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大悪令嬢──蟲這う大陸で戦士達は詠う──  作者: 三四郎
第二章 狼と薔薇の輪舞曲(ロンド)
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38.戦場のタクティクス

 大気を裂くラビィの矢と、地響きを立てて迫るトラキアの重装騎士。戦場の緊張状態が最高潮に達した、その時だった。


「うわぁ!? 躓いたぁ!」


 間の抜けた声と共に、カルロの乗る馬が不自然に体勢を崩した。

 それは単なる落馬ではない。カルロの馬は、あろうことか隣にいたフォルテの馬へと激しくぶつかり、少年皇子を馬体ごと横へと大きく弾き飛ばしたのだ。


「殿下!?」


 ザックや周囲の近衛兵たちの顔色が一変する。

 こんな死地のど真ん中で味方を突き飛ばすなど、何を考えている。とうとうこの得体の知れない吟遊詩人が本性を現し、殿下の命を狙ったのか。

 数人が殺気を放ち、即座に剣の柄に手をかけた、次の瞬間。


 先ほどまでフォルテの頭部があった虚空を、凄まじい風切り音と共に、ラビィの矢が通り過ぎていった。

 もしカルロがぶつかっていなければ、フォルテの命は無かったであろう。


「……カルロ、気をつけてね」


 姿勢を立て直したフォルテが、少しだけ冷や汗を流しながらも、咎めることなく静かに声をかける。


「ごめんごめん! いやぁ、馬が石に躓いちゃってさぁ!」


 カルロは悪びれる様子もなく、ペロリと舌を出しててへへと笑った。

 周囲の兵たちは「運良く助かったのか……ふざけた真似を」と安堵と呆れの息を吐き、再び眼前の敵へと意識を戻す。


 だが、悪鬼と令嬢はその茶番を冷徹な眼で観察していた。


『悪鬼』


 脳内で令嬢の声が響く。それに応じる悪鬼の思考は、確信に満ちていた。


(ああ、間違いねえ。ただ馬が躓いたごときで、騎乗した人間を馬体ごと弾き飛ばすなんて芸当ができねぇ。なんの事情があるか知らねぇが……こいつ、実力を隠してやがる)


 戦場のど真ん中で、悪鬼は面白そうに嗤うのであった。


 * * *


「……嫌なところで防御陣を敷いてくる。チッ、十中八九、帝国の老いぼれよ。早く引退すればよいものを……。銀狼と鉄壁が緒戦で出てくるか」


 見晴らしの良い本陣から戦況を俯瞰していたトラキアの将は、忌々しげに舌打ちをした。

 彼の視線の先では、怒涛の勢いで突撃していたはずの味方の重装騎士たちが、突如展開された黒百合の大盾と槍の壁の前に、完全に勢いを殺されていた。


「バモンの守備力とライカの攻撃力を併せた、嫌な編成ですね」


 傍らに控える副官が、戦況の推移に冷や汗を流しながら同意する。狂気的な突破力を持つ『銀狼』が前線をかき回し、空いた隙間を『鉄壁』が即座に塞ぐ。帝国が誇る二大将軍の連携は、連合軍にとって厄介極まりない。


「ああ。攻撃力だけであれば、数と質で決して負けていないのだがな。バモンの恐ろしさは、こちらの『足』を止めてくるところにある」


 将は手にした軍配をギリッと強く握りしめ、眼下の泥沼を睨みつけた。


「見ろ、騎馬の足がとまってしまった。あれでは弓兵の良い的である」


 将の言う通りだった。機動力を失い、大盾の前に密集してしまった重装騎兵は、的が大きく身動きの取れない「ただの鉄の塊」に成り下がっている。このままでは、帝国軍からの反撃の格好の餌食になるのは明白だった。


「どうなさいますか?」


 焦りを見せる副官の問いに対し、将は先ほどまでの忌々しさを捨て去り、ふっと酷薄な笑みを取り戻した。その瞳に、盤面を力技でひっくり返す非情な決断が宿る。


「エルドラドが金にモノを云わせて作らせた『チャリオット』を使う。一千ほどあっただろう」


 その言葉が出た瞬間、副官は息を呑んだ。

 エルドラド――大陸有数の資金力を誇るその名と、一千という常軌を逸した数の機動兵器。それは、防御陣を破壊するために用意された、連合軍の兵器の一つであった。


 * * *


(なんか出てきたな)

『あれは馬車か?』


 大地の震えが、先ほどの重装騎士たちのものとは別の、より硬質な響きへと変わった。

 バモンの鉄壁の向こう側、砂塵を真っ向から切り裂いて姿を現した異形の群れに、悪鬼と令嬢は目を細める。


 それは、二頭の軍馬に牽引された頑丈な二輪の戦闘馬車チャリオットであった。

 一千にも及ぶその鉄輪が地を鳴らす光景だけでも脅威だが、本命はその上に乗る者たちだ。揺れる荷台の上で、深緑の外套を纏った『ラビィの弓兵』たちが、まったく体勢を崩すことなく大弓を番えている。

 さらに、その馬車の車輪を守るようにして、エルドラドの傭兵たちがピタリと並走し、分厚い護衛の壁を形成していた。


 機動力、遠距離狙撃、そして近接護衛。

 三国連合軍の強みを一つの兵器に集約させた、最悪の移動砲台が帝国軍へと牙を剥いたのである。


「大盾隊は確かに突撃に対しての最適解の一つだ。だが、動けん。戦場は常に動くのだよ、バモン」


 敵将はそう言ってほくそ笑んだ。


 * * *


「フン、また小難しいものを出しおって、田舎者共が」


 バモンは土煙を上げて迫るチャリオット群を目視し、目を細めた。


「大方、大盾に機動力がないとしての判断だろう。甘いのだよ」


 連合軍の狙いは明確だ。機動力のない逆三角陣形の「横」へとチャリオットを回り込ませ、側面から矢の雨を降らせて陣を崩していく戦法である。

 老将はスッと手をあげる。


「何のために、モルスを背にしていると思っている。全軍、扇状に広がれ!」


 バモンの号令と共に、帝国軍の分厚い逆三角の陣形がうねりを上げて動いた。

 背後にそびえるモルスの麓。そこを起点とし、チャリオットが回り込もうとする平原の側面を完全に塞ぎ、地形ごと埋め尽くすように、軍勢が巨大な『扇状』へとその形を変えていく。


 * * *


 凄まじい地響きと共に、自軍の陣形が後方で大きく変形していく様を肌で感じながら、ライカは獰猛な笑みを深めた。


「バモンのじいさん、やってくれるぜ。あの陣形はな。攻撃を捨てている防御陣形だ」

「そうだね。あの陣形は確かに硬い。でも、地形を埋めるために人員を割いているから、こちらから攻めることはできない。機動力を弱点にとられた戦術を取られたら、もっと機動力をなくして防御に徹する。……経験値だね」


 激化する戦場の中央で、ライカとフォルテはまるで談笑でもするかのように言葉を交わす。

 フォルテの瞳には、恐怖などとうに消え失せ、盤面における老将の意図を正確に読み解く知性の光が宿っていた。


「つまりよ」

「うん。攻撃は任せたぞっていうメッセージだね」

「そういうことだ」


 ライカは剣を肩に担ぎ直し、眼前に迫る連合軍の波へと視線を戻す。

 鉄壁が背後のすべてを引き受けるなら、銀狼はただ前だけを見て、敵の喉笛を食い破るのみ。


「ちょっとばかりカッコつけすぎなんだよ、じいさん」

「守備がかっこいいなんて思いもしなかったよ」


 少年皇子と軽口を叩き合った後、ライカは自軍に向けて張り裂けんばかりの号令を飛ばした。


「行くぞ! ライド! ザックの部隊の指揮もまとめて引き受けろ! ザック! こっちに来て乗れ!」

「おう! ハッハ! 俺が六千人将になっちまったよ」

「はぁ?」


 即座に了承するライドとは対照的に、突然名指しされたザックが間の抜けた声を上げる。

 そんな彼の戸惑いなど一切お構いなしに、ライカは馬上から手を伸ばし、混乱するザックの腕を強引に引っ張り上げた。そのまま軽々と自らの前に彼を座らせる。


「ラ、ララライカ!?」

『……』

「盛るな。お前にはこれを託す」


 突然、美少女が背中に密着する形となり、ザックが限界まで声のトーンを裏返らせた。


(盛るなって言ってもよぉ……っ! こんな密着してたら、くっ、めちゃくちゃ良い匂いがしやがる……!)


 頭上から無数の矢が降り注ぐ絶望的な死地のど真ん中だというのに、ザックの脳内を若者特有の煩悩が駆け巡る。だが、彼がその香りに酔いしれる暇など一秒たりとも与えられなかった。

 ライカから無造作に押し付けられたのは、分厚い「二つの盾」だったからだ。


「手綱と攻撃は俺に任せろ。お前は俺の命を守れよ? 副長さん。――いいか!? 全軍、この編成にしろ!」


 二つの盾を持たされたザックの背筋が、別の意味で凍りついた。

 前衛が守備に全振りし、後衛が攻撃に徹する「二人乗り」の突撃陣形。

 無茶苦茶な命令だが、この矢の雨を突破するには良い戦法に思えた。

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