23.西部開戦
帝国西部。旧ゼネビアを抜け、ドラグの森の深い樹海を越えた先。
ダダリアのさらに奥に位置する国境付近の小高い丘陵地帯に、ガルヴェリア帝国軍の広大な陣が敷かれていた。
そこは、西のベール王国――およびそこから独立したディーズ公国――の連合軍と、帝国の防衛拠点であるヴィクトリア砦の、ちょうど中間地点にあたる。
「帝国を舐めるな」と圧力を放つように展開された兵数は、約三万五千。
総司令たる第三皇子ファラリス・ゾーラ・ガルヴェリアは、獅子を思わせる巨躯に燃えるような赤銅色の髪を揺らし、獲物を狙うような鋭い青い瞳の眼光で戦場を見据えていた。
その麾下には、三人の将軍が並ぶ。
左翼にバモン・ドーラ将軍の一万。黒百合に鷹の旗印。
右翼にサモラン・ゼッタ将軍の一万。蛇と剣の旗印。
そして中央本軍には、ゲイル・ギリル将軍が率いる一万五千の精鋭が、銀冠の青獅子が牙をむいた旗印をもって、分厚い壁となって控えている。
「流石に、すげぇな」
「ああ」
ダダリアを越え、指定された右翼の端の合流ポイントまで辿り着いた。眼下に広がる途方もない軍の質量を前に、傭兵団の面々はただ呆然と立ち尽くしている。
いつもは減らず口を叩くザックでさえ言葉を失い、元団長のライドも、強大な帝国の本気を前に震える喉を鳴らすことしかできていない。
「呑まれるな」
百人の浮き足立った空気を切り裂くように、声を張る。
圧倒的な軍勢を前にしても、内側に潜む猛禽は微塵も怯むことなく、ただ静かに血の匂いを嗅ぎ取っていた。
(まだか。まだか。早くしろ)
「私たちは変わらず、フォルテ殿下の私兵――無敗の『砂塵の傭兵団』だ。味方が何万いようと、私たちのやることは変わらない」
「今回もありがとう。これは……うん。仕方ないよ」
言葉に合わせるように、フォルテが苦笑しながら肩をすくめた。
現在地は、サモラン・ゼッタ将軍が率いる右翼一万の中でも、さらに一番外れの最前線。およそ軍議にも呼ばれない、ただの肉の盾としての配置だった。
「フォルテ殿下、ここは危険です。陣までお戻りになりますよう」
「いいんだ。僕は君たちと行く。陣に戻れば、それこそ嘲笑の的さ。僕は君たちといなければならない。それは、僕の誇りでもある」
「……御意」
サモラン将軍が率いる一万の右翼隊。その下には十人の千人将がおり、さらにその下には末端の部隊を率いる百人の百人将が連なる。
百人の私兵を率いるライカは、事実上、その百人将扱いとして組み込まれることになっていた。
やがて、直属の上官となる千人将の男が、傲慢な笑みを浮かべてこちらへやってくる。
「フォルテ殿下。我が武勇を存分にお見せいたしましょう。そちらの美しい御嬢さんは何もすることはありませぬ。家で令嬢ごっこでもしているのがよろしいかと」
「ライカ・ローサだ。よろしく頼む」
(ごっこもなく令嬢なんだよな小娘)
見下すような言葉にもにこやかに微笑み、スッと右手を差し出した。
「……ふん」
拍子抜けしたように、あるいは毒気を抜かれたのか、千人将はその手を取る。
「精々、無様に足掻くことだな。野盗ども」
そう吐き捨てて、千人将は自らの部隊へと去っていった。
「ちっ、腹の立つ野郎だぜ」
「ザック。長く居座って停滞している中途半端な者ほど、あのように虚勢を張って振る舞うものだ」
『特に、オルディスのような王国ではね』
(ククク――極上の盤面を、楽しみますか)
苛立つザックを宥めながら、内側で悪鬼が嗤うのを感じていた。
* * *
見えてきた。
地平を黒く塗りつぶす、連合軍の軍勢が。こちらに負けず劣らずの途方もない大軍である。距離にして、馬を駆けさせれば半刻もかからずに刃が交わる位置だ。
ジリジリと、戦場特有の血と鉄の匂いが混じった熱い空気が喉を焦がす。
ライドもザックも生唾を飲み込んだ。戦慣れしているといっても、三万五千の重圧に、流石に足が震えてくる。
「震えてんぜ、ザック」
「む、武者震いだぜ」
「生きるぞ」
「ああ、まだ優しくて綺麗な嫁さんもらってねぇからな」
――ピィィィィィィッ!
大気を裂いて、開戦を告げる帝国軍の甲高い笛の音が鳴り響いた。
全軍が息を呑み、盾を構えようとした、まさにその刹那だった。
「野郎共! 一番槍は『砂塵の傭兵団』のライカ・ローサがいただく! ハッハァ! イィィィィヤッハァァァァァァァァッ!!」
「お、おいッ!? ライカ!?」
「行くぞザック!」
ただ一人。
周囲の帝国正規軍が音に気を取られている中、イカれた団長だけが冠のない蒼獅子の旗を揚げて、敵軍へ向かって嬉々として馬を蹴り出した。
いかなる絶望的な大軍を前にしても、何も変わらない。いや、むしろ死地においてこそ最も生き生きと嗤う、その背中。
それを見た瞬間、震えも弱気も綺麗に消え失せていた。
「置いてかれんぞ! 野郎共ォ!」
「ウオォォォォォォォォッ!!」
恐怖はとうに麻痺していた。
獰猛な笑みを浮かべ、一番槍めがけて単騎で突っ込んでいく狂乱の隊長の後を、追いかける。
「フォルテ殿下の隊がいったぞ!」
我も負けじと帝国の歩兵が駆けだす。だが、馬を駆るライカはおろか、砂塵の傭兵団の異常な健脚に追いつくことなど出来るはずもなかった。
* * *
「冠のない蒼獅子か。おうおう、派手にやっているな弟よ。格好つけたい年頃かよ。羨ましいねぇ」
丘の上から戦場を見下ろしながら、鼻で嗤う。
右翼の最前線から、たった百ほどの小部隊が、何万という敵陣めがけて一直線に突出していくのが見えた。
「殿下。敵数およそ四万! 少なくとも我が軍よりは多い想定になります」
「大分集めてきたかよ。まぁ、いい。歩兵が矢受けになったら次は騎馬でのチャージだ。そこで右翼と見せかけて、左翼の一部を突撃させる。伝令を抜かるなよ」
「ハッ。御意に」
報告に来た将校に指示を飛ばし、再び眼下の盤面へと視線を戻す。
あの無謀な弟の部隊がどこまで引っ掻き回すか。お手並み拝見といこうか。




