18.青獅子の末席
「誰か! だ、誰かぁぁぁッ!!」
二人の心臓を貫いた直後。先ほどまでの氷のような声色が嘘のように、天幕の中から女の悲鳴が夜空に響き渡った。
尋常ではない絶叫と騒ぎを聞きつけ、周囲を固めていた公国軍の兵士たちが慌てて天幕へと飛び込んでくる。
「な、なんだ!? 何事だ!」
「っ……!?」
兵士たちが目にしたのは、無惨な血溜まりの中、剣を握りしめたまま折り重なるように倒れている指揮官と小隊長の死体。
そして、その傍らで顔面を蒼白にさせ、ガタガタと震えながら座り込んでいる銀髪の美女の姿だった。
「だ、誰か……た、たすけて……ッ!」
「将軍を呼べ!」
涙ながらに懇願するライカ。
その幕の入り口のすぐ外、闇に溶け込むような位置には兜を目深に被ったザックとライドがしっかりと控えていた。
「何事だ、騒々しい!」
やがて、兵士たちを掻き分けるようにして、一際派手な装飾の甲冑を身に纏った初老の男が姿を現した。増援部隊を率いる将軍だ。
「わ、わたし……ッ、急に、あの二人が……!」
「お嬢さん、とりあえずここから離れて」
凄惨な光景に眉をひそめつつも、将軍は怯える美女を庇うように後方へと下げさせる。
そして、警戒しながら二人の死体を検分しようと屈み込み――将軍の顔色が、驚愕に凍りついた。
「おい! この剣は……帝国軍の支給品ではないか!?」
将軍の手が震える。死んだ小隊長の手に握られていたのは、公国軍の剣ではなく、まごうことなき帝国の剣だった。
それは、彼らが同士討ちをした直後、ライカが目にも止まらぬ早業で持ち込んでおいた剣とすり替えておいたものだ。
「ラドゥめ! 貴様、帝国と内通しておったのか……!?」
将軍の怒号に、周囲の兵士たちがざわめき立つ。
味方の中に、帝国のスパイがいる。その事実が突きつけられ、指揮系統の頂点がパニックに陥った、まさにその瞬間だった。
「あ!?」
将軍の背後で、女の短い悲鳴が上がった。
振り返った将軍が見たのは、騒ぎのどさくさに紛れて軍馬を奪い取った二人組の兵士が、後方に下がっていた女の腕を強引に引っ張り上げ、馬の背に乱暴に乗せ去ろうとしている光景だった。
「貴様ら! 何をしている!」
「女は貰っていくぜ! あばよ!」
悪ノリしたザックが嗤う。
将軍が制止の声を上げるよりも早く、二人組のうちの一人――ライドが、近くの篝火から奪い取った松明を、夜空の彼方へ向けて思い切り高く投げ放った。
燃え盛る炎が、暗闇の中で放物線を描き、鮮やかな赤の合図を森へと知らせる。
それと同時だった。
静まり返っていた森の奥底から、大地を揺るがすほどの凄まじい馬の蹄の音が、地鳴りのように響き渡ってきた。
昨日までのにぎやかしの数騎ではない。まとまった数が一斉に突撃してくる、本物の夜襲の音。
実際の数はせいぜい二十騎程度なのだが、極限の混乱と疑心暗鬼に陥った彼らの耳には、それが何倍もの大軍の足音として響いていたのだ。
驚愕して立ち尽くす将軍と兵士たちに向けて、馬に跨ったザックとライドが、わざと周囲に響き渡るような大声で怒鳴り散らした。
「おめぇら! バレねぇうちにとっととズラかるぞ!」
そう吐き捨てるや否や、二人はライカを乗せた馬を走らせ、あっという間に闇の中へと消えていった。
後に残されたのは、血溜まりに転がる指揮官の死体と、帝国の剣を握った裏切り者。そして「内通者たち」が逃げ去ったという決定的な事実。
「ラドゥの部隊の奴らだ……あいつら、全員帝国と通じてやがったのか!?」
「他にもいるんじゃないのか!? おい、お前はどっちだ!」
突撃してくる蹄の音への恐怖と、隣にいる仲間が敵かもしれないという最悪の疑心暗鬼。
ディーズ公国軍の野営地は、指揮官を失ったまま、混乱と同士討ちの火種を抱えた地獄の業火へと呑み込まれていった。
「ザック、いいヒーローっぷりね」
背後でライカが、ザックの腰をぎゅっときつく締める。
「やめてくれ、俺にまで色仕掛けはやめてくれ。それにその恰好は大変目に毒……」
「早くボウガンを頂戴」
「俺が馬鹿だった」
からかわれたことに気づいたザックが呆れたようにボウガンを手渡した、その直後。
ライカの菫色の瞳が、瞬時に昏く爛々とした黄金色へと染め上げられる。
そして振り返りざまに、一切の躊躇いもなく引き金を引いた。
――闇夜を切り裂いた矢は、大混乱に陥る陣営のど真ん中で声を張り上げていた将軍の頭を、寸分違わず貫き通していた。
「か弱い俺を助けてくれた御礼だぜ」
絶命して崩れ落ちる敵のトップを尻目に、大悪党は宵闇に獰猛な嗤い声を残し、疾風のように戦場を離脱していった。
* * *
一方、ライカからの合図を受け、傭兵団が森から強襲を仕掛けたのを見届けた後。
フォルテ皇子は数騎の護衛のみを連れて、ジークデン砦の正門前まで駆けつけていた。
城壁の上の物見が、背後から突如現れた謎の騎影に、慌てたようにこちらを見下ろす。
「旗を掲げよ! 我は第六皇子、フォルテ・ダイタス・ガルヴェリアである!」
従者が松明の光にかざしたのは、高貴なる銀糸で縁取られた『冠なき青獅子』の旗印。
本物の皇族の証を前に、重々しい地響きを立てて砦の跳ね橋が下ろされる。開かれた門の奥で呆然とする守備兵たちに向け、若き皇子は腹の底から声を張り上げた。
「砦の勇敢な兵達よ! 今が機である! 攻めろ! 攻めないのならば、私が行く!」
砦の兵士たちからすれば、まさに寝耳に水である。
最前線で剣を抜き、自ら死地に赴こうとする十代の皇子の姿が、疲弊していた守備隊の心に、猛烈な闘志の炎を点火した。
「殿下に続けえぇぇぇ!」
「門を開け放て! 我らも打って出るぞ!」
慌てて、しかし確かな殺意と熱狂をもって武器を掲げ、出撃していく砦の守備兵たち。
軍馬の先頭に立つフォルテの澄んだ青い瞳には、もはや一切の迷いはなかった。
「我らがガルヴェリアの民よ! 戦士達よ! ディーズの者共に鉄槌を!」
皇子の気高き咆哮が、混乱の極みにある夜の戦場に轟き渡った。
(見えた……!)
跳ね橋を抜け、軍馬の先頭を駆け抜けること数分。
フォルテの視界に、炎と怒号、そして狂乱に包まれたディーズ公国軍の陣営がはっきりと映し出された。
同時に、闇の中から松明を掲げた騎影が幾つも現れ、砦の軍勢に並走するようにピタリと合流を果たす。森から強襲を仕掛けていた特務遊撃隊だ。
「フォルテ皇子、お見事です」
並走する馬の上から、聞き慣れた、けれどどこか冷ややかな声がかけられる。
「ライカ殿!? あ、いや、その……」
振り向いたフォルテは、言葉を詰まらせ、思わず目を逸らした。
そこには、氷のように無機質な菫色の瞳に、さらりと流れる銀髪の美女。だが、その格好は軍装ではなく、薄い肌着の胸元が大きくひらかれた、まるで娼婦のような扇情的な出で立ちだったのだ。
「ああ、失礼」
少年の動揺を気にも留めず、ライカは馬を走らせたまま、荷物から取り出した黒い外套をバサリと頭から被り、その白い肌を隠した。
「それでは」
外套の下から覗く菫色の瞳が、前方の火の海――崩壊した敵陣を真っ直ぐに見据える。
フォルテは一つ深呼吸をし、熱を帯びた夜風を肺の奥まで吸い込んだ。
「うん」
若き皇子の力強い頷き。
それに呼応するように、氷の美少女――否、その内側に潜む最凶の大悪党が、戦場を震わせる号令を叩きつけた。
「蹂躙しろ!」




