4.誰がために祈るのか
赤絨毯の敷かれた祭壇。その左右には、武装した大勢の神殿騎士たちが、先日と変わらず彫像のように立ち並んでいる。
そして中央の玉座に腰を下ろしていたのは、宝冠と錫杖を携え、豪奢な教皇のローブを纏った初老の男、ジャネバだ。
その前の祭壇には、ライカ・ローサ将軍が寝かされていた。
傍らではザックをはじめ、数名の帝国兵が手足を縛られ、神殿騎士に拘束されている。
悪鬼は閉じた瞼の裏で、そっと目を開く。
(ザック、ベレス、カイにキース。ロッジ。……よし、全員いるな)
自身の状態を確認する。
手足には鋼鉄の枷。部下たちと同じものだ。
「これより異端審問を始める! 神聖なるアスタロトの名の下に、ライカ・ローサを裁く!」
「神聖なるアスタロトの名の下に!」
居並ぶのはどれも壮年の男共。その目は、これから始まる『浄化』への欲望の色を隠しきれずにいる。
「ライカ・ローサ帝国将軍。貴様はあろうことか戦乙女スフィーリア様の名を騙り、民を惑わせ大量の殺戮を実行した。間違いないな?」
「勝手な言い分すぎるだろ!?」
ザックが叫ぶが、すぐに神殿騎士に口を塞がれた。他の者も同様だ。ジャネバはそれをこれ見よがしにライカに見せつける。
「ああ、間違いないぜ」
「――!?」
「皆の者、聞いたか!? ライカ・ローサは自ら罪を認めた!」
「神判は下ったものとします。この者、有罪。神の代弁者たる我等による浄化を行うものとします」
「意見は一致した。では、まずは私から行おう」
教皇が下劣な笑みを浮かべて、一歩、また一歩と近づいてくる。
ザックがくぐもった声を上げる。
(ハッ。このジジイ、下半身膨らませやがって)
そして、教皇がライカに手をかけようとした、その瞬間。
――ガキィンッ!
鋼鉄の枷が弾け飛ぶ音と共に、ライカの拳が教皇の顔面に深くめり込んだ。
「き、貴様!? なぜ!? ぐおぉッ!?」
吹き飛んだ教皇の背後に瞬時に回り込み、素早く両腕をへし折って首を羽交い締めにする。
「クハハ、クァーハッハッハッ! 立派な鋼鉄製の拘束具だなぁ? 神を冒涜するような代物だぜ、ペテン師! たまんねぇよ! 笑いが止まらねぇ!」
ライカの手足には、すでに拘束具は無い。
「揃いも揃って悪党面だな? あぁ、いたわいたわ。中々思い出せなかったが、どこかで見たことあるような面だと思ったら……命乞いして泣きべそかく、しょんべんたれの野盗どもと全く同じ面してんだわ!」
「貴様!? なんたることを!? 教皇様を放せ!」
「ああ、なぜ外れたか、だな? 戦士を舐めるなよ。関節を外す、自ら肉を削ぐ、引き千切る。方法なんざいくらでもあんだよ」
周囲の神殿騎士たちが慌てて剣を抜こうとした、その時だった。
「……俺らの隊が異常だと思うけどな」
「イエス、ボス」
背後でゴキリ、と鈍い音が連続して響く。
ザック、ベレス、カイ、キース、ロッジ。全員がいつの間にか拘束から抜け出し、それぞれ近場にいた司教たちの腕をへし折り、完璧に無力化して盾にしていた。
ライカが右手を上げる。それを合図に、司教を拘束しているザックたち全員が、ライカを守るように円陣を組んだ。
「さぁ、お前ら。美しきスフィーリア様からの『神の裁き』の時間だ。全員起こして呼んでこい」
「な、なにを?」
「聞こえねぇのか、全員呼んで来いってんだオラァ! 肩ぶっさすぞコラ! あ? 俺は気長くねぇんだよ! ――ッあーあ! 刺しちまったじゃねぇかおう! どうしてくれんだ! あ!?」
ジャネバはいつの間にかライカに奪われた宝剣が、自身の肩に深々と刺さっていることを目にして、鼓膜を劈くような絶叫を上げた。
「ギャアアじゃねぇんだよ! 呼べっていってんだよ? あ? 神の代弁しすぎて言葉わかんなくなっちまったか? オイこら、俺にこんなことさせんなよ。可哀想じゃねぇか!」
ライカは顔を近づけ、肩に刺さった剣をさらに容赦なくえぐる。
言いがかりである。傍らでは、ザックが「あーあ」とひどく哀れなものを見る目で教皇を見つめていた。
「ぜ、全員呼ぶのだ! 全員だァァッ!」
「そうだそうだ。わかってんじゃねぇか。ご褒美にこっちの肩もだ」
「ギャアアアアアアアッ!」
「クァーハッハッハッ! 流石だ! 神の代弁者だ! それだけにクソみてぇな悲鳴あげやがる! もっと啼け! 聞かせてくれよ! 最高にきたねぇぜ! フハハハハハハハ!!! 」
ズプッ、と反対の肩にも刃が沈む。
あまりの理不尽な暴力と絶叫を前に、拘束されていない残りの司教たちは、弾かれたように慌てて礼拝堂から転がり出ていった。
* * *
「ラ、ライカ将軍!?」
しばらくすると、礼拝堂に多くの人が集められた。修道女も修道士も、司祭も。ルーイは惨状をみて叫ぶ。
「おい、こいつらを呼んできたのは誰だ?」
ルーイの叫びに一切の反応も見せずライカはそう言う。
「誰だってんだ! あぁ! 気は長くねぇってんだろ!?」
今度は教皇の肘あたりをえぐる。再び悲鳴があがった。
「わ、私だ!」
進みでてくる司教の一人。
「お前か」
「……な……ぜ……」
ライカの前に立ったその瞬間、刎ねられた。
「俺は全員っていったんだよなぁ。なぁ? 教皇?」
「は、はい、そう、でございます……ッ」
「もう一度だけいうぜ? 全員連れてこい。ここから大聖堂くらいは埋まるだろ? 早くしろ。もたもたしてると、司教? だっけか? ペテン師が一人ずつ死ぬぜ?」
言葉と共に発せられた途方もない殺気が、物理的な重圧となって空間を圧し潰す。
「リルハ。慈しみ深き教皇様がお怪我をされているぜ? 手当させてやるよ」
リルハは呼ばれたことが意外だったのか、ビクッと体を震わせてからこちらに歩み寄る。
ライカの前に立つ。
「一つ聞く。治療してぇか?」
「は、はい」
「何故だ?」
「教皇様、だからです」
「神ではなくて、か?」
「……教皇様は、神の代弁者でいらっしゃいます」
「……だ、そうだ。今、神は何と言ってるんだ? 言え」
「か、神は! 神は不届き者を――ッ!」
「あ?」
「ギャアアアアアアッ!」
刃がさらに深く肉を抉る。
「なんも言えねぇみてぇだぜ? リルハ。お前の献身的な祈り? とやらは本物かもしれねぇが、本当にこいつなのか? よぉーく考えてみろ」
「はい……?」
「神の代弁者がこんなことになっている。だが、こいつは死ぬ。なぜだ?」
「こ、殺さないでくれェェッ!」
「……わかりません」
「答えてやる。こいつが信仰しているのは、神じゃねぇからだ」
「そ、そんなことは!?」
「殴ってみろ。ほら、スフィーリア様からのお言葉だぜ? 殴ってみろ」
無茶苦茶な命令だった。神の代弁者である教皇に手を上げるなど、この国では死んでも許されない大罪だ。
「き、貴様、天罰がくだるぞ!」
「うるせぇぞ豚。ほら、やれ。命令だ。さもなきゃ、手当する必要がなくなっちまうぜ? おら、ジジイなんていうんだ?」
「リル、ハ。ワシを殴れ……!」
「きょ、教皇様! ご無礼を……ッ!」
恐慌状態に陥ったリルハの平手が、教皇の頬を打つ。
パァンッ、と。乾いた音が、静まり返った礼拝堂に響き渡った。
大勢の信徒たちが見守る中、教皇の顔が横に弾かれる。
「キサマァ……!」
血走った目でリルハを睨みつけた教皇の腹に、ライカの膝が容赦なく深々と突き刺さった。
「わからねぇ奴だな。俺はうるせぇって言ってんだ、豚」
「ゴフッ!?」
「ほら、リルハ。『今』、お前に天罰はくだっているか? どうだ?」
問われて、リルハはハッと息を呑む。
教皇を殴りつけた自分の右手を、震える視線で見下ろした。手が吹き飛ぶことも、雷に打たれることもない。ただ、殴った掌が微かに熱を持っているだけだった。
「な、なにも起きていません……」
リルハは震える声でそう言った。
長年、彼女を縛り付け、心を殺し続けてきた教義に、亀裂がほんの少し入った瞬間だった。




