29.戦士の嗜み
三日目。敵軍が完全に兵を引き、退いていく。
それを確認した帝国軍から、地鳴りのような勝鬨が上がった。勝利の咆哮である。
大軍同士の激突にしては、帝国側の損害はあまりにも少なかった。敵軍の指揮系統が突如として自壊するという戦果に、陣営は熱狂の渦に包まれていた。
同日、夕刻。
帝国軍の本陣に、白旗を掲げた連合軍の使者が到着した。
「多額の賠償金の支払いをさせていただく。どうか、我が領土への進軍はお控えいただきたい……!」
「貴公らから攻めておいて勝手な言い分だな」
「百も承知でございます……!」
使者の声は震えている。過去の因縁としてもともとは帝国から侵略してきたのだというのはベールとディーズが良く使う言だ。
昨晩の謎の死によって指揮系統が完全に崩壊した連合軍は、もはや軍としての体を成していなかった。
ここで帝国軍に国境を越えられれば、蹂躙されるのは火を見るより明らかである。故に、彼らは国を守るため、プライドを捨てて交渉するほかなかった。
「よかろう。これくらいの損害でその金は有益であると判断する。我らとて、無用な血を流す趣味はない」
ファラリスはその降伏を受諾した。
この奇跡的な大勝と降伏の報せは、すぐさま帝都へと送られることとなる。国境の防衛と戦後処理のために数名の将軍と一部の軍団がこの地に駐留し、残る本隊――そして、最大の戦功を挙げたフォルテたちは、凱旋の途に就くことが決定した。
* * *
使者が去り、戦後処理の慌ただしさが一段落した頃。
ファラリスは懐に一つの書状を忍ばせ、自らフォルテたちの野営陣地へと足を向けていた。奇跡の勝利をもたらした、あの部隊を直接その目で確かめるために。
勝利の美酒に酔う陣営の片隅で、静かな怒気と疑念を孕みながら、例の千人将――ライカ・ローサと対峙する。
「ライカ・ローサ千人将。貴様、裏で何をした?」
目に力を入れて女を射抜く。
「んー? 知らんなぁ。お偉いさんに毎回思うんだけどよ――決めつけってのは良くないぜ?」
「なっ……!?」
不遜な態度、黄金の輝き、その言葉を聞いた瞬間。
脳裏に、幼き日の記憶が蘇る。
――燃え盛る帝都近郊の大都市、アルトの街。
大陸中を荒らし回り、略奪の限りを尽くしている大盗賊団ゼノン一家。避難先の物陰から震えながら見た、帝国軍の部隊と対峙している、大胆不敵な男。
決して巨漢ではないが、極限まで研ぎ澄まされた鋼鉄のワイヤーを思わせる、無駄のない引き締まった肉体。遠目からでもわかる、全身から放たれる血と暴力の気配。
『貴様! 帝国を敵に回して生きて帰れると思うな!』
『んー? 知らねぇな。俺じゃねぇかもしれねぇ。決めつけは良くないぜ?』
将軍の怒号を鼻で笑い、男が振り返った、その一瞬。
血と炎を背景に、飢えた狼のようにギラついた黄金色の瞳が、隠れている自分を真っ直ぐに射抜いたような気がした。
かつて大陸中を震え上がらせた悪鬼の姿が、目の前で口角を吊り上げる銀髪の女と、重なった。
「――どうなさいました?」
「……? いや。いや、なんでもない」
意識を現実に引き戻してみれば。
そこにいたのは、菫色の瞳をした、およそ戦士とは思えない深窓の令嬢のような娘だった。不思議そうに小首を傾げ、心底心配そうにこちらを見つめているように見える。
(気を張っていたのか?)
己の混乱した頭を冷ますように、小さく首を振った。
眼前の少女と、記憶の中の大盗賊。いくらなんでも結びつくはずがない。単なる戦場での錯覚だ。
「殿下?」
「……まぁ、良い。此度の働き、誠に見事であった。フォルテ」
「はい」
「ライカ・ローサの隊をお前の軍とする、正式な書状である。帝都に着いてから、ベルベットにでも渡してやれ」
「ありがとうございます」
「さぁ、ロッソとフェルムの宴だ。今夜は飲むぞ」
そう言い残し、微かな疑念を振り払うように、ライカたちの前から去った。
* * *
そして、その夜。
『ロッソとフェルムの宴』の名に相応しく、陣営の至る所で盛大な焚き火が焚かれ、勝利の美酒と肉が振る舞われた。
死地を生き抜いた兵士や傭兵たちが、身分も階級も忘れてどんちゃん騒ぎを繰り広げる中。
「今日は特別だ! 綺麗だぜお前ら! とっても綺麗な勝利だ。俺がファラリスのとこからたんまり持ってきてやったからよ! 死ぬまで飲めや野郎共!!」
『……悪鬼。いつもより体の意志が強い。そんなに宴をやりたいのか』
(あたりめぇだ。戦士の嗜みよ)
『女は捨てないでね』
(元からもっちゃいねぇよ)
『ひどいことするなら全力で引き戻すから』
ライカは誰よりも上機嫌に酒杯を煽っていた。
極上の殺戮と、戦場を支配した勝利。悪鬼の機嫌を良くするには、これ以上ない最高の一日である。
「おおおッ! ライカ隊長の得意技! 強奪だ!」
「ボス! 一生ついていきます!!」
傭兵たちが熱狂する中、ふと立ち上がり、傍らにあった剣をスッと抜き放つ。
炎の照り返しを受ける白銀の刃。夜風が銀髪を揺らすのを感じた。
「見とけ。今日は特別だ。極上のモンを見せてやる」
次の瞬間、大きく踏み込んだ。
それは、戦場で見せる苛烈な暴力とは似て非なるもの。
刃が風を斬る鋭い音だけが響き、流れるような身のこなしで剣が夜の闇を切り裂いていく。跳躍し、翻り、斬り払う。戦場の記憶を芸術に昇華したかのような、恐ろしくも美しい剣舞だ。
『外からみたかったな』
と、ついこぼす。
炎を背に舞うその姿に、騒がしかった宴の席が嘘のように静まり返る。
ザックも、ライドも、フォルテでさえも。酒器を持ったまま、呼吸を忘れたようにその武の極致に見入っているのが、肌で感じられた。
剣舞が終わると同時に、陣営を揺るがすほどの爆発的な歓声が夜空に吸い込まれていった。
「いいぞ! ボス! 次は俺だ!」
「ライド! てめぇのキタねぇ面なんか誰も見たくねぇぞ!」
「今言ったやつだれだ!? かかってこい!」
「俺だ! 上等だぜ! 飲み比べだ!」
感動の余韻もそこそこに、再び陣営は汗臭い熱狂と喧騒に包まれていく。
そんな傭兵たちの輪の端で、一人の少年が虚ろな目でゆらゆらと揺れていた。
「初めてのお酒……星がぐらぐら、みんなぐにゃぐにゃ。うーん、人を刺すとどうなるのかなぁ」
「フォルテ皇子がご乱心だ!? ヤバい、誰か剣を取り上げて抑えろ!!」
初めての酒でタガが外れ、物騒な思案を始める第六皇子と、必死に取り押さえようとする屈強な傭兵たち。
『ベルンでも、こんな光景、あったな』
騒がしくも温かいその喧騒を眺めながら。
かつての平穏だった日々を重ね合わせ、そっと優しい眼差しを送っていた。




