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大悪令嬢 ー最凶の悪鬼と貧弱令嬢ー  作者: ぐんそう
第一章 砂糖菓子の夢に溺れて死ね
5/28

5.御令嬢は反抗期

「クアーッハッハッハッハ!!」


 魔獣の住む静かな北の森に、十四歳の美少女の姿をした大悪党の、極悪な高笑いが響き渡った。

 鼻歌まじりに、バルバロッサは帰路へつく。

 だが、領主の館が見えてくる頃には、その機嫌はすっかり底辺まで落ち込んでいた。


(貧弱すぎる。少し暴れて、歩いただけで、足がしびれている。関節もギシギシ鳴ってやがる)


 大悪党の強靭な精神力をもってしても、物理的な肉体の限界はどうにもならない。

 重い足を引きずり、ようやく館の門扉にたどり着いたところで、バルバロッサは玄関の扉の前でニヤリと笑うと、あっさりとその意識の主導権を手放した。


(名案だぜ。あとは小娘に任せりゃいいんだ。そら、起きろ優雅な目覚めだぜ)


 フッ、と意志の糸が切れる。

 意識の奥底で気絶していたエルマが、唐突に現実に引き戻された。


「……はっ!? あ、あれ……お家……?」


 ポカンと周囲を見回した次の瞬間。

 限界を優に超えた筋肉痛と、凄絶な肉体労働のツケが、一切のフィルター無しで十四歳の脳髄を直撃した。


「あ、あばばばばばばっ!?」


 声にならない悲鳴を上げ、エルマは砂埃にまみれた姿で、玄関の冷たい石畳の上へと無様にぶっ倒れた。白目を剥いて、二度目の気絶である。


 * * *


 真っ白な、光り輝く花畑の中にいた。

 懐かしくて、温かくて、まるでお日様の匂いがするような場所。自身の体は妙に小さい。

 そこには、金糸の髪をなびかせ、聖母のような微笑みを浮かべた絶世の美女が立っていた。


「あぁ……お母様! お母様ですぅ……っ!」


 エルマは泣きじゃくりながら、亡き母、アデレータの胸に飛び込んだ。

 自身の記憶が魅せる良い夢だ。そんなことはわかっている。

 昨日の恐ろしい体験。脳内に住み着いたドスの効いた声の男。勝手に動き出す自分の体。すべてを打ち明け、この優しい腕の中で慰めてほしかった。

 アデレータは、エルマの頭を優しく撫で、その耳元で鈴を転がすような美しい声で囁いた。


「エルマ、私の可愛いエルマ……」

「はい……はい、お母様……っ」

「いい? よく聞きなさい、エルマ。……『外堀』を埋めるのよ」

「……え?」


 記憶……?

 エルマが顔を上げると、そこには聖母の微笑みを浮かべたまま、目だけを獲物を狙う肉食獣のようにギラつかせた、見たこともない母の表情があった。


「狙った男(獲物)は、他に取られる前に徹底的に逃げ道を塞ぐの。親戚も、友人も、周囲の人間すべてを味方につけて、物理的にも社会的にも逃げられないように固めるのよ。……にがしちゃ、だめ」

「……お、お母様……? なにを……?」

「お父様も、そうやって私が『狩った』んだから。……ふふっ」


 あまりにも衝撃的な母の告白。

 高位貴族の至宝が、なぜ辺境の傭兵上がりの後妻に収まったのか。その歴史の裏側に隠された凄惨な戦略を突きつけられ、エルマの意識は急激に現世へと引き戻された。


 * * *


「ひいぃぃっ!?」


 変な悲鳴を上げて、エルマは跳ね起きた。

 ……いや、跳ね起きようとした。


「ぎ、ぎにゃあああああああああッ!!?」


 次の瞬間。昨日までの『筋肉痛』など、ただの微風に思えるほどの凄絶な激痛が全身を貫いた。

 筋肉の悲鳴ではない。関節の節々が、骨そのものが、内側からミシミシと軋み、砕け散るような未知の衝撃。


「いたっ! 痛いですぅぅ! 全身のネジが外れてますぅぅ!!」

「エルマ! エルマァァァ!! 気がついたか!!」

「お嬢様! そのまま寝ていてください!!」


 視界の端に、目の下に真っ黒なクマを作ったお父様と、髪を振り乱したメイドのマーサが飛び込んでくる。どうやら、夜通し行方不明だった娘が、夜明けに泥まみれで玄関先に倒れていたため、屋敷中がパニックになっていたらしい。


(いい味だしてやがる。戯曲ってなぁ最前列が一番くるんだよ)


 脳の奥底から、あの憎たらしいほど冷静な声が響く。


『バ、バルバロッサさん……! ひどいですぅ、筋肉どころか、骨が、関節が……っ!』


(あぁ? 俺流のストレッチってやつだ。イカしてるだろ? ああ、あの三匹はな『ある場所』で待機するように言い含めてある。……痛みが引いたら、すぐに『関所カモ』の収穫に行くぞ)


「無理ですぅぅぅ! 指一本動かせませんんん!!」


「エルマ! どこが痛いんだ!? 医者か!? 医者を呼ぶか!?」


「いいえガルム様、このお嬢様の悶え方は……十中八九、筋肉痛の限界を超えた『すじ』の痛みですわ。湿布を、湿布を持ってきてちょうだい!」


 お父様の絶叫と、マーサのテキパキとした指示が飛び交う中。

 エルマは涙目で、夢の中の母の言葉を思い出していた。


(にがしちゃ、だめ……)


 ……お母様。私、やはりお母様とは違うようです。だって今、獲物を狩るどころか、自分の体(関節)に狩られそうですぅ……!


 * * *


 マーサの手によって全身に湿布を貼られ、ミイラのような有様になったエルマは、ベッドの上で芋虫のように丸まっていた。


「あ、あうぅ……指が、自分のものじゃないみたいですぅ……」


 口元から情けない呻き声が漏れる。これではペンを握るどころか、大好きな刺繍の針すら持てそうにない。


(チッ。いつまで死体ごっこしてやがる。ただの筋肉痛だろうが)

『だ、だってぇ……! こんなに手がプルプルしてたら、お嫁に行けなくなっちゃいますぅ……っ!』


 脳内に響く大悪党のドスの効いた声に、エルマは必死に抗議の念を返す。

 すると、彼女の脳内にあるバルバロッサは、ふと面白そうな気配を漂わせた。


(……あぁ? 嫁だ? おい小娘、テメェ、夢はあるのか?)

『夢、ですか?』


 唐突な質問に、エルマは痛む体を少しだけモゾモゾと動かし、脳内でささやかな理想を思い描く。


『優しい旦那様と、幸せな家庭築いて。子供達と一緒に刺繍とか……えへへ』


 お父様も、領民のみんなも笑顔で溢れる、温かいベルン領での暮らし。

 そんな絵本に出てくるような未来を想像し、エルマの顔にだらしない笑みが浮かぶ。

 その甘っちょろい回答に、脳内の大戦頭は一瞬の沈黙の後――喉の奥で低く笑った。


(ふん……叶うかもしんねぇな?)

『本当ですか!? バルバロッサさんもそう思いますか!』


 痛みを忘れてパァッと表情を輝かせるエルマ。その言葉の裏に隠された、極悪非道な嘲笑に、十四歳の少女が気づくはずもない。


(……あぁ。テメェがその『震える手』で、盗ったあとならいくらでも、な)


 優しい旦那に、温かい家庭。そのお花畑のような絵空事が、血と泥と絶望の中でどれほど『綺麗』にぶっ壊れるか。

 大悪党は最悪の戯曲を期待し、エルマの深淵で静かに嗤った。


 * * *


 数日後。

 エルマを襲った凄絶な筋肉痛が、ようやく「ただの重い疲労感」程度にまで回復した頃。

 ベルン領の領主の館に、王都からの急使が駆け込んできた。


「……急な呼び出しだな。辺境の備えについて、国王陛下が直々に報告を聞きたいと?」


 書状に目を通した父ガルムの顔には、微かな戸惑いと警戒の色が浮かんでいた。しかし、王命とあれば背くことはできない。ガルムは後ろ髪を引かれる思いで、出立の準備を整えた。


「エルマ。私は少し家を空ける。お前はまだ体が本調子ではないのだから、絶対に森に入ったり、無理な特訓などしないようにな」

「はい、お父様。気をつけていってらっしゃいませ」


 玄関先で、殊勝に頷く愛娘。ガルムはデレデレと相好を崩してその頭を撫でると、背後に控えるメイドへと視線を向けた。


「マーサ、エルマを頼んだぞ。屋敷の外には一歩も出さず、安静にさせてやってくれ」

「かしこまりました、旦那様。お嬢様のことは、このマーサが『責任を持って』お守りいたします」


 完璧な一礼を見せるメイドに見送られ、ガルムの馬車は慌ただしく王都へと出立していった。

 その馬車の背中が見えなくなったのを確認し、エルマは「ふぅ」と小さく息を吐いた。


 (ちょっと貸せ)

『へ?』

 (今後の為に、な)


「ふふっ、お父様ったら本当に心配性なんですから」


 エルマはいつもの愛らしい笑顔で、マーサに向かって振り返った。


「ねえマーサ。私、なんだか急に疲れが出ちゃったみたい。夕飯までベッドでゆっくり休むから、いろいろお願いできる?」

「かしこまりました、お嬢様。ゆっくりとお休みくださいませ」


 完璧なメイドの礼儀で、マーサが深く頭を下げる。

 だが、その直前。マーサは確かに見た。


 可憐で無力なはずの令嬢の瞳が。

 まるで、血の匂いを嗅ぎつけた飢えた肉食獣のように――ギラリと、恐ろしい黄金色に輝いたのを。


(……ひっ)


 マーサの背筋を、氷を押し当てられたような悪寒が駆け抜ける。思わず息を呑んで顔を上げたが、そこにいたのは、小首を傾げて不思議そうにこちらを見つめる、普段通りの無邪気なエルマだった。


「どうしたの、マーサ?」

「……い、いえ。なんでもございません。ごゆっくりお休みください」

「ええ。それじゃあ、お願いね」


 パタン、と自室の扉が閉まる。

 扉を隔てた瞬間――エルマの脳内で、大悪党が腹の底から極悪に嗤った。


(ハッ、表立って騒がねぇか。こいつもただの()()じゃねぇな)

『バルバロッサさん、マーサがすごく怖い顔してましたよ……?』

(気にするな。さあ小娘、決行は夜だ。シーツを裂いてつなげろ。日が落ちたら、行くぞ。過保護な親父の留守に、子爵にたっぷりの愛を渡しにいくぞ)

『いやだいやだいやだいやだ!』


 こうして、一人の可憐な令嬢と、最凶の大悪党による『関所蹂躙』の幕が、密かに切って落とされたのだった。

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