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5.教皇の祈り

 教皇の頬を叩いた。恐ろしい女に言われたからだ。叩いたら何かが起きるはずだった。

 ――何も、起きない。

 何も起きないのだ。目の前の女は、教皇は神の代弁者ではないと言う。嘘だ。


『……起きた』

(良いところだぜ)

『起きて、血の匂いがするのにも驚かなくなった』

(成長ってやつよ)


 令嬢は意識を浮上させると眼前には血まみれの教皇と跪いてわめいているリルハ。ザックは相変わらず飄々としており、部下は直立不動で首を極めている。


「嘘です……嘘です!」

「シスターリルハ。現実を見ろ」

「そんなことないんです! だって、それなら、わたしは、なにをしてきて……ッ」

「もう一回殴ってみろ」


 恐ろしく優しい声色だ。リルハは泣きじゃくりながらも、再び平手を打つ。何も起きない。


「そうだリルハ。いいぞ、もっとだ」


 また、打つ。いつの間にかその掌は硬く握り込まれており、教皇の神聖な口からは汚い悲鳴があげられる。


「シスターネリネ。次はお前だ」

「嘘よ……そんなわけ……だって……だって……」


 リルハは跪き、そんなことを繰り返す。


 大聖堂に『全員』が集まるまで、悪鬼による狂気の裁判は続いたのだった。


 * * *


 集められた修道女たちは、概ねリルハと同じ反応を示し、絶望に泣き崩れていた。教皇は息がしづらいのか、コヒュー、コヒューと喉の奥で荒い息を漏らしている。


「ちっ、体力のねぇジジイだ。ザック、お前のをやれ」

「おう」


 ザックは自身が拘束していた司教を引きずり出し、リルハたちの前に立たせた。


「ザ、ザック殿!? 貴殿は常識人であると……!」

「俺を舐めるなよ」

「――!?」

「戦士に毒、盛ったんだ。戦士ってのはよ、やられたまんまじゃ終わらねぇんだぜ? 知ってたか? それによ……ライカがやられたんだ。戦士の誇りに誓って言う。間違いねぇ、お前らは殺す」

「ヒッ!?」

「せいぜい今のうちに、生きてることを喜んでろ。――ほら、シスター。蹴り上げろ」


 ザックはリルハに促す。だが、リルハは恐怖と混乱で動けない。


「こうやんだよ!」


 焦れたのか、ザックは容赦なく司教の股間を蹴り上げた。

 司教は声にならない悲鳴を上げ、白目を剥いて気絶した。


「誰が気絶していいと言ったんだよ。あ?」


 ザックもまた、手にした短剣を司教の肩に深々と突き刺し、その激痛で無理やり意識を叩き起こす。


「……ボスみたいだ」

「馬鹿お前、ザック『副長』だぞ……」

「……そうだった」


 そんな惨状を背後で見ながら、部下たちが直立不動のままボソボソと囁き合っていた。


「効率的じゃねぇ。こんなんじゃ、俺は副長失格なんだよ。ああ、どうしよう。俺は曲がりなりにも帝国軍『銀狼』の副長だ。無能は見せられねぇ! お前ら! 俺はどうしたらいい!」

「蹂躙であります! 殲滅であります! その前に、このゴミムシ共を使うことを進言いたします!」


 四人は一字一句たがわず唱和する。


「……優秀な部下を持って、俺は涙が出そうだよ」


 ザックは芝居がかった仕草で天を仰いだ後、獲物を前にした肉食獣のようなギラついた目でシスターたちを睨みつけた。


「ほれ、シスターたち。並べ、並べ。殴り放題だ。殴れ。……殴れってんだ! 自分を持たねぇ、ゴミムシ修道女共!!」


 それは今日一番の、ザックの怒声であった。


 * * *


 街中に怒号が響き、人々は叩き起こされて大聖堂に集められた。

 幸運にも礼拝堂の中に入れた男は、信じられない光景を見た。

 拘束され、羽交い締めにされている教皇と五人の司教達。それを、修道女たちが泣き叫びながら滅多打ちにしているのだ。傍らにいた年嵩の女は、過去の自分を重ね合わせたのか、口に手を当てて絶句している。


 そして、子供たちに優しいと評判のルーイ司祭が叫んだ。


「ライカ将軍! もう良いではありませんか! 教皇様方にはもう!」

「それはお前が決めることじゃねぇ。甘ったれ坊主」


 銀髪に質素なローブを纏った女がそう言った瞬間、心臓を鷲掴みにされたような圧迫感が男を襲った。

 遠目からでもわかる、爛々と輝く黄金の瞳。――恐ろしい。だが、美しい。

 どことなく惹かれ始めているということに、男はこの場では気が付かなかった。


「……十分か」


 ライカは辺りを見回す。神殿騎士、司祭たち。修道女、修道士、子供。礼拝堂はおろか、開け放たれた扉からは、隙間がないほどに広場を埋め尽くした民衆の姿が見えた。


 それを確認し、教皇を拘束したまま、ライカは礼拝堂の奥へと歩を進める。


「悪党ってのはよ。相場が決まってるんだ。さぁ、ご対面だ」


 悪鬼はその異常な膂力をもって、奥の巨大な扉を力任せに足で開け放った。


 開く。全貌が明らかになる。


「マルコ……!」


 ルーイは涙で顔をぐしゃぐしゃにして、膝から崩れ落ちた。


 大広間には、壁に張り付けにされた子供たち。中心には無数の骨の山。見るも無残な生贄の光景だった。

 幹部を除く全員が、そのおぞましい光景に絶句する。


「これは! 神聖なるアスタロト様への供物だ! 貴様ら! 疑うか!?」


 血まみれの教皇の叫びが響く。


「いいぜぇ。もっと喋ろ。思いの丈を話してやれ。許可してやるよ。全部吐け」


「疑うか!? 疑うか!? ならば、聞け! アスタロト様の怒りを!」

「ハッハッ! おー? 何見せてくれんだ?」


「主よ、あまねく愚民の命を捧げし矮小な僕の言葉をお聞き入れください。ビュラード、ジルネード、ピラピネス、サッハグボサ!」

「ビュラード、ジルネード、ピラピネス、サッハグボサ!」

「んだ? そのヘンテコな呪文は」


 教皇が唱えると、司教達もどうにかその言葉を紡ぐ。彼等幹部だけに知られている、秘密の聖句である。

 唱え終わるやいなや、張り付けにされた子供たちの遺体が黒い光を放ち、天井をぶち抜いて天を射した。


「ハハハハハ! 極まれり! やはり私が至高の教皇なのだ! 神霊降臨! 成功したぞ! ――グゴォッ!?」


 ライカは教皇からスッと離れ、ザックの隣に移動する。


「ライカ、なんだあれは」

「知らねぇな。なんだか、ヤベェ気配は感じる」


 教皇に黒い光が集まると、その身体が風船のように異様に肥大していく。

 メリメリと皮膚が裂け、頭蓋を突き破ってねじれた角が生える。口からはおぞましい牙が覗き、その顔はみるみるうちに山羊に似た醜悪な獣のものへと変貌していった。


「アハハハハハハハハハ!!!!!」


 突如、心臓を直接鷲掴みにするような、どす黒くも甲高い声が礼拝堂に響き渡る。


「滑稽だ! 滑稽だよ! こんなにも上手くいくなんて! ちょっとばかり教典にイタズラしてみたら、何百年もまんまと騙されてやんの! アハハハハハハハ!」


「あれは、あの姿は! 大聖堂の壁画の通りだ……!」


 ルーイが血を吐くような声で叫んだ。


「邪神、サハグ!!!!!!」

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