33.帝国は負けられない
大陸歴一四五三年。すべての生命を沈黙させるアスタロトの極寒の季節が、ようやく終わりを告げようとしていたころ。
帝都より東に位置する国境の関所にて、異変が起きた。
「共有貿易エリアから多数の軍勢! 軍旗は……トラキアです! トラキアの騎士団が来ましたっ!」
同時刻、東北エリア。
「ラビィだ! ラビィが来たぞォォッ!」
そして、南東の関所でも、同様の悲鳴が上がった。
「エルドラドの傭兵団だ……!」
――それは、帝国の息の根を止めるために計算された、三ヶ国同時侵攻の合図であった。
* * *
「うー、さぶさぶ。アスタロトの季節はどうも好きになれねぇ。鼻水まで凍ってしまいそうだ」
ザックは凍えるような寒さに背中を丸めて歩く。
「寒ければ、これをやる」
隣を歩くライカから、編み物をほいっと投げ渡された。
「お、ライカ。これは、マフラー?」
「……まぁ、苦労かけてるからな」
「ありがたやありがたや。お、手作りってやつか。器用だよな、本当」
「昔は、これしか、取り柄はなかったから」
二人で遊撃軍の訓練場から宿舎の母屋へと戻る道すがら。渡されたのは、手編みと思われる分厚いマフラー。そこには、リンゴをくわえた狼の模様が丁寧に施されている。
と、そんな穏やかな空気を切り裂くように。皇宮からの早馬が、土煙を上げて駆け込んできた。
「ライカ・ローサ将軍! 将軍はおられるか!?」
「ここだ」
ライカが手をあげて応対する。
「おお! 本日も……いや、それどころではなかった! 至急デズロードまで来られたし! ザック殿、ライド殿もだ!」
早馬の騎士は、見るからに焦燥しきっている。
「すぐに行く」
「承知した!」
「……嫌な予感しかしねぇぜ。ライドを呼んでくる」
「この世はそんなことの連続だよ」
ザックのつぶやきに、ライカは達観したようにそう返した。
* * *
「事態はまぁ、予想通りと言えば予想通りだ」
軍議の間。帝国の軍部を仕切るファラリスの重々しい声が響く。
「現在、ラビィ、トラキア、エルドラドの三国は国境沿いに兵を置きつつも、ダリア平原に集結しつつある。今回はこの三国が相手だ。西はレゼンとボーラに任せてある。そこのライカ将軍が昨年、散々な目に遭わせたからまぁ圧力は少ないだろうが、念のためだ」
広げられた大陸図を指さして説明を続けるファラリス。
将軍の面々がその指の先に視線を送る。彼らの目には、帝国の将としての知性の光が宿っているのが、フォルテにもはっきりとわかった。
「ラビィの弓兵隊、トラキアの騎士団、エルドラドの傭兵団。守備力、突撃、遊撃とそれぞれの特色がある。それを三つ合わせて我が国に挑もうという魂胆だ。奴らはこの共同貿易エリアを利用して兵站を積むつもりだ。これが厄介だ」
ファラリスの隣で見ていたフォルテは、弾かれたように声を上げた。
「ダリア平原は共同貿易エリアのすぐ近くだ。つまり、ここが激戦区となる」
「そうだ、フォルテ。ここに最大の防御と攻撃を置くべきと考える。――バモン・ドーラ将軍!」
「はっ。お受けいたします」
恭しく頭を下げる。バモン・ドーラは黒百合に鷹の旗印の将軍。大貴族に使用が許される黒百合。復讐、呪いを意味するその花は使用が許される栄誉はあるが、その意味からも旗印に使用するには忌諱されることが多い。そのことからも、彼の実直な性格が窺える。
「鉄壁の貴公がここの守備を担当しろ。――ライカ・ローサ将軍!」
「はい」
「銀狼よ。貴公はここで、存分に暴れるがいい」
「その任――戦士の誇りにかけて」
数は昨年の西部戦線のおよそ二倍以上。なかでもトラキア国の騎士団は精強であることで有名だ。
一筋縄ではいかない。
フォルテが固唾を呑んで見守る中、軍議では諸将軍に向けて綿密な作戦が言い渡されていった。
軍議が終わり、遊撃軍の宿舎。
卓上に広げられたダリア平原の地図を囲むように、ザックとライドが立っている。
先ほどの張り詰めた空気から一転、そこには傭兵時代を思わせる、気の置けない空気が漂う。しかし、地図上に無数に置かれた敵軍の駒の数は、二人の表情に濃い影を落としているのがわかった。
「それはまた、デカいな……」
「東諸国の一斉攻撃か。ついてねぇ世代だ」
ため息をつくザックと、頭を掻くライド。
無理もない。これまでは奇策や局地戦で切り抜けてきたが、今回ばかりは正面からのぶつかり合いになる。
「今回、我が軍の兵数は通常の八千に加え、更に六千をいただいた。その六千の指揮をフォルテ殿下にお願いする。そして三千ずつをザック、ライド、お前らで頼む。――私は二千でいい」
淡々と陣形配分を告げると、二人は呆れたように顔を見合わせた。
総勢一万四千。路地裏でどんちゃん騒ぎをしている自分たちが、これほどの巨大な軍の命運を握っているという重圧。
そして何より――総大将であるはずの自分が、一番少ない手勢を率いるというその意味を、彼らは痛いほど理解しているのだろう。
「わかった。割り振られた分の指揮は任せとけ」
「了解だぜ。……だがライカ、お前また一番少ない兵力で、一番ヤバいとこに突っ込む気だろ」
ライドの半ば呆れたような問いに、自然と口角が吊り上がるのを感じながら、ただ短く頷いた。
「だって私は、将軍だから」
* * *
皇宮デズロードの一角。重厚な扉に閉ざされたファラリスの執務室は、息が詰まるほど冷たい空気に満ちていた。
執務机に深く腰掛け、書類に目を落とすファラリス。その前に立ちはだかるように、ベルベットと共に兄と対峙する。
「ファラリス兄様。本当に、レゼン将軍の秘策を使われるおつもりですか?」
沈黙を破った自分の声は、微かに震えていた。
「最後まで使うつもりはない。あくまで最終手段だ」
「それでも、私は反対です!」
「フォルテ、その辺にしておけ」
冷淡に言い放つファラリスに食い下がろうとすると、横に立つベルベットが低い声で制止してきた。だが、胸に渦巻く義憤の炎は収まらない。
「しかし、兄様! 非戦闘民を盾にして、その後ろから火弾槍を打ち込む……!? なるほど、兵の損耗を防ぐという意味では合理的でしょう。ですが、非戦闘民なんですよ!? 帝国が守るべき、我々の民です!」
机を叩かんばかりの勢いで叫ぶ。しかし、ファラリスはペンを走らせる手を止めず、氷のような視線をこちらへと向けた。
「青いな、フォルテ。帝国は負けられないのだ」
「くっ……!」
その一言に込められた、国家を背負う者としての非情な想い。どうにもならない現実を突きつけられ、唇を噛み締めることしかできない。
「帰るぞ、フォルテ」
「ベルベット兄様も、ファラリス兄様と同じ意見なのですか……!?」
「帰るぞ」
問い詰めようとする腕を強引に掴まれ、ベルベットに部屋から引きずり出される。
重い扉の閉まる音が、心に落ちた暗いものを象徴するように、冷たい廊下に虚しく響き渡った。
「フォルテ、ダイタスは無力なのだ。許せ」
「いえ、はい……」
絞り出すようなベルベットの謝罪に、力なく俯いた。
皇子の中で、自分たちダイタスの血筋は第四と第六。上位の者たちに比べれば、発言権も立場もそれだけ弱いのだ。どれほど民を想おうとも、決定を覆す力は今の二人にはなかった。




