17.素敵な一目ぼれ
その夜、ディーズ公国軍の野営地に、最悪の雨が降った。
ヒュンッ、と風を切る不気味な音が夜闇を引き裂き、次々と陣幕や焚き火の周りに何かが降り注ぐ。
「な、なんだ!? 敵襲か!」
「ひっ……!? く、首だ! 昼間行方不明になっていた別動隊の……ッ!」
ライカ達が森の木材を用いて即席で組み上げた粗末な投石機。そこから放たれたのは、石ではなく、恐怖の形相で固まった同胞たちの生首だった。
パニックに陥る公国軍。だが、嫌がらせはそれだけでは終わらない。
「ウォォォォォォッ!!」
突如、森のあちこちから、複数の野太い声が幾重にも重なり合い、夜襲を告げる鬨の声が上がった。
数人に分かれた遊撃隊が、間隔を空けて散発的に音を鳴らし立てる。奪い取った軍馬の機動力を最大限に悪用した、実体のない幽霊のような急襲。
「出たぞ! 森の方角だ! 槍を構えろ!」
公国軍が血眼になって陣形を整え、森へと突撃の構えを見せた頃には、音の主たちはとうに深い闇の中へと退却し終えている。
警戒を解けば再び別の場所から鬨の声が上がり、眠りにつこうとすれば生首が飛んでくる。一晩中続いた見えない敵からの波状攻撃は、確実に公国軍の神経をゴリゴリと削り取っていった。
* * *
翌日。
薄暗い森の奥深くでは、いびきをかいて泥のように眠る荒くれ者たちの姿があった。
昨晩、大悪党の指示で一睡もせずに嫌がらせを完遂した彼らは、本日は完全休養を与えられていた。
そんな爆睡する部下たちをよそに。
見晴らしの良い崖の上、太い木の枝に腰掛けたライカは、眼下に広がる公国軍の陣地を見下ろしていた。
黄金の瞳が、愉快そうに三日月型に歪められる。
(クハハッ。見ろよ小娘。あの蟻の群れ、見事に動きが鈍ってやがるぜ。睡眠不足と疑心暗鬼で、まともに歩けちゃいねぇ)
『……効果はあり』
(あぁ。今夜はもっと楽しくなるぜ。奴らが限界を迎えて自滅するか、それともブチギレて森に大軍を差し向けてくるか……ククク、たまんねぇな)
一方その頃。
包囲されているジークデン砦の城壁の上では、砦の将が不審げに眉をひそめていた。
「……どういうことだ?」
昨日まで、あれほど苛烈を極めていたディーズ公国軍からの矢の雨が、今日は明らかに少ない。それどころか、遠目に見える敵兵たちの動きが、ひどく緩慢で精彩を欠いているように見えるのだ。
「公国軍の動きが鈍い……。昨日の夕刻、敵陣に突っ込んでいったあの正体不明の部隊……いや、皇子。まさか、彼らが何か仕掛けているというのか?」
砦の将は、不気味なほどに静まり返った森の方角を、畏怖の念を抱きながら見つめるしかなかった。
* * *
その日の午後。
疲弊しきった公国軍の陣地に、地響きと共に新たな土煙が舞い上がった。
掲げられた旗印から、それがディーズ公国からの増援部隊であることは明白だった。待ちわびていた味方の到着に、公国軍の陣営からワァッと安堵の歓声が上がる。
その光景を樹上から見下ろしていたライカは、目を細めて獰猛に嗤った。
「ザック、ライド。出番だ」
「え……」
「お、おう」
木から飛び降りたライカは、昨日奪い取った公国騎士の鎧を、寝起きの二人に乱暴に投げ渡した。
「おめぇらはそれを着ろ。夜、敵の陣に潜るぞ」
「よ、夜に潜るって……ボスはどうするんだ!?」
「俺か?」
ライカはおもむろに自身の防具を外し、荷物の中から簡素な平服を取り出して着替え始めた。さらりと流れる銀髪と、そのあまりにも人間離れした美貌が、薄暗い森の中で異様なまでの存在感を放つ。
「決まってんだろ。おめぇらが見つけてきた『近隣の村で上納された、とびきりの上玉』だ。増援が来て気が緩んだ指揮官の天幕に、直通で案内してもらうんだよ」
「ひっ……!」
「ま、待てライカ! 上玉は認めるぜ。だがな、いくらなんでも危険すぎる! 下手すりゃ本当に……!」
「あァ? 心配すんな。服を脱がされる前に、きっちり喉笛を掻き切ってやるからよ。雑兵はどうでもいい。指揮クラスをやるぞ。昨日のを見たろ、戦争中の軍人は女に引っかかりやすいんだ」
黄金の瞳を細め、悪びれもなく嗤う大悪党。
敵の指揮官の首を狙い、自らの美貌を餌として真っ向から敵陣の中枢へ潜り込む。
あまりにも大胆かつ外道、そして色狂いの敵の心理を突いた作戦に、ザックは自身の胃袋が、いよいよ完全に破壊された音を聞いた気がした。
「ああ、それとフォルテ皇子。合図を出したら頼むぜ」
「わかった。ダイタスの誇りにかけて」
* * *
その日の夜。ディーズ公国軍の野営地は、昨日とは全く異なる空気に包まれていた。
昨晩の生首と鬨の声の恐怖で限界まで疲弊し、焚き火の影にすら怯える本隊の兵士たち。対して、昼間に到着したばかりの増援部隊のテント周辺では、戦場にもかかわらず酒盛りが行われ、下品な笑い声が響いていた。
この疲労と気の緩みが混在する奇妙な空間こそが、侵入者にとって最高の隠れ蓑となる。
(ハッ、戦ってもいねぇのに勝った気でいやがる)
「あいつを狙え。近づくぞ」
兜を目深に被ったザックとライドの間に挟まれ、縄で手を縛られたフリをして歩くライカが、微かな声で前方を顎でしゃくった。
視線の先、火の気の多い増援部隊の区画を歩いている、一際体格の良い男。身につけている装飾からして、小隊長クラスの役職持ちだろう。
「おい、お前ら。なんだその女は」
すれ違いざま、不審に思ったその男が立ち止まり、鋭い声をかけてきた。
(かかったな)
「ああ、ここに来る途中に立ち寄った村があるだろ? なんかさ、そこの村長がこれを、と献上してきたんだよ」
ザックが、兜の奥から軽薄に言う。そして、わざと下世話な笑みを浮かべてみせる。
「お前……そういうのは軍規違反じゃ……いや、仕方ないか……」
咎めようとした男の言葉が、途中でピタリと止まった。
彼の視線が、男たちに挟まれて俯く女に向けられ、完全に釘付けになったのだ。
兵が見たのは、月明かりの下でフルフルと小動物のように震える、銀髪の絶世の美女。胸元が大きく開いており、ひどく煽情的である。
恐怖故なのか、その菫色の大きな瞳はうっすらと涙で潤んでおり、それが男の庇護欲を尚更激しく刺激し、そそった。
「あ、あなた様たちの指揮官様へと、村長から仰せつかっております……。わ、私、覚悟はできております……」
鈴を転がすような、儚げで甘い声。
男の胸を、強烈な衝撃が打ち抜いた。
(なんて儚げで美しく、そして可愛いのだ……!)
戦場にはあまりに不釣り合いなその女に、体格の良い男はすっかり毒牙にかかり、鼻の下を伸ばしていた。
「……おう。こういう上玉は、下っ端の俺たちが手を出す前に指揮官殿からだろ? 幕はどこだ?」
ライドが急かすように男の肩を叩く。
「あ? あぁ、俺が案内する。ついてこい」
男は周囲の兵士たちの貪欲な視線を遮るように立ち、自ら先頭に立ってライカたちを陣営の中心深く、一際大きな天幕へと案内した。
「指揮官殿、極上の献上品が届きまして」
天幕の外から男が声をかけると、中から酒焼けしたような下品な笑い声と共に「女だけ入れろ」という指示が飛んだ。
「はい」
ザックとライドをその場に残し、天幕の入り口をくぐろうとするライカ。
彼女は、案内してくれた男とすれ違うその一瞬。
誰にも聞こえないほどの小さな、しかし熱を帯びた吐息で、男の耳元で囁いた。
「たすけて……私は、貴方と……」
ビクッ、と。
男の全身に雷に打たれたような衝撃が走る。
振り返った時には、銀髪の美女はすでに天幕の奥へと消えていた。
(あの女……俺を選んでくれたのか!? この俺に、助けを……!)
勘違いと欲望で頭の中を沸騰させる男の背中を、ザックは兜の奥から(哀れな奴だ……)と、心底同情するような目で見つめていた。
ライカは幕に入るなり、下卑た笑みと粘着質な視線に晒された。
『……男は王国も帝国も同じね』
(だから、御し易い)
「さあ、こっちにこい」
指揮官はライカの姿を見るなり、隠しきれない喜色を浮かべて手招きをする。
だが次の瞬間、美しき献上品は顔を恐怖に引き攣らせた。
「助けて! いや! いやぁぁぁ! いやよ! 私は、さっきの方になら! でも貴方はいやぁッ!」
突如として響き渡った悲痛な絶叫。
思いもよらぬ大音声に、指揮官が呆然と立ち尽くした、その時。
「いやぁぁぁぁ! せめて最初は愛した人と!」
耐えられなくなった。一目見て、美しいと感じた。そんな女が欲しいと思った。だから、踏み切った。
「指揮官殿! 私はこの女と共にッ!」
そう叫ぶや否や、先ほど案内役を務めた大柄な男が、剣を抜いて天幕へと突撃してきたのだ。
「なっ……貴様、狂ったか!」
突然の部下の反逆に激昂し、指揮官も慌てて剣を抜く。
勘違いと欲望に狂った男と、激怒する指揮官。天幕の中で、味方同士の醜い刃がいきなり激しく打ち合いを始めた。
「チェックメイト」
無機質な、氷のような声が落ちた。
「がふッ!?」
「ガッ!?」
激しく打ち合い、互いにガラ空きとなっていた二人の心臓を、音もなく忍び寄った白銀の閃光が、寸分違わず同時に貫いていた。
声なき悲鳴を上げ、もつれ合うように崩れ落ちる二人の死体。
それを見下ろしながら、氷の美術品はふいに睫毛を伏せ――再び開かれたその瞳は、昏く爛々とした黄金色に染まっていた。
「わりぃな、不器用でよぉ。愛してるって素直に言えねぇんだよ」
大悪党は血に濡れた刃を振り払いながら、死体に向けてニタリと獰猛に嗤うのであった。




