19.あら、首がなくなっていてよ?
森から現れた帝国の荒くれ者たちが、同士討ちで混乱の極みにあるディーズ公国軍の陣営へと真っ先に突撃した。
馬を奪い取った彼らは、もはや剣を振るうことすらしない。ただ、巨大な軍馬の質量と疾走する勢いに任せ、陣形を失い逃げ惑う敵兵たちを次々と蹂躙し、無慈悲に轢き潰していく。
ほどなくして、ライカとフォルテ、そして合流した砦の守備隊が激戦区へと接敵した。
「フォルテ皇子はここで」
「わかった」
最前線へと躍り出ようとするライカに、フォルテは短く頷いた。
彼は二十名ほどの守備隊と共に後方で指揮と陣形維持に留まり、ライカは残る八十名の兵を引き連れて、地獄のど真ん中へと突撃の構えを見せる。
「旗をあげろ! フォルテ皇子の将! ライカ・ローサだ! こんな綺麗な夜だ、永眠するのも悪くないだろ?」
宣言と共に、ライカの瞳が氷の菫色から、昏く爛々とした黄金色へと変貌を遂げる。
大悪党は、手綱を握る軍馬の尻を力任せに叩き据えた。
「イーーーーーヤッハーーーーーーッ!」
美しい女の口から放たれたとは思えない、夜空を切り裂く狂気の絶叫。
猛然と突進しながら、ライカは隣を走る守備隊の兵士から強引に長槍を奪い取り、それを片腕の異常な膂力だけで大上段から投擲した。
凄まじい風切り音を立てて飛来した凶器は、恐怖に顔を引き攣らせて二の足を踏んでいた公国軍兵士の首を、兜ごと綺麗に吹き飛ばした。
「くるぜ、くるぜ、きたぜ! 愛だ! 愛がたんまりだぜ!」
突撃の勢いを一切殺さず、ライカは馬上でボウガンを構え、常人離れした速度で連射する。
放たれた矢が次々と敵の急所を貫いていった。そして白銀の剣を引き抜くや否や、群がる敵兵の肉を紙屑のように次々と屠り、鮮血の雨を降らせていった。
さらにライカは、疾走する馬から躊躇うことなく飛び降り、自ら敵陣のど真ん中へと深く入り込んでいく。
「ハーーーーー! フハハハ! ハーハッハッハッ!」
一閃、首が飛ぶ。奪い取った剣を投げつけ、また一人が絶命する。
背後から迫り来る兵士には振り返りもせず、大きく跳躍してその首に踵を深々とめり込ませ、即座に骨をへし折った。
地面に落ちていた槍を足先で拾い上げ、その勢いのまま二人の兵士をまとめて串刺しにする。
返り血を浴びるたび、彼女の爛々とした黄金の瞳はさらに昏い輝きを増していった。
「足りねぇ! 足りねぇよ! 戦場だ! 闘いだ! 闘いを俺によこせ!!」
狂喜の哄笑をあげる女戦士の異常な姿に、ディーズ公国軍の兵士たちは完全に足が震え、その場に縫い止められていた。
震えて後ずさっても、ヤツは容赦なくやってくる。文字通りの死神だ。彼女が通り抜けた後には、ただ死体の山だけが残されていく。
「ライカ殿に続けェェッ!」
フォルテは叫ぶ。
「オラァッ! ボスに手柄を全て取られちまうぞ!」
ライドは獰猛に嗤う。
「俺は! ばっちり! 金を! 稼ぐからな!」
そして、ザックはそんなことを言いながらライカの死角を潰すのだ。
あまりにも強烈な「個」の暴力に、公国軍の注意は完全に釘付けにされていた。
そうだ。敵はあの女一人ではない、軍だったのだ。砦の守備隊と特務遊撃隊が、死神の切り開いた血路をなぞるように怒涛の勢いで雪崩れ込んでくる。
「ライカ・ローサだ! 返事がねぇなぁ!? ハッ! もうさよならしちまってるか!」
嗤いながら首を刈り取っていくその顔を、混乱の中で間近に見た天幕周辺の兵士たちは、いよいよ絶望のどん底へと突き落とされた。
そして、よくよく見てみれば、今まさに自分たちを血祭りにあげているこの銀色の死神は、先ほどまで天幕の前でフルフルと震えていた、あの絶世の美女ではないか。
『あく、とうッ! 飛ばしすぎだ! 体がオーバーヒートしそうだ!』
(チッ、ヒョロ枝は相変わらずだな)
『……フライパンなら振れるさ』
(ハッ、懐かしいこと言ってくれるじゃねぇか。でも、もうそろ、終わるぜ)
精神の奥底。己の限界を訴えながらも皮肉を返すエルマの言葉に、大悪党は嬉しそうに嗤った。
無尽蔵に湧き上がるバルバロッサの殺意と技量に、エルマの華奢な肉体が悲鳴を上げ始めているのは事実だった。だが、この血の狂宴も間もなく幕を下ろす。
ライカが一直線に血路を切り開いて辿り着いたのは、敵陣の中央部――先ほど、同士討ちの地獄を演出して離脱した、あの天幕の前だった。
「運命の再会だな、色男達」
指揮官を失い、右往左往していた天幕周辺の兵士たちに、ライカは底意地の悪い笑みを向けた。
彼らがその「か弱い美女」の顔に気付き、絶望に目を見開くよりも早く。白銀の閃光が瞬き、走り寄るや否や数人の喉元を容赦なく切り裂き、血の海へと沈める。
周囲の障害を排除したライカは、悠然とした足取りで天幕の入り口へと歩み寄る。
そこには、先ほど自身が放ったボウガンの矢に頭を貫かれ、絶命したまま仰向けに倒れている増援部隊の将軍の姿があった。
ライカは血塗れた白銀の剣を上段に構え、その亡骸を冷酷に見据える。
そして、一切の躊躇いもなく振り下ろされた刃が、将軍の首を綺麗に胴体から切断した。
ライカは転がったその生首の髪を鷲掴みにすると、燃え盛る夜の戦場に向かって高らかに掲げ、腹の底から空気を震わせる大音声で咆哮した。
「敵将! 討ち取ったァァァッ!!」
悪鬼の絶叫が、夜空に木霊する。
その言葉と、高々と掲げられた最高位の将の首を見た瞬間。
ディーズ公国軍の末端の兵に至るまで、その心に最後に残っていた僅かな戦意すら、跡形もなく粉砕されたのだった。
「野郎共! ここからは殲滅戦だ! 一人たりとも逃がすな! ディーズの物見に俺たちの蹂躙を見せつけてやれ! ディーズに鉄槌を! フォルテ皇子に栄光を!」
その号令に、砦の守備隊も特務遊撃隊も関係なく、生き残った味方の全員が同調の雄叫びを上げた。
恐怖と狂気は伝染する。全員がその目に昏い狂気を宿し、陣形を捨てて四散し、逃げ惑うディーズの兵を容赦なく狩っていく。
「こいつらの伝令が本国で吐くセリフは勿論、『全滅です』ってなぁもんだ!」
嗤う死神の蹂躙劇は、夜の闇が完全に明け渡るまで続いた。
やがて、白み始めた空の向こうから、地響きと共に新たな軍勢が姿を現す。はためく旗印は銀冠の青獅子、紛れもなくベルベットが差し向けた別動隊であった。
「ハッ、寝坊がすぎるぜ。手柄はすべて貰っちまったよ」
死体の山の上に立ち、遠くに見える帝国の旗を一瞥した大悪党は、返り血に染まった顔で底意地悪くそうつぶやくのだった。
* * *
『さほど急がなくても良い。弟を向かわせる。どうせあの愚図のことだ、美味しいところだけとってこい』
それが、将軍ダルトンが第四皇子ベルベットから下された指令だった。
指示通りに歩みを緩め、数日かけてやっと、ジークデン砦が見える位置までやってきたダルトンの部隊。
陣を敷く前にと斥候を放つ。が、放たれた斥候は息を切らせてすぐに戻ってきた。
「敵軍、全滅しております……」
「は?」
この時のダルトンほど間抜けな顔は、世界中を探してもなかなか見つからなかったことだろう。
理解不能な報告に固まる指揮官に向け、斥候はさらに震える声で決定的な事実を告げた。
「敵軍の骸の中心には『冠なき青獅子』の旗。……フォルテ殿下の旗が、掲げられております」




