは体勢を低くする。直後、頭上で衝撃波が走るのを確かに感知した。
「左だ! ライカ!」
「オーケーオーケー、やるじゃねぇか凡人!」
ナビゲートの通り、左からの衝撃波を避けるために前進を加速させた。背後で凄まじい風切音が聞こえた。
「てめぇら! 民衆を纏めとけ! 装備はその辺でバラバラになってる騎士のを使え!」
「イエス、ボス!」
「ウワァァァァ! 死ぬ! 流石に死ぬゥゥッ!」
衝撃波を躱しながらライカは接敵する。
「スフィーリアみたいなやつだ」
「バルバロッサだ、クソガキ」
そう言って、少年の体を神殿騎士の長剣で深々と貫いたのだった。
「じゃ、邪神を倒した……!?」
大衆がざわつく。ルーイもリルハもネリネも、子供たちも、その光景を魂に焼き付けるように見つめていた。
彼らの目には、美しく猛々しい、流麗な戦乙女スフィーリアの姿として映っている。
(チッ)
『……手応えなし、ね』
ライカは躊躇いなく剣を手放し、すぐに後退する。
「君も大分ひどいことをしようとしているね。僕と仲良くなれそうだ、バルバロッサちゃん。うーん。霊体だと、やっぱりまだ弱いね。仕方ない。現界できるうちに……」
サハグは体に刺さった剣を無造作に抜いて、ポイッと捨てる。
「いっぱい壊しちゃおう!」
そう言って、サハグは体を肥大化させた。
再び姿を変える。礼拝堂を突き破り、巨大な山羊の頭を持った怪物へと変容していく。
「おーう……こりゃまたでっけぇ山羊っころだなぁ」
「ライカ、現実逃避してないか?」
「ザック……ごめんなさい。調子乗りすぎたみたい」
黄金の瞳からスッと悪鬼の光が消え、ライカは令嬢らしい、しおらしい顔で謝罪した。
「モード切替が迅速になってやがる……だから、そっちで謝ってもだめだ」
サハグは礼拝堂の壁を吹き飛ばして、月が落ちた薄明るい空に飛びあがる。
大聖堂全体の屋根が、重力を失ったように浮遊する。
「急な屋外仕様に変更ってか。体もデカけりゃ仕事もデケぇな」
「そんな悠長なこと言ってる場合かよ。逃げるぞ!」
ザックはライカの手を引く。
「泣け。叫べ。懇願し、絶望しろ。すべてを我に捧げよ。人間ども、貴様等は私の糧でしかないのだ」
巨大な屋根が、上空から一気に落とされる。巨大な質量の自由落下。
全員が死を覚悟した、その瞬間。
――それは、唐突に現れた。
屋根は一向に降りてこない。薄く光る膜によって完全に守られている。
そして、大聖堂の上空には、一人の女が浮遊していた。
金で縁取られた青い鎧。光り輝く翼に、銀色の髪。勇ましいその横顔。
ルーイは、震える声で言った。
「美しくも……猛々しく……流麗な……スフィーリア様……」
「ララララ、ライライラ、ライカ! ライカ! 流石にあれは!」
「おーう、今度はギュスターヴみたいなやつがでてきやがった」
「それで済ますなよ!?」
スフィーリアは微笑む。恐怖に震える民を見下ろし、慈愛に満ちた表情で微笑んでいる。
「スフィーリア様!」
「スフィーリア様!!」
「スフィーリア様!!!」
次第に民の声は大きくなり、一人、また一人と、涙を流しながら石畳に平伏していく。
「我等を見捨てずに救済してくださる……その御姿を拝することができるこの栄誉……。我が信仰は……間違ってなど居なかった!」
ルーイは天に祈りを捧げながら、顔中をぐしゃぐしゃに濡らしている。
「そんなすげーか? ちょっと力が強ぇバケモノじゃねーか。なぁ? ザック」
「流石にライカ……お前はすげーよ……」
ザックが呆れ果てる中、上空のスフィーリアは切先をサハグへと向ける。
「なんだよ、スフィーリア。また僕の邪魔をするのか? アスタロトの使いパシリの癖に偉そうに。人間が見てるからって調子のってるんだろ?」
「……」
スフィーリアはただ微笑む。そして、スッとその切先をライカに向けたかと思うと、光の粒子となってふっつりと姿を消した。
「スフィーリア様……?」
突然姿を消した戦乙女に困惑する民衆。だが、最も困惑しているのはライカ・ローサであった。
「あ? 俺?」
『……なんだったの?』
ライカのその戸惑いに対する答えは、言葉ではなく、『事象』として突きつけられた。
直後、轟音と共に天が割れた。
天と地を繋ぐ巨大な光の柱が撃ち下ろされ、ライカの身体を完全に呑み込む。
大気が軋みを上げ、空間がビリビリと震える。先ほどのスフィーリアすら児戯に思えるほどの、途方もない『神威』。それが、天を穿つ光の筋を辿って降りてくる。
皆が呼吸を忘れた静寂の中、光の柱を辿って“それ”は降臨した。
水色の羽衣を棚引かせ、左手に大剣、右手に神槍を携えた、美しくも慈愛に満ちたその御姿。
大地、大気、生物――万物が、主の降臨に歓喜して打ち震える。
四神が一柱、力の女神アーティア。
おとぎ話の神話が今、現実となって大聖堂に顕現したのだった。
「なんと……なんと……! 力の女神、アーティア様………………………………!」
ルーイが祈りの言葉すら忘れて絶句する中、女神の厳かな声が、ライカの精神世界に直接響き渡る。
《――矮小な人間の娘よ。体を貸しなさい。あれはサハグ。あなた方の手に負える相手ではありません。私が直接――》
(お? なんだ!? この力!? ハッハッ! すげー! 力が溢れてきやがる! イイィィィィィヤッハーーーーーー!!!!)
《ちょっ……!? え!? 貴方!? くっ! なんていう暴力的な強い意志!? 体が、乗っ取られ……ッ!》
『……ご苦労さまです』
神聖なる女神の魂が、猛り狂う悪鬼の歓喜の前にあっさりと主導権を奪われかける中、精神の奥底で令嬢だけが冷静に同情していたのだった。




