44.ギュスターヴ・アレクサンドライト
「な、なんだよありゃあ。死の気配がそこら中に撒き散らされてやがる。やべぇ……ッ」
「トラキアが作り上げてきた化け物の血筋、アレクサンドライト家の騎士だ……。こいつは、早く逃げねぇと」
遠目からでも圧倒的な存在感を放つ『白銀』を見るだけで、ザックとライドの足は竦み、震えが止まらない。
ギュスターヴがただ歩みを進めるだけで、強固だったはずの帝国軍の前線が、まるで紙切れのように易々と押し返されていく。
「って、やべぇぞ! 殿下はあの前線のすぐ近くにいるはずだ!」
「おう! ビビってる場合じゃねぇ! 早く戻らねぇと、あの殿下のことだ……!」
「ああ!」
圧倒的な死の気配を前にして、二人は恐怖を怒声で無理やりに塗り潰し、主君の下へと戦場を駆け出した。
* * *
「あんなの……反則だよ……」
圧倒的な武による進撃。たった一人の騎士によって、心血を注いで構築した強固な陣形もなす術なく崩されていく。
「殿下、呆けている場合じゃないよ。逃げよう」
常に飄々としているカルロが、珍しく焦ったような声を出して腕を強く引いてきた。が。
「だめだ」
その手を、震えながらも振り払う。
「ライカ殿とザック殿、ライド殿が、まだ戻ってきていない。ぼく……私がここで指揮して陣形を保たないと、前線にいる彼らの逃げ道がなくなってしまう!」
恐怖に足は震え、顔から血の気がひいていくのを感じながらも、その場から一歩も退くまいと足に力を込める。
その時、陣形の崩れた隙間を縫って、連合軍の兵士の一人が眼前へと迫ってきた。出で立ちからして、エルドラドの傭兵だろう。
「手柄ぁッ!!」
首を狙い、凶刃が振り下ろされる。
――護衛の兵が反応するよりも早く。
「仕方ないなぁ」
「え?」
シュッ、と。
一閃。傭兵の首が、あっけないほど軽やかに宙を舞った。
何が起きたのか理解できず、突然、殺気を放ち始めた吟遊詩人に向かって、フォルテも近衛も目を剥いた。
「まぁ、僕も彼等は嫌いじゃないんだ。あの女はイマイチだけど」
ニコニコと軽薄な笑みを浮かべて、カルロはフォルテを守るように前に立ちはだかった。
直後、決死の形相のライドとザックが合流してくる。
「フォルテ殿下!」
「ザック殿! ライド殿! よくぞ無事で……! ライカ殿は!?」
「あ、あぁ!? ライカならすぐ後ろに――」
振り返ったザックが、戦場の中央にそれを見つけた瞬間。
彼の顔面から、血の気が引いた。
「お、おい……ッ!」
「ライカ! やめろ!! そいつは駄目だ!!!!!」
ザックの喉が裂けるような悲痛な叫び。
「行くぞザック!」とライドが駆け出すが、もはや間に合わない。
「ごきげんよう、騎士様」
血濡れた戦場にあって、身に沁みついたカーテシーを決める。そして、剣を構えて白銀の騎士ギュスターヴの真正面へと悠然と歩み出た。
周囲には兵が大勢いるのにも関わらず、不思議と誰一人として攻め込んではこない。帝国兵は恐れ慄き、連合軍はギュスターヴに絶対的な信頼があるからだ。
(奴らが妙に折れなかったのはこいつが原因か)
「そこの令嬢に扮した戦士。名は」
「ライカ・ローサ」
名乗った直後、白銀の騎士は目を細め、静かに告げた。
「偽りだな。……貴公は、名と体と心が合っていない」
「どうだろうな」
その言葉を受けた、瞬間。目が熱くなる。
右は本来の菫色の静けさを残し――左の奥からは、禍々しい黄金の熱が強烈に吹き上がり始めた。
一つの体に宿る二つの魂が、湧き上がる闘志の中で同期する。
「知れたこと」
辺境の男爵令嬢と最凶の悪鬼は、獰猛に嗤った。
そんな異形の姿を前にしても、ギュスターヴは表情一つ変えることなく、手にしていた槍を放り投げ、腰に差した美しい光を放つ剣を抜いた。
「戦士よ、強き者よ。我が、人の届き得る力の頂点と知れ。――喜べアストライア、出番だ」
そして、その切っ先を静かに向けてきた。
(小娘。序盤は体の全権を寄越せ。プライドやら言ってる場合じゃねぇ)
『唐突なスイッチを狙う訳か』
(ハッ、嫌だネェ。付き合いが長いっていうのは)
魂の同期と同時に、動いた。
地面の砂を思い切り蹴り上げ、ギュスターヴの視界を奪う目潰しの幕を張る。そしてその砂塵に紛れるように鋭く一歩を踏み込み、剣で突きを放った。
――しかし。ギュスターヴは飛来する砂を躱しもせず、あろうことか目に砂が入ったにも関わらず、瞬き一つとして閉じることすらしなかった。
瞳を開いたまま、放たれた突きを、ただ単純に剣の腹で逸らす。
こちらの放った一撃は、次を繋ぐための様子見の突きであった。そのため、体重は踏み込む前の軸足にしっかりと残してある。だからこそ、弾かれた反動で無様に吹き飛ばされる羽目にはならなかった。
だが、
(……重てぇ)
『ライドとは比べ物にならない』
ただ単純に軌道を逸らされただけ。その無造作な払い一つから伝わる反発力は、こちらの体重が完全に乗っていなかったにも関わらず、腕を根元から激しく痺れさせていた。
「――ッ!」
すぐさま、長年の戦闘経験が警鐘を鳴らし、体を半身分ずらす。直後、アストライアが轟音を伴って横の地面を爆散させた。
――放たれる殺気が、明確に一段階跳ね上がる。
(たまらねぇ。たまらねぇよぉ!)
気分がアがる。いや、ブチアがる。
『悪鬼!?』
(小娘ェ、耐えられねぇ。抑えきれねぇ。スイッチ? 渡せる気がしねぇ!)
左目の黄金が、充血するように真っ赤に染まっていくのを感じる。体中の血流が沸騰し、倍速で駆け巡るような異常な感覚。
『筋肉が、全身が、悲鳴をあげている……ッ!』
「ハッハァ!!」
全身の筋繊維が断裂するのも厭わないリミッター解除の膂力。獰猛に嗤いながら、渾身の力を込めて剣を振り下ろした。
「くっ!?」
常軌を逸した重い一撃に、それを受けたギュスターヴがたまらずたたらを踏む。
無表情だった彼の顔が、ここへ来て初めて苦悶に歪んだ。
「ギュスターヴ様が、後ろに動かされた……!?」
周囲の兵たちが信じられないものを見たようにざわめく。
「フハハハハ!」
追撃とばかりに、再び飛びかかる。ギュスターヴは即座に迎撃の構えを取る――が、行かない。
予測された間合いよりも手前で急停止し、足元の石を拾い上げ、次々と投げつけてやった。
一つ、二つ、三つ……!?
豪速の投石。躱すまでもないと踏んでるのかギュスターヴは剣で弾き落とすが、三つ目の石を砕いたその瞬間、死角から首元へ矢を放つ。
驚愕の色をみせたギュスターヴ。ギリギリのところで鎧が矢を弾き、彼の肉体に届くのを防いだ。
「見ろ……あの戦いぶり!」
「ライカ将軍! いや、スフィーリア様だ!」
「スフィーリア様!!」
バケモノと互角に打ち合い、敵を追い詰める姿に、帝国兵たちの士気が爆発した。呼応するように、戦乙女スフィーリアへの合唱が戦場に轟く。
「ギュスターヴ! ギュスターヴ!!」
負けじと、連合軍も自らの絶対的支柱の名を叫び返す。
「帝国兵! 聞け! 退却陣を組んで退く準備をしろ!」
怒号のような歓声の中、凛とした声を響き渡らせる。
戦闘狂の悪鬼に肉体の制御を預けながら、もう一つの魂――エルマが、その声帯だけを使って冷静に軍の指揮を執っていた。
「俺と打ち合いながらも指揮を執るか。その頂もまたよし」
「口調が変わってるぜぇ! ギンギラ!」
余裕を失い、一人称が崩れたギュスターヴを嬉々として煽り立てる。
だが、油断は少しもできない。
ギュスターヴの攻撃は受けてはいけない。初動も見えないが、長年の経験と闘気の流れだけでギリギリ躱す。そして、恐ろしいことに、彼の打ち終わりには一切の隙が生じない。
(だったら、こっちから隙を晒してやるよ……!)
意図的に防御を緩め、致命的な隙を作ってみせる。
――だが、打ってこない。
罠だと看破しているのか、あるいは最適解のみを選択するよう設定されているのか。目の前にいるのは、嫌味なまでの鍛錬に裏打ちされた、完璧な戦闘芸術品だった。




