43.白銀の死神
ほどなくして、開戦の合図が戦場に鳴り響く。
五人乗りの無骨な木製チャリオットに揺られながら、ライカは戦場を見渡した。並走するのは、急造された計二十台ほどの同型機。
――そして、定めた獲物に照準を合わせるように、遥か前方の敵軍を鋭く睨みつける。
「いいか! 敵のチャリオットが出てきたら、ぶつかる前に乗り捨ててもいい! 敵の歩兵陣には勿論、乗り捨てて馬ごと突っ込ませてやれ!」
敵将ラビィの部隊から放たれる矢の雨を盾で弾きながら、ライカは怒号を飛ばす。弓兵の前面には、こちらの守備陣形を真似たのか、大盾を構えた歩兵隊が分厚い壁を作っていた。
セオリー通りならば、歩兵の壁には騎馬による突撃が有効だ。牽引する馬の首には急造の防弾板をはめ込んではいるが、それでも降り注ぐ矢の嵐をすべて防ぎきることは不可能。
悲鳴のようないななきと共に、一頭、また一頭と馬が血を噴いて地に伏していく。だが、敵陣激突まであともう少し。
「倒れた馬の手綱はすぐに切れよ!」
「将軍! これ、最後まで耐えられますかね!?」
「耐えなくてもいいのさ」
「え?」
盾を構えた兵士の一人が間抜けな声を上げた、その時だった。
ライカが二日目から執拗に巡回し、完全に制圧していたあの『森』から――伏兵として息を潜めていた大量の帝国兵が、怒涛の勢いでなだれ込んできたのだ。
たかが、二十台ほどの急造された木造チャリオット。しかし、大きく無骨な車に盾を持った人間が乗り、土煙を上げて真正面から突撃してくるその見た目のインパクトは、絶大だった。
だから、逸れた。敵の意識は、見事に眼前へ釘付けにされたのだ。
「小をみて、大を見ずだな」
矢を浴びて崩れゆく囮の上で、悪鬼は戦場で嗤った。
* * *
「少数の囮を派手に見せてからの、本命の不意打ちか。見事なり! こちらも突撃させよ! 今が機ぞ! 十万の物量で、一息に押しつぶせ!!」
後方の高台から戦況を見下ろしていたサモラン将軍は、采配を振り下ろしながら上機嫌に笑った。
「見事! 見事なり! ……使わなくても良いのであれば、使いたくないのだよ。私だってな!」
レゼンからファラリス皇子を経由して渡された、あの『ダリアの街の焦土作戦』。
サモランとて、思うところはある。可能であるならば、非道な策の当事者にはなりたくなかったのだ。このまま敵を圧倒できるのならば、それに越したことはない。
* * *
「ククク、慌ててチャリオット出してきやがったぜ。だがな――近い」
勢いを失った木製チャリオットから軽やかに飛び降り、ライカは自ら大剣を抜いて敵陣へ突撃する。
森からの伏兵部隊の指揮は、ザックとライドに完全に任せてある。タイミングは完璧だった。順当に己の思考に染まりつつある副官二人の成長を思い浮かべ、ライカはくつくつと喉を鳴らした。
森からの伏兵により敵の矢は完全に分散され、強固だった盾の壁にも隙間ができている。
「オラ! おめぇら! 『足』の使いどころだ! モタモタしてると、手柄ァ全部俺が取っちまうぞ!」
ライカは血飛沫を上げ、恐怖に顔を引き攣らせる敵兵を次々と屠っていく。
最前線を阿鼻叫喚の地獄へと変えながら、ふと背後を振り返った。
「……チッ、てわけにもいかねぇか」
サモラン率いる十万の帝国本隊が、大地を揺るがす波のようになって押し寄せてくるのが見えた。
しばらく刻が経つ頃には、圧倒的な物量とライカの蹂躙により、三国連合の軍勢は大混乱に陥っていた。
* * *
「報告! 帝国軍、勢いが止まりません!」
「くっ……! さすがの質と量だ」
トラキアの将は、血の気を失った顔で天を仰いだ。
どうするか。退くか。この勢いは、残酷なほどに連合に不利だ。全ては、あの忌まわしき『銀狼』が序盤からことごとく出鼻を挫いてきたせいだ。
撤退の二文字が将の脳裏をよぎった、その時だった。
「案ずるな」
「ッ!?」
「あぁ……、あぁ……! サー、来ていただけたのですね……」
背後から響いたその信じられないほど静かな声に、トラキアの将は安堵のあまり、平伏した。
そして彼の頭に撤退の二文字は綺麗に無くなったのだった
一方、敵将が絶望の淵に立たされていた頃。
ライカは順当に敵陣の中頃までを荒らしまわっていた。陣形は崩壊し、逃げ惑うばかりの連合の兵士たち。
だが――急に、その動きが不気味なほど「まとまり」始めた。
(あ? やけに敵さんの動きが良くなりやがった……いや、違う)
『悪党! 何か聞こえるぞ』
さっきまで死に物狂いで逃げ惑い、恐怖に泣き叫んでいた連合の兵たちが、ピタリと動きを止めたのだ。
「――無明を照らす白銀を!」
彼らは次々と直立し、武器を捨て、祈るように両手を組んで、狂ったように一糸乱れぬ声で唱和し始めた。
その異様すぎる光景に、殺戮を繰り広げていた帝国軍の兵士たちも、無意識のうちに恐れを抱き足を止めてしまう。
攻めなくてはいけない。ここで一気に押し潰さなければならない。
しかし。しかし。
見てしまう。いや、目を奪われて、観てしまうのだ。戦場であるのにも関わらず、聞こえてくる音と言えば連合軍の唱和の声のみ。
「全ての光を、その身に受け――!」
人垣が割れる。そして人々は平伏するのだ。
その中心。泥と血肉と硝煙が混じるこの地獄の戦場にあって、ただの一つの泥跳ねすら許さない、美しい芦毛の馬に乗った『白銀の騎士』が、悠然と現れた。
「我らが希望! 我らが光! 『輝かしき栄光の騎士』、ギュスターヴ・アレクサンドライト!!!」
数万の兵士たちの狂ったような大合唱が終わるか終わらないかの、刹那。
讃美歌のただ中で、その騎士だけがひどく静かに――何の感情も、殺気すらも乗せずに、手にしていた槍を無造作にひと投げした。
それは、鼓膜を破り世界を裏返すような凄まじい風切音。
神速で放たれた一振りの槍が、遥か遠く離れた距離にいるライカの頬を僅かに掠め、背後の分厚い大地をクレーターのように爆砕したのだ。
「案ずるな。我に続け。我に従え。――さすれば、勝利を約束する」
砂塵が舞う中、絶対者の声だけが戦場に響き渡った。
その言葉を受けた瞬間、弱き者たちは再び武器を手に取る。その目に宿る光、その身から放たれる覇気は、もはや先ほどまでの比ではない。
たった一人の存在が、劣勢だった軍勢の恐怖を完全に塗り替えてしまった。
そして、槍を投げたその白銀の騎士と目が合った気がした。背中にゾクリと悪寒が走る。このような本能に訴えかける恐怖は悪鬼との邂逅の以来か。
(小娘。撤退だ。今すぐ退くぞ。アレクサンドライト家の騎士……それも、あれは恐らく頭領だ。こいつはヤベェ。『特級』だ。今のお前の器では、無理だ)
『悪鬼。……お前なら、やれるのか』
(行ける、と言いたいところだがな。意地で分析を捻じ曲げるのは三流のやることだ。まぁ、正面からなら勝てやしねぇな)
『なら――尚更退かない。退けない。私は後だ』
(……チッ、手のかかる小娘だ)
最凶の悪鬼の冷徹な生存本能を、令嬢の覚悟が上回る。
――死神だ。
人が、飛ぶ。白銀の騎士がただ動作をする。それだけで、帝国兵が枯れ葉のように宙を舞い、絶命していく。
帝国民は力を尊ぶ。だが、彼が振るうそれはあまりにも次元の違う武力ゆえに、兵士たちを純粋な恐怖へと塗り替えていく。
「我が戦場に於いて、皆が等しい。トラキアも、エルドラドも、ラビィも……関係ない。この戦場に、私が来た。さすれば、皆、私の庇護下である」
戦場の空気が、たった一人の騎士の登場によって完全に裏返った。
帝国は十万の軍勢で押し潰していたはずだ。まだ勝敗は決まってなどいない。
――それなのに。
後方の高台から戦況を見下ろしていたサモラン将軍はその時、脳裏に火弾槍がよぎったのだった。




