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大悪令嬢──蟲這う大陸で戦士達は詠う──  作者: ぐんそう
第二章 狼と薔薇の輪舞曲(ロンド)
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34.アスタロトの極寒行軍

 極寒のアスタロトの季節、帝国軍の行軍は続く。

 数万の足音が大地を揺らし、泥を跳ね上げる。その長大な列の傍らを流れるのは、帝都近郊の大都市アルトから東部へと続く大河、レーヌ川であった。


 川面には、食料や矢を積んだ夥しい数の輸送舟が、流れに乗って進んでいる。


「……レーヌ川を使った輜重しちょうの輸送。陸路の混雑を避け、兵士の疲弊を最小限に抑えるか。これほど大規模な水上兵站、これまでの帝国軍にはなかった発想だ」


 馬を並べるバモン将軍が、感心したように、しかしどこか訝しげな視線を水面に向けた。


「フォルテ殿下の発案だ。あの方は、古い兵法書から現代の物流に必要な答えを引っ張り出してこられた」


 ライカが事も無げに返すと、バモンは鼻を鳴らした。


「知恵があるのは結構。だが、ライカ将軍。知恵と武勇は別物だ。あの方はあまりに優しすぎる。西部戦線では貴公の陰に隠れていたようだが、今回は一万四千の命を預かる立場だ。一度戦が始まれば、フォルテ殿下はすぐに血の海に沈むぞ」


 バモンの中では、フォルテはまだ「守られるべき、能力のない予備の皇子」のままで止まっている。

 西部戦線の防衛戦で、そのあとの遊撃軍の局地戦で、彼がどのような覚悟を決め、指揮をしたか。それを知らないバモンにとって、今回の采配は危うい賭けにしか見えていないのだ。


「……」


 ライカは手綱を握り直し、後方の部隊を率いるフォルテの軍旗を見つめた。

 バモンが危惧する通り、此度の戦場は厳しい。だが、幾度も死線を潜り抜けた少年が、今度はライカを含む一万四千の兵を背負って何を成すのか。


(俺のファンだ。タダじゃ終わらねぇよ)


 悪鬼は心の中で、薄い笑みを浮かべた。


 * * *


 ダリア平原へと至る道中、帝国軍は険しいモルス山の峠に差し掛かっていた。

 ザクッ、ザクッと、先行する歩兵たちが深い雪を踏みしめる重たい音が響く。


「……このモルス山を越えたら、向こうはまだメトスの季節だって話だぜ」

「そりゃあ助かるな」


 吐く息を白く染めながら、ザックとライドは馬上で身震いしつつ言葉を交わす。


「だが、防衛側からすれば、砦にこもって敵軍をこのアスタロトの極寒に引き込んだ方がはるかに有利だがな」


 二人のぼやきを聞き流しながら、ライカがすかさず将としての冷徹な視点で指摘する。


「大陸中が一年中メトスなら、俺は極楽なんだけどなぁ」

「情けねぇこと言うな。現実は寒い。それだけだ」


 軽口を叩く部下たちを一瞥し、ライカは視線を前方へと向けた。

 そこには、馬上からじっと雪景色を見据えるフォルテの背中があった。


 かつての弱々しい面影はない。その横顔は険しく、冷たい風に吹かれながらも、常に何万という兵の動かし方、様々な戦術を頭の中で思考シミュレートしているのだろう。

 突如、ライカの鋭い視界が、雪に覆われた木陰で蠢く「何か」を捉えた。


「警戒」


 その短くも冷たい一言に、ザックとライドが即座に武器へ手をかけ、迎撃態勢に入る。


「……出てこい」


 逃げ場を塞ぐような、底冷えする声でライカが木陰へと言い放つ。

 すると、木の裏から両手を挙げながら、一人の男がひょっこりと姿を現した。


「はっはっは、どうか武器をお収めを! 勘弁してくださいな。私はしがない旅の吟遊詩人、カルロでございます。決して怪しいものではございません故!」

「こんな雪山にいる時点で、怪しさしかねぇだろうが!」


 ライドがすかさず吠える。彼の言う通りである。

 年齢は、フォルテより少し上といったところか。茶褐色の髪に軽薄そうな羽飾りをつけ、青い瞳にはどこか人懐こい笑みを浮かべている。到底、こんな過酷な行軍路に単独でいるような身なりではない。


「こんな極寒の雪山で、吟遊詩人が何をしている」


 ライカが剣呑な眼差しで問う。


「いやなに、東で大きな大戦があると耳に挟みましてね? 私、吟遊詩人でありますでしょう? 是非とも皆様の御活躍を詩にして、後世に残る英雄譚を作りたく……ですね? ――って、つめてぇっ!?」


 カルロが優雅にハープを取り出してポロロンと弾こうとした瞬間。

 アスタロトの冷気にキンキンに冷え切っていた楽器の感触に耐えきれず、男は思わずそれを雪の上にパーンと叩きつけた。


「……」

「……」

「……」


 遊撃軍の三人は、ただ胡散臭いものを見る目で、そのポンコツな吟遊詩人(自称)を見下ろしていた。


「まぁ、なんですか。つまるところ、同行させてほしいのですよ」

「ダメに決まっているだろうが」


 にべもなく吐き捨て、ライドがカルロの首根っこを片手で乱暴につまみ上げる。


(……っ!? なんだ、この重さは?)


 持ち上げた瞬間、ライドは少年のように細身な体に似つかわしくない異常な重量感に思わず目を剥いた。


「いいじゃないですか! いいじゃないですか! ねぇ!? そこの美人の将軍さん!」


 空中で足をじたばたさせながら、カルロが叫ぶ。


「……なぜ、私が将軍だとわかった?」


 ライカの菫色すみれいろの瞳が、スッと細められた。


「ライド、ちょっと振ってみろ」

「おう」


 ライカの命令通り、ライドが空中のカルロを上下に揺さぶる。


「わわわッ!?」


 ドサドサドサッ!

 カルロの服の至る所から、お菓子、予備の楽器、そして何やら意味深な巻物などといった物品が雪の上に散乱する。


「ひどいなぁもう」


 落ちた荷物を見下ろし、カルロは情けなく唇を尖らせた。だが――。


(小娘。俺の嗅覚が言ってるぜ。こいつはおもしれぇ)

『遊びじゃないんだけど』

(ハッ、眼力がねぇな。所作の一つ一つからわかるだろうが。普通の育ちじゃねぇ。それに、雪に放り出したあの楽器……すべて一級品だ)


「……同行を許可する」

「え? ボス? なぜ?」

「やったぁ!」


 ライドは信じられないとでも言うように、飛び上がるカルロに目を剥く。


「お、おもしろいからだ」


 誤魔化すように目を泳がせながら、ライカは言う。


(嘘だな)

(ああ、嘘だな。なにか勘付いたな)


 そんな将軍の様子に、ザックとライドはヒソヒソと囁き合うのだった。


 * * *


 山道に深く入り込むと、猛吹雪が行く手を阻む。一人ひとりが命綱を繋いで行軍しなければならないほど、アスタロトの季節の雪山は険しい。


「ゆけーゆけー♪ 無敵のライカ・ローサー、獣の如き――うーん。獣というか、旗が狼だしなぁ。ここは狼だな。ゆけー、ゆけー♪」

「うるせぇぞガキんちょ!」


 上機嫌で作詞をしているカルロに、ライドは思わず怒鳴りつける。


「野蛮人は芸術がわからないのです。だって野蛮人だから。ああ、母よ。芸術の母よ。この哀れな野蛮人にも、芸術を理解する感性というものを与えたまえ」

「死にてぇのか!?」

「なんで民間人のくせにそんな元気なんだよ……」


 屈強な軍隊であっても、容赦なく体力を奪われていく厳しい行軍。しかしカルロは、膝まで埋まるような雪道をサクサクと歌いながら進んでいる。


「だって僕は吟遊詩人だから!」


 きらりと歯を光らせるような満面の笑み。

(関係ねぇだろうよ……)

 ザックは力なく、心の中でツッコミを入れるのであった。

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