47.月のシャンデリア
数日後、ライカ達は帝都の大歓声の中にいた。
東部戦線、帝国を侵略する三国の連合軍の撃退。サモラン・ゼッタ将軍の死、ダリアの街が『敵軍』に焼かれたこと、それらが大衆には激しい戦争だったことを理解され、生還してきた兵達にことさら大きな歓声を浴びせた。
そして、最も大衆を熱狂させたのは、栄光の騎士ギュスターヴ・アレクサンドライトを退かせたと噂されるライカ・ローサである。馬上で副官のザックに手綱を引かれていることから戦闘の激しさが想像できる。
当の本人たちはフォルテも含めて、なにやら浮かない顔をしているが、戦争の疲労であろうと民衆は結論付けていた。
* * *
「さぁ、いこうぜ。……なんにせよ、戦功だ」
ザックが無理やり作った不器用な笑顔に背中を押され、彼女は歩を進めた。
その後の展開は、酷く滑稽なほど迅速だった。
フォルテ皇子率いる部隊がギュスターヴの足を止め、序盤から敵を多く殲滅した。帝国はそれを大々的に喧伝し、ライカ・ローサに子爵、ザック・ローに男爵の地位を与えたのだ。
そして、その夜。帝都では盛大な祝勝会が開かれた。
「ライカ様! とってもお美しいのだから、軍服ではだめですよぉ!」
「いや、私は……」
「お願いです……私たちに仕事させてください……ライカ様を一度は着飾らせていただきたいのです……」
(まぁ、たまにはいいんじゃねぇか?)
押し切られてしまった。涙目で懇願され押し切られてしまった。
全身を徹底的に磨き上げられ、髪も結われて宝石をちりばめられたドレスを着させられる。
無邪気な侍女たちによって豪奢なドレスを着飾られたライカが会場に足を踏み入れると、煌びやかなダンスホールは文字通り水を打ったように静まり返り、誰もがその絶世の美貌に息を呑んだ。
次々と高位の貴族たちがダンスの誘いに訪れる。だが、彼女は氷のような瞳でそのすべてを冷たくはね除け、壁際でただ静かにグラスを見つめていた。心はまだ、あの血の平野に置いたままだ。
「ま、気分じゃねぇよな。ローサ子爵」
「当たり前だ。そもそもこういうのは好かん。ロー男爵」
「やめてくれ」
「互いにな」
「でもよ、まぁ、よ。滅茶苦茶、綺麗だぜ」
「……ありがとう。ザック」
相棒の不器用な労いに、貴族たちの誘いに辟易していた心が幾分か綺麗に洗い流される。
そんな彼女の耳に、戦場を知らぬ貴族たちの下劣な笑い声が届いたのは、宴もたけなわの頃だった。
「サモラン将軍もお気の毒でしたな。まぁ、所詮は武人。戦場で死んでしまうなど、知恵の回らない愚か者だったってことだ」
「おっしゃるとおり。それに加えて、思ったより情けない前線部隊でしたな! ギュスターヴなどを仕留めきれないとは!」
「全くだ。なんでも銀狼殿の副官は、特攻して無駄死にしたとか!」
「知恵が回りませんなぁ!」
酒の入った貴族たちの下劣な嘲笑が、華やかなホールに響き渡る。
「――キ……サマ……ッ!!」
ライカの声が、獣の唸り声のように低く床を這った。
ライドが死んだ割には平然としている。そんなライカのことを冷徹なバケモノだと噂する者もいる。
違う。必死に抑え込んでいただけなのだ。将軍として凛々しくあるために。残された自分たちが、せめて前を向いて歩くために。
この美しくも凛々しい少女が、冷徹なバケモノなわけがあるか。
誰よりも仲間を想い、誰よりも不器用で、誰よりも傷だらけの――。
だからこそ、だめだ。ここで刃を抜けば、あいつの命の対価が本当に無駄になってしまう。
「ライカ! やめろォッ!!」
ザックは全速力で床を蹴り、剣の柄に手をかけたライカの細い身体へ、全体重を乗せてタックルをかけた。そのまま床に押し倒し、豪奢なドレスが破れることも構わず、泣き出しそうな顔で全力で羽交い締めにする。
「離せ! ザック! 離せェェッ!!」
血を吐くような絶叫。怒りで我を忘れて暴れる少女の精神の奥底で、かつての大悪党は呆れたように鼻を鳴らした。
(……だから、お前は小娘なんだよ。馬鹿娘)
羽交い締めにされながらも、ライカは床から顔を上げ、貴族たちを睨み据えて叫ぶ。
「戦士を愚弄するな! お前らは何処にいた! ダリア平原で散った者たちに、愚か者など一人もいない! お前たちは何処にいたんだ! 我々は戦場にいたぞ! お前らを守るためだ! もう一度言うぞ! お前らは何処にいた!!」
「こ、の小娘が……! わしに向かって!」
激昂した貴族が顔を真っ赤にして怒鳴り散らそうとした、その時。
「……ライカ殿。ここは収めてください」
静かで、底知れぬ冷ややかさを帯びた声が降りてきた。第六皇子フォルテだ。
彼は表向きは悲しげに首を振り、場を仲裁する『無害な皇子』を演じている。
(僕に実績と権力を与えてくれた、大切な戦士だ。――あの豚ども。後で必ず、地獄の底まで叩き落として知らしめてやる)
その青い瞳の奥で、どれほどドス黒い殺意の炎が渦巻いているかなど、嘲笑う貴族どもは知る由もない。
「ふん! 頭の足りない蛮族が! この無礼者を牢へ放り込んでおけ!」
勝ち誇った醜い声が響き渡り、近衛兵たちが躊躇いながらもライカの元へ歩み寄った。
「ライカ将軍……失礼いたします」
「……君たちに迷惑をかけるつもりはないんだ。早く私を連れて行ってくれ。些か、此処は息苦しい」
「ご協力、感謝、いたします……!」
近衛兵達は、まるでひどく壊れやすく大切なものを扱うように、優しくライカを拘束する。
「近衛兵。なぜ、君が泣く」
「……っ、なんでも、ございません」
若い近衛兵は乱暴に涙を拭い去ると、ぽつりと、だが決意を込めた声でこぼした。
「俺、近衛やめようと思うのです」
「そうか。良い職だろうに。そのあとはどうするのか」
「貴女の軍に、入れて貰えますか……」
ライカは少し驚いたように目を見開き――やがて、静かに微笑んだ。
「ああ。歓迎する」
* * *
ライカは薄暗い牢屋でいままでのことを思い返していた。故郷が王国貴族の罠にはめられたこと。帝国兵に焼かれたこと。帝国で将軍になったこと、大事な戦友を失い、爵位を得たこと。
『色々ありすぎた』
(小娘、お前の国盗りはやっと準備終えたところなんだよ)
『……そうか。でもいまはこの静寂がありがたい』
「……ライカ将軍。釈放です」
数日後。冷たい地下牢の扉が開かれた。
薄暗い通路を抜け、外の空気を吸い込んだライカの前に立っていたのは、どこかホッとしたような顔の自称凡人のザックだった。
「よぉ。迎えに来たぜ、相棒」
「……ああ」
ライカは無言でザックにエスコートされ、二人は静かに牢獄の裏手へと歩みを進める。
そこは、城の華やかな庭園とは真逆の場所。冷たい石壁に囲まれ、人の手も入らぬまま雑草が生い茂る、名もなき荒れ地だった。
「あのあと、戦場にいってきてさ。ライドの大剣がぶっささった墓があったんだ。こんなもんしか見つからなかったけど……これは、おれのでいいよな?」
「……それは、ライドの」
ザックの土に汚れた掌にあったのは、ライドが常日頃身につけていた、安っぽい布地のお守りだった。
ザックはそれを愛おしそうに自分の首にかける。バカで最高な相棒の命の重さを、二度と忘れないようその身に刻み付けるように。
頭上には、痛いほどに冴え冴えとした満月が浮かんでいる。
ふと、ザックが歩みを止め、ライカに向き直った。そして、薄汚れたブーツのまま、まるで王族の騎士のように芝居がかった優雅な所作で、そっと右手を差し出した。
「……みすぼらしい場所だけどよ。レディ、踊っていただけますか?」
ザックの瞳には、いつもの軽薄な笑みはない。ただ、傷ついた相棒の魂に寄り添うような、不器用で真っ直ぐな光だけが宿っていた。
ライカは、差し出されたその手をじっと見つめ――やがて、フッと微かに口角を綻ばせた。
そこにいたのは、冷酷なバケモノでも、凶悪な大悪党でもない。誇り高き一人の令嬢の姿だった。
「とても素敵な場所よ。ザック……ええ、喜んで」
銀髪の令嬢は、みすぼらしい囚人服の裾を、まるでそこに存在しない豪奢なドレスがあるかのように摘み上げ、優雅に一礼してその手を取った。
音楽はない。あるのは、夜風が木々を揺らす微かな音だけ。
豪華な絨毯の代わりに、足元にあるのは夜露に濡れた荒れ地の雑草と土。
きらびやかなシャンデリアの代わりに、頭上から彼らを照らし出すのは、冷たくも美しい月明かり。
誰にも見られることのない、牢獄の裏庭。
そこで二人は、死んでいった気高き戦士へ手向けるように、静かに、そしてこの世のどの舞踏会よりも美しく、ステップを踏み始めたのだった。




