27.悪鬼の奇襲劇
戦況は、ヒリつくような睨み合いへと移行していた。
「こちらの先制にも最悪の損害は出さず、一旦落ち着くか。敵さんも無能じゃねぇってわけだ」
ライカは血と泥に塗れた戦場を見渡し、低く呟く。
敵軍の左翼は徐々に後退し、中央本隊と合流。そして再び帝国軍と対峙した時には、開戦時からお互いの陣形がちょうど九十度回転した位置取りとなっていた。
決定打に欠けるまま、初日はそのまま重苦しい睨み合いで終わったのだった。
その夜。張り詰めた空気が漂う野営地に、突然、豪快な足音が響き渡った。
「ファラリス兄さま!?」
驚愕に目を見開くフォルテの前に現れたのは、帝国の第三皇子、ファラリスだった。
「おうおう、フォルテ! やるじゃないか」
「……ありがたいお言葉です」
「で? お前がフォルテのところの奴か?」
ファラリスの鋭い視線が、フォルテの傍らに控えるライカへ向けられる。
豪快に笑いながらも、ファラリスはライカから一定の距離を保ったまま、ピタリと足を止めていた。
(くっ……なんだこの女は。これ以上近づいたらヤバイって、俺の本能が警鐘を鳴らしてきやがる……!)
「ライカ・ローサだ」
「狼と薔薇か。……いい名前だな」
「恐悦至極にございます」
恭しく頭を下げるライカ。だが、その精神の奥底では、物騒極まりない会話が交わされていた。
(帝国の三番目か。……小娘、ヤるか?)
『試すな悪鬼。わかっている』
好戦的な大悪党の囁きを冷徹に押さえ込み、ライカは静かにファラリスを見据える。
「千人将を引き継いだってのは、本当か?」
「事実です、兄様」
フォルテが答えると、ファラリスは顎を撫で、ニヤリと笑った。
「ふぅむ。よし、今決めた。俺が決めたぞ。ライカ・ローサ、いまからお前は正規の千人将だ」
「兄さま!? ライカ殿は私の私兵であり、正式な帝国軍では……」
「なら、お前の直属軍にしろ。大方、貴族どもに肩身の狭い思いでもさせられてるとか、そんなんだろ。千人将の肩書があれば文句は出ねぇはずだ」
ファラリスの独断。それは、砂塵の傭兵団が、帝国の歴史の表舞台へと引きずり上げられた瞬間だった。
ざわめく傭兵たち。だが、彼らの視線の先で――ライカは獰猛に嗤った。
「――お前の慧眼は、お前の誇るべきものだ。『極上』を逃がさねぇってのはいい判断だな」
伏せられていた顔が上がり、夜闇の中で、彼女の瞳が黄金色に大胆不敵にギラリと輝いた。
その顔を見た瞬間。傭兵たちは理解した。団長の独断だ。決定だ。覆ることはない。
そして、自分たちが今この瞬間、ただの汚れ仕事の野盗崩れから、『帝国正規軍』へと変貌を遂げたのだと。
「ラ、ライカいいのかよ? 自由が何たらって話じゃないのか?」
戸惑う傭兵たちを代弁するように、ザックが尋ねる。
「そんなもん、下っ端の話だろうが。千人将の上は将軍だ。貴族と同列になる。これがわかるか?」
「わかってるけどよ……貴族って、そんないいもんじゃないんだぜ?」
「ハッ、深掘りはしねぇよ。お前の過去なんざ知らんがな」
ライカは、一切の感傷を許さずに一刀両断した。
「とにかくだ。将軍になるぞ。最速でだ」
瞬間、ライカから放たれる覇気がさらに一段階、強まる。それは、猛将であるファラリスですら、思わず顔をしかめるほどの絶対的な威圧だった。
「将軍になるぞ。――お前らは、将軍の精鋭隊になるのだ」
その言葉が、野営地に火を放った。
すべてを暴力的にねじ伏せる圧倒的な野心。
砂塵の傭兵団が爆発的な咆哮を上げる。そして――。
「我らも! 我らもその栄光にッ!!」
引き継いだ千人の帝国兵たちまでもが、熱狂の渦に巻き込まれて狂ったように吠え始めた。
「ハッハッハッ! 既に十分な士気じゃないか! その意気や良し! フォルテ! ライカ! お前らに遊撃の権限を与える! 明日は死ぬなよ?」
「兄さま、御意」
「――誰に言っている」
そうして、夜は明け、二日目の戦いが幕を開ける。
* * *
二日目。互いの布陣が完了した両軍。
「俺らも、正式な千人隊かよ」
「ああ。……なぁライド、すげぇとこまできちまったな。しかもよ、皇族直属だぜ」
「だなぁ。それにしてもよ。ボスって器用だよな」
「……あぁ」
ザックとライドは、真新しい『狼と薔薇』の刺繍が入ったマントを見る。
『これ、着て』
昨日、ライカから直接手渡しされたものだ。
「こんなもん渡されたらよ、更に頑張っちまうよな」
「あんなイカレてるのに、どこか女らしい。困ったもんだ」
二人は横目に件の団長――いや、いまや千人将の姿を見る。
ライカは馬上で腕を組み、静かに戦場を俯瞰していた。
遊撃を任されている彼女が、次はいったい何をしでかすのか……。
そして、開戦を告げる角笛が戦場に鳴り響く。
(さて、俺らがこの戦場でやることはあまりねぇ。終わらせにいくぞ)
『ああ。千人将の地位を得た。兵も得た。これ以上はちまちま戦功をあげても、特例で上に引き上げられることはない』
ならばやるべきことは一つ。この盤面そのものを破壊し、戦争を終わらせることだ。
ライカはスッと剣を抜き放ち、狂信の熱を帯びた自軍の兵たちへ向けて、号令を下した。
「800は残れ! ザックとライドにつき、フォルテ皇子の指揮に従え! 残る200! 俺についてこい!」
「ライカ殿! ご武運を!」
「フォルテ皇子もな」
ライカはザックとライドに視線を残し、たった二百の精鋭を引き連れて駆けだす。
目指すは、初日から位置取りが変わったことにより敵の死角に現れた、森を抜けた先。
「ライカ様! 川が見えました」
昨日の交戦中、視界の端に見えていた川。その上流は、この森の奥へつながっていると踏んでいたのだ。
「ビンゴだ。お前ら、今すぐここを堰き止めるんだ。完全ではなくていい、そこらの岩を詰めろ。それと、上流側に少しだけ水の流れ道をつくってやれ。いいか少しだ。こっちだ」
命令されるや否や、兵たちは即座に作業に取り掛かる。昨日、帝国兵が押し潰された岩場の残骸が、格好の資材となった。
無骨に石が積まれ、川が堰き止められたことにより、下流への流れが弱まり、みるみるうちに水位が下がっていく。
「よし。お前ら、足がつくぞ」
ライカは獰猛に嗤い、足場の悪い川底へと真っ先に歩を進めた。
水が引き、泥と苔が剥き出しになった劣悪な足場。だが、身を隠しながら進むにはこれ以上ない道だ。
「ここは敵の死角を突く、極上の塹壕だぜ。音を殺せ。――敵軍の背後に突き進むぞ」
進む。泥に足を取られて体勢を崩す者、滑らせて頭を打つ者が出ても、それらは捨て置いて進んだ。
足を止めれば死ぬ。音を立てれば死ぬ。二百の精鋭たちは、ただ黙々と死角を這い進んだ。
――見えた。敵陣の背後。兵站の貯蔵場所だ。
「おっと、声を出すな」
ライカは守衛の一人に風のように駆け寄り、即座にその喉を深く切り裂いた。
ヒュッ、と空気が漏れる音だけを残し、守衛が声を上げる間もなく絶命して崩れ落ちる。それを合図に、泥だらけの悪鬼たち二百人が一気に陣地へと押し寄せ残りの人員を消した。
「燃やせ。あぁ、この区画だけ残せ」
千人将の短く冷徹な命令。
兵たちは所構わず火を放ち、敵軍の生命線である食糧や武器の山が、次々と紅蓮の炎に包まれていく。背後から上がる黒煙は、主戦場からもはっきりと見えるはずだ。
ライカはわざと残した兵站に何かを振りまき終わってから清々しい顔で言った。
「退くぞ。許された時間はこれくらいだ。川の対岸まで走れ。そろそろ堰が決壊する」
炎の照り返しを受けて金色の瞳を満足げに細めると、ライカは欲をかくことなく即座に踵を返した。
即席のダムが限界を迎える時間。そして、敵本隊が混乱に対処し始める時間。すべては計算通りだ。
燃え盛る兵站を背に、二百人の精鋭は来た時と同じように、即座に退却していくのであった。




