↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大悪令嬢──蟲這う大陸で戦士達は詠う──  作者: 三四郎
第一章 砂糖菓子の夢に溺れて死ね
5/189

5.御令嬢は反抗期

「クアーッハッハッハッハ!!」


 魔獣すら息を潜める静かな北の森に、美少女の姿をした悪鬼の高笑いが響き渡った。

 バルバロッサは鼻歌まじりに帰路へつく。

 だが、領主の館が見えてくる頃には、上機嫌だった足取りはすっかり重くなっていた。


(貧弱すぎる。少し暴れて歩いただけで、足がしびれている。関節もギシギシ鳴ってやがる)


 どれほどの執念や精神力をもってしても、物理的な肉体の限界はどうにもならない。

 重い足を引きずり、ようやく館の門扉にたどり着いたところで、バルバロッサは玄関の扉の前でニヤリと笑うと、あっさりとその意識の主導権を手放した。


(名案だぜ。あとは小娘に任せりゃいいんだ。そら、起きろ。優雅な目覚めだぜ)


 * * *


 意識の奥底で気絶していたエルマが、唐突に現実に引き戻された。


「……はっ!? あ、あれ……お家……?」


 ポカンと周囲を見回した次の瞬間。

 限界を優に超えた筋肉の悲鳴と、凄絶な肉体労働のツケが自身の脳髄を直撃した。


「あ、あばばばばばばっ!?」


 声にならない悲鳴を上げ、エルマは砂埃にまみれた姿で、玄関の冷たい石畳の上へと無様にぶっ倒れた。白目を剥いて、二度目の気絶である。


 * * *


 真っ白な、光り輝く花畑の中にいた。

 懐かしくて、温かくて、まるでお日様の匂いがするような場所。自身の体は妙に小さい。

 そこには、金糸の髪をなびかせ、聖母のような微笑みを浮かべた絶世の美女が立っていた。


「あぁ……お母様! お母様ですぅ……っ!」


 エルマは泣きじゃくりながら、亡き母、アデレータの胸に飛び込んだ。

 自身の記憶が魅せる良い夢だ。そんなことはわかっている。

 昨日の恐ろしい体験。脳内に住み着いたドスの効いた声の男。勝手に動き出す自分の体。すべてを打ち明け、この優しい腕の中で慰めてほしかった。

 アデレータはエルマの頭を優しく撫で、その耳元で鈴を転がすような美しい声で囁いた。


「エルマ、私の可愛いエルマ……」

「はい……はい、お母様……っ」

「いい? よく聞きなさい、エルマ。……『外堀』を埋めるのよ」

「……え?」


 エルマが顔を上げると、そこには聖母の微笑みを浮かべたまま、目だけを獲物を狙う肉食獣のようにギラつかせた、見たこともない母の表情があった。


「狙った獲物は、他に取られる前に徹底的に逃げ道を塞ぐの。親戚も、友人も、周囲の人間すべてを味方につけて、物理的にも社会的にも逃げられないように固めるのよ。……にがしちゃ、だめ」

「……お、お母様……? なにを……?」

「お父様も、そうやって私が狩ったんだから。……ふふっ」


 あまりの告白に、思考が追いつかない。

 高位貴族の至宝と謳われた母が、なぜ辺境の傭兵上がりの父の後妻に収まったのか。今になって、知りたくもなかった裏話の核心に触れてしまいそうになり――エルマの意識は、逃げるように急激に現世へと引き戻された。


 * * *


「ひいぃぃっ!?」


 変な悲鳴を上げて、エルマは跳ね起きた。

 ……いや、跳ね起きようとした。


「ぎ、ぎにゃあああああああああッ!!?」


 次の瞬間。昨日までの筋肉痛などただの微風に思えるほどの、凄絶な激痛が全身を貫いた。

 筋肉の悲鳴ではない。いや、筋肉なのだが、関節の節々が内側からミシミシと軋み、砕け散るような未知の衝撃。


「いたっ! 痛いですぅぅ! 全身のネジが外れてますぅぅ!!」

「エルマ! エルマァァァ!! 気がついたか!!」

「お嬢様! そのまま寝ていてください!!」


 視界の端に、目の下に真っ黒なクマを作った父と、髪を振り乱したメイドのマーサが飛び込んでくる。血相を変えた使用人たちが廊下を走り回る音が聞こえ、どうやら夜通し行方不明だった自分が玄関先に倒れていたせいで、屋敷中がとんでもない騒ぎになっていたらしいと悟った。


(いい味だしてやがる。戯曲ってなぁ、最前列が一番くるんだよ)


 脳の奥底から、あの憎たらしいほど冷静な声が響く。


『バ、バルバロッサさん……! ひどいですぅ、筋肉どころか、骨が、関節が……っ!』

(あぁ? 俺流のストレッチってやつだ。イカしてるだろ? ああ、あの三匹はな、ある場所で待機するように言い含めてある。……痛みが引いたら、すぐに愛の収穫に行くぞ)

「無理ですぅぅぅ! 指一本動かせませんんん!!」

「エルマ! どこが痛いんだ!? 医者か!? 医者を呼ぶか!?」

「いいえガルム様、このお嬢様の悶え方は……十中八九、筋肉痛の限界を超えた筋の痛みですわ。添え木と包帯を持ってきますわ!」


 ガルムの絶叫をよそに、マーサがテキパキと手当をしてくれる。

 エルマは涙目で、夢の中の母の言葉を思い出していた。


(にがしちゃ、だめ……)


『お母様。私、やはりお母様とは違うようです。だって今、獲物を狩るどころか、自分の体が乗っ取られそうです……!』


 * * *


 マーサの手によって全身をぐるぐる巻きにされ、ミイラのような有様になったエルマは、ベッドの上で芋虫のように丸まっていた。


「あ、あうぅ……指が、自分のものじゃないみたいですぅ……」


 口元から情けない呻き声が漏れる。これではペンを握るどころか、大好きな刺繍の針すら持てそうにない。


(チッ。いつまで死体ごっこしてやがる。ただの筋肉痛だろうが)

『だ、だってぇ……! ああ、もう! 体壊れたら、お嫁に行けなくなっちゃいます……っ!』


 脳内に響く大悪党のドスの効いた声に、エルマは必死に抗議の念を返す。

 すると、彼女の脳内にあるバルバロッサは、ふと面白そうな気配を漂わせた。


(……あぁ? 嫁だ? おい小娘、テメェ、夢はあるのか?)

『夢、ですか?』


 唐突な質問に、エルマは痛む体を少しだけモゾモゾと動かし、脳内でささやかな理想を思い描く。


『優しい旦那様と、幸せな家庭築いて。子供達と一緒に刺繍とか……えへへ』


 父も、領民のみんなも笑顔で溢れる、温かいベルン領での暮らし。

 そんな絵本に出てくるような未来を想像し、エルマの顔にだらしない笑みが浮かぶ。

 その答えに、脳内の戦頭は一瞬の沈黙の後――――喉の奥で低く笑った。


(ふん……叶うかもしんねぇな?)

『本当ですか!? バルバロッサさんもそう思いますか!』


 痛みを忘れてパァッと表情を輝かせる。

 同意してくれた。そう喜ぶエルマの脳裏で、ふと、底冷えするような邪悪な思考が渦を巻いたような気がした。


 優しい旦那に、温かい家庭。

 なにかを待ち望んでいるかのような――ひどく冷たい嗤い声だけが響く。

 言葉にはならない。けれど、その底知れぬ悪意の気配だけが、エルマの心の奥底でどす黒く渦を巻いていた。


 * * *


 数日後。

 エルマを襲った凄絶な筋肉痛が、ようやく「ただの重い疲労感」程度にまで回復した頃。

 ベルン領の領主の館に、王都からの急使が駆け込んできた。


「……急な呼び出しだな。辺境の備えについて、国王陛下が直々に報告を聞きたいと?」


 書状に目を通した父ガルムの眉間には、深い皺が刻まれていた。しかし、王命とあれば背くことはできない。ガルムは何度も心配そうにエルマを振り返りながら、出立の準備を整えた。


「エルマ。私は少し家を空ける。お前はまだ体が本調子ではないのだから、絶対に森に入ったり、無理な特訓などしないようにな」

「はい、お父様。気をつけていってらっしゃいませ」


 玄関先で殊勝に頷いてみせると、ガルムはデレデレと相好を崩してその頭を撫で、背後に控えるメイドへと視線を向けた。


「マーサ、エルマを頼んだぞ。屋敷の外には一歩も出さず、安静にさせてやってくれ」

「かしこまりました、旦那様。お嬢様のことは、このマーサが責任を持ってお守りいたします」


 一糸乱れぬ所作で深く頭を下げるメイドの横で、エルマは慌ただしく王都へと出立していく父の馬車を見送った。

 その馬車の背中が見えなくなったのを確認し、エルマは「ふぅ」と小さく息を吐き出す。


(ちょっと貸せ)

『へ?』

(今後の為に、な)

「ふふっ、お父様ったら本当に心配性なんですから」


 ――ぞわり、と。

 エルマの意志とは無関係に、頬の筋肉が勝手に引き上げられる。

 自身の体が『いつもの愛らしい笑顔』を顔に貼り付け、マーサに向かって振り返るのを感じた。


「ねえ、マーサ。私、なんだか急に疲れが出ちゃったみたい。夕飯までベッドでゆっくり休むから、いろいろお願いできる?」

「かしこまりました、お嬢様。ごゆっくりとお休みくださいませ」


 マーサが深く頭を下げる。

 だが、その直前。マーサの肩がビクッと跳ねた。

 彼女はサッと血の気を引かせた顔で息を呑み、弾かれたように微かに後ずさる。


「どうしたの、マーサ?」


 不思議そうに小首を傾げる動作すら、エルマの制御下にはない。

 マーサは瞬きを繰り返し、引きつった笑みで誤魔化すように取り繕った。


「……い、いえ。なんでもございません。ごゆっくりお休みください」

「ええ。それじゃあ、お願いね」


 パタン、と自室の扉が閉まる。

 扉を隔てた瞬間――――エルマの脳内で、悪鬼が腹の底から極悪に嗤った。


(ハッ、表立って騒がねぇか。こいつもただの素人じゃねぇな)

『バルバロッサさん、マーサがすごく怖い顔してましたよ……?』

(気にするな。さあ小娘、決行は夜だ。シーツを裂いてつなげろ。日が落ちたら、行くぞ。過保護な親父の留守に、子爵にたっぷりの愛を貰いにいくぞ)

『いやだいやだいやだいやだ!』


 悲鳴のような抗議の念も虚しく、指先一つ動かせない。

 最凶の悪鬼に肉体の主導権を握られたまま、絶望的な長い夜が幕を開けようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。