2.ジャネバの視線
大聖堂へと続く街の入り口に、一人の女性が立っていた。
質素な白いローブを纏ったその女性は、ライカたちの姿を見つけると、小走りでこちらへと駆け寄ってくる。
「ようこそおいでくださいました。私、修道女のリルハでございます。ライカ・ローサ将軍でいらっしゃいますか?」
「ああ、そうだ。出迎え感謝する」
リルハは霞んだブロンドの髪を後ろで一つに纏めており、化粧気はほとんどない。しかし、ゆったりとしたローブの下でも女性的な起伏は隠しきれておらず、どこか男好きのする蠱惑的な魅力を漂わせていた。
だが、それ以上にライカの目を引いたのは――彼女の『瞳』だった。
真っ直ぐにこちらを見つめているはずなのに、どこか現実を見ていない。まるで別の次元を見つめているような、得体の知れない恐ろしさがあった。
『……いきなり異端審問官が剣を抜いてくるわけではないのだな』
(奴らは『信仰させる』という一点で歴史を築いてきた。力は最後の手段。まずは柔らかい態度で懐に入り込み、説得、譲歩、そして信仰させる……と、そんなところじゃねぇか?)
リルハの案内に従い、ライカとザックはあてがわれた宿舎や、周辺の施設を順に見て回っていた。
表向きは平穏で美しい白亜の街並み。だが、街を歩けば歩くほど、肌に纏わりつくような奇妙な違和感が拭えなくなっていく。
「……おい、ライカ。おかしいぜ」
ザックが案内役のリルハに聞こえないよう、周囲を鋭く見回しながら声を潜めた。
「……だな」
ライカも同意する。
この街には、若い女性と子供の姿が極端に少ないのだ。
老人や年配の婦人、とうに盛りを過ぎた女、あるいは男の信徒は数多く歩いているというのに、年頃の娘と子供の姿を見かけることが中々ない。稀に見かけたとしても、酷く痩せこけていたり、少々体の起伏に乏しい者ばかりだった。
目の前を歩く案内役のリルハが、豊かな起伏を持つ蠱惑的な体つきをしていることと比べると、その異常な偏りはあまりにも不自然だった。
(ククク……綺麗じゃねぇか)
精神の奥底で、悪党はひどく楽しげに肩を揺らした。
「――お待たせいたしました」
不意に。前を歩いていたリルハが振り返り、瞳の奥の焦点だけをどこかへ飛ばしたまま、貼り付けたような笑みを浮かべた。
「それでは、大聖堂の最奥……『礼拝堂』へとご案内いたします。教皇様が、皆様をお待ちかねでございます」
重厚な扉が開かれる。
礼拝堂の中は、外の白亜の美しさとは裏腹に、張り詰めた重苦しい空気が満ちていた。
赤絨毯の敷かれた祭壇。その左右には、武装した大勢の神殿騎士たちが、彫像のように立ち並んでいる。
そして中央の玉座に腰を下ろしていたのは、宝冠と錫杖を携え、豪奢な教皇のローブを纏った初老の男だった。
「御苦労であった、リルハ。……よくぞ参られた、ライカ・ローサ将軍。私が教皇のジャネバである」
「ああ。ガルヴェリア帝国子爵、ライカ・ローサだ」
無数の殺気に晒されながらも、ライカは堂々と胸を張り、冷ややかな声で応じた。
名乗った直後。ジャネバは顔の向きを変えず、視線だけを僅かに動かした。
頭の先から、つま先まで。
それは武人の力量を測るものではなく、『獲物』を品定めするような、ひどくねっとりとした下劣な眼差しだった。ライカの全身を隈なく舐め回し、生々しい欲望を覗かせる。
そして、己の欲を満たす新たな玩具を見つけた歓喜からか――ほんの一瞬だけ、教皇の口元が醜く綻んだのを、ライカは決して見逃さなかった。
(ハッ……)
神の代弁者を名乗る男の、下卑た視線。それを肌で感じ取った悪鬼は、言葉にすることすら馬鹿馬鹿しいとばかりに、ただ見下すように短く鼻を鳴らした。
そんなこちらの内心など露知らず、教皇ジャネバは穏やかな表情で建前を並べ立てる。
「何も、害するつもりでお呼びしたわけではないのですよ。ただ、スフィーリア様と間違えられるほどの人物……ぜひ一度お会いして、文化交流という形で親睦を深めたいと思ったまでです」
「……文化交流、か」
「ええ。せっかくの機会です。数日ほど我が国に滞在し、ぜひとも神聖アスタロッテの素晴らしい文化と信仰を知っていただきたい」
大仰な身振りで、ジャネバは白々しい笑みを浮かべた。
『……なるほど、な』
(ゾクゾクするぜ)
脳内で短く言葉を交わしながら、ライカは表情一つ変えずに一礼した。
「それでは、教会の中をご案内させていただきます」
リルハが恭しく頭を下げて歩き出す。
ライカとザックの二人は、背中に教皇の下劣な視線の気配を浴びながら、重苦しい礼拝堂をあとにするのであった。
礼拝堂を後にしたライカ一行は、リルハの案内に従って大聖堂の内部を見て回っていた。
「それではお祈りをするのです。創造神アスタロトのお導きがありますよう……」
「創造神アスタロトのお導きがありますよう……!」
ふと、大広間の一つから、まだ舌足らずな子供たちの声が重なって聞こえてきた。
揃いの服を着せられた何十人もの子供たちが、無邪気に祈りの声を上げる。
「……街の子供たちは、漏れなくこの大聖堂で教育されます。神の教えを幼い頃から学ぶことができる、とても素晴らしい環境です」
うっとりとした表情で語るリルハに、ザックは眉をひそめた。
「そうか。……いつ頃からここで教育を受けるんだ?」
「アーティア様の季節が三度回ったあたりからです」
「それは……」
物心つくかどうかの幼子から親を引き離し、この環境に放り込んでいるのだ。個人の意志など入り込む余地もない。
自由稼業の傭兵だったザックは言葉を失い、呆然とする。
『……狂っている』
(価値観の違いだな。俺は効率的だと思うぜ?)
令嬢の静かな怒りをよそに、悪党はどこまでも冷徹にその光景を評価した。
やがて、ライカたちがその場から立ち去った後。祈りの時間が終わった広間では、子供たちの間でこんな無邪気な会話が交わされていた。
「ねぇ、きょうはマルコいないね」
「うん。きのう、およばれしたみたい」
「いいなぁ、マルコ。すごーい」
「わたしもはやく、えらばれたいな」
そう、そんな無邪気な会話が。
* * *
やがて、夜。
あてがわれた宿舎の食堂に、壮年の男が子供たちを連れて現れた。
「本日は教皇様に代わり、私が皆様をご歓待させていただきます。司祭のルーイと申します。……ほら、皆もご挨拶して、給士のお手伝いをしておくれ」
「はーい」
昼間に見た子供たちが、ぞろぞろと配膳の準備を始める。
「……よろしく頼む」
席に着きながら、ライカはルーイという男を密かに観察した。
人の好さそうな笑みを浮かべ、彼の周りには温かい空気が流れている。
「リルハ殿はどうなされた?」
何となしに聞いてみる。
「ああ、彼女は本日、なんでも『御勤めの日』だとか……。司教より上の階級になると、彼女たち修道女を『直接導く儀式』をなさるのです」
「導く、とは?」
「さぁ、それは私にはわかりません。神を信じ、より高き徳を積んだ者のみが知るということですから。私などは、まだまだ精進が足りないのですよ」
「ほーん、なんだか知らんが修行ってやつはどこも大変だよな」
ザックが傭兵らしい砕けた口調で相槌を打つと、ルーイは己の未熟さを誤魔化すように、ハハハと人の良さそうな照れ笑いを浮かべた。




