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大悪令嬢──蟲這う大陸で戦士達は詠う──  作者: 三四郎
第二章 狼と薔薇の輪舞曲(ロンド)
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26.剣よりペンを

 一方、戦場の最前線を血の海に変えながら突き進んでいたライカは、ふと剣を振るう手を止めた。

 あれほど押し寄せていた敵の前線の圧が、潮が引くように、徐々に、だが確実に薄くなっていくのを感じ取ったからだ。


(一旦退くか。まぁ、そうだろうな)


 敵の指揮官も馬鹿ではない。これ以上の無意味な損耗を嫌い、陣形を立て直そうとしているのだろう。

 ライカが頬に飛んだ血を手の甲で無造作に拭い、ひと息つこうとした、その時だった。


 ふと、自陣の左翼――本来なら最も手薄で、ひ弱な皇子を守るために防戦一方になっているはずの方向から、異常なまでの歓声と怒号、そして蹂躙の音が響いてきた。


(ハッ、ゴブリンがオーガになりやがった)


 脳内で、バルバロッサがひどく楽しげな、獰猛な嗤いを漏らす。


『わかりづらい例え……』


 エルマは内心で呆れたように溜息を吐いて、騒ぎの中心へと視線を向け、近づいていく。


「右翼、押し込め! 左翼は引け! そこに出来た隙間へ、中央の騎馬を叩き込む!!」


 守護の盾の中央。馬上でフォルテが、獰猛な笑みを浮かべて次々と矢継ぎ早に指示を飛ばしていた。

 分厚い護衛に守られた彼は、返り血一つ浴びていない。だが、心が戦場の狂気に酔いしれているように見えた。

 押し、引き、削り、包み込む。

 まるで自らの手足の延長のように、巨大な軍の陣形を呼吸するかのごとく変幻自在に操っている。


「ほら、あそこが綻んだ! 逃がさないよ、一兵たりともね!!」


 狂気すら孕んだ高揚に満ちた声。

 先日までの弱々しい影の薄い皇子の姿はどこにもない。

 弱者特有の卑屈な光は消え失せ、今の彼を突き動かしているのは、自らの描いた盤面で敵が次々とすり潰されていくのを見る、甘美で残酷な高揚感だろう。


 その瞳には、強者としての爛々とした飢えた光が宿っていた。



* * *


「まだだ! まだ足りない! 全軍、このまま退く敵の背を突――」

「殿下」


 戦場に似つかわしくない、ひどく静かな声がフォルテの熱を遮った。


「ライカ殿……?」

「敵が退くようです」


 いつの間にか陣形の中央に戻ってきていたライカが、血に濡れた剣を肩に担ぎ、馬上を見上げていた。


「追わなきゃ! 今なら完全に崩せる!」

「だめです」


 ピシャリと、有無を言わさぬ一言で制止される。


「え?」

「退却時、殿下は最初に何を考えますか?」


 血の熱に浮かされる頭を冷ますように、凪いだ菫色の瞳がじっとフォルテの目を射抜いた。

 その問いかけに、フォルテの脳内で高速の演算が走る。


「逃走……ルート」

「そうです。一番退却のしやすいルートです。つまり、そこは追撃を罠にはめやすい死地でもあるんです」


 熱狂に飲まれ、追撃の甘い汁しか見えていなかった自分に気づき、フォルテはハッと息を呑んだ。

 もしあのまま全軍を突撃させていたら、伏兵や罠の餌食になり、盤面は一瞬でひっくり返っていたかもしれない。


 スゥ、と。フォルテの頭から狂気的な熱が引いていく。


「……そうだ。そうだね。ライカ殿の言う通りだ」


 彼は深く息を吐き出すと、手綱を握り直し、自軍へ向けて冷静な声で新たな号令を響かせた。


「全軍、追撃をやめよ! 現在の前線を維持し、陣形を整えろ!」


「いーや! いただきます!」

「お前たち!? 止まれ!」


「あんな美味しい敵、逃す手はありませんね!」


 フォルテの制止を無視し、功を焦って突出していく一部の部隊。

 ライカ指揮下の千人の直属兵ではない。合流したと思われる中央精鋭隊の一部だ


「殿下、良いのです。末路を見る、良い答え合わせです」

「ライカ殿……しかし、彼等も帝国の民なんだ……!」

「民だ? くそみてぇな脳で死地にわざと行くような奴はな、敵だ」


 瞬間、フォルテの背筋を、強烈な悪寒が駆け抜けた。

 声の質が、違う。空気が、違う。


「瞳が、金に……」


 傍らに立つ護衛の一人が、恐怖に顔を引き攣らせて呟く。

 ライカは感情が高ぶると瞳の色が変わる。それは傭兵団みんなの共通認識だった。だが、今の彼女……から放たれるのは、殺気だ。


 大気が軋むほどの殺気。物理的な重さを持っていると錯覚させるほどの、圧倒的な圧。

 菫色だった彼女の両目が、飢えた狼のような獰猛な黄金色へと変色していた。


「盤面の支配者はな、甘くねぇぞ。そら、あれを大事な民だといって加勢してみろ。ああなるんだぜ」


 黄金の瞳が視線を投げた先。

 敵を追って峡谷の入り口へ飛び込んだ兵の頭上――両側の高台から、まるで雨霰のように巨大な岩が落とされ、悲鳴を上げる間もなく次々と兵士たちがひしゃげ、肉塊へとすり潰されていく光景が見える。


「そしたらお前、マジモンの大事な民まで消えるんだぜ? 選別しろ。お前は支配者だ」

「ライカ殿! 殿下にそのような無礼な口は――!」

「いいんだ」


 諌めようとした近衛を、フォルテは静かに手で制した。

 無惨に潰されていく自国の兵士たちを見つめるフォルテの頭から、先ほどの哀れみは綺麗に消え去っていく。


「ありがとう。目が覚めた気分だ。……あいつらは、ゴミムシだね」

「ハッ」


 その切り替えの早さに、嗤ったのだろう。


「帝国の皇子ってな、優秀すぎて泣けちゃうね」

「いや、僕は『フォルテ』だ」


 帝国の飾り物ではない。己の意思で盤面を支配する者としての宣言だ。


「上等だ。小僧、俺らを使って見せろ。だがな、一つでも違えてみろ。お前の大事な民が全滅する」


 ライカは愉快そうに笑みを浮かべて言い放った。


「わかっている。そういう立場なんだ。指揮っていうのは、そういう立場なんだ」


 瞬間、周囲の兵たちが震えだす。


「いっちょ前に殺気を出しやがる」


 銀色ライカが更に愉悦を感じているのか口角が更につり上がっている。


「さて、フォルテ殿下。どうするんだ?」


 黄金の瞳が、試すように盤面を見る。

 敵は伏兵を隠し持ち、味方の一部は無惨に散った。戦場には重苦しい緊張感が張り詰めている。

 だが、フォルテは淀みなく言い放った。


「決まっている。待機だ」

「……ハッ。たまんねぇなおい」


 銀色は肩を揺らし、心の底から愉快そうに嗤った。

 フォルテはそう言うと、敵軍左翼に真っ向から対峙するように強固な陣を立て、盤石のまま沈黙を選んだ。

 血に飢えた戦場において、微動だにしないその異様な静けさこそが、敵への最も恐るべき重圧となることを、肌で感じていたからだ。

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