15.初陣
数日後、帝都にあてがわれた別邸の広場。
王族の別邸としてはあまりに簡素な外壁に囲まれた訓練場には、荒々しい怒号と、刃を潰した剣がぶつかり合う鈍い音が絶えず響いている。
「ボ、ボス! いきますッ!!」
悲壮な覚悟を決めた傭兵が放つ渾身の横薙ぎ。ライカはそれを、ヒラリと紙一重でかわす。翻る銀髪が、舞い上がる土埃の中で白銀の閃光を描いた。
荒くれ者たちは、今やこの「美しきボス」を完全に恐れ慄いていた。彼らにとって、ライカとの手合わせはもはや処刑の儀式に等しい。
だから、彼らは気づかない。ライカがその氷のような菫色の瞳の奥で、彼らの太刀筋、呼吸、重心の移動を、解体し、吸収しようとしていることに。
『ギリギリまで引き付ける。目を閉じない。腕だけを見ない。風景としてみる』
(ゼロ点だ。まずは殺す手段から考えろ。弱ぇうちは初手で殺すんだよ)
無機質なエルマの思考と、脳内で響く大悪党の嗤い声。彼らが何気なく打ち合っているその瞬間が、エルマが彼らの技術を貪欲に喰らい尽くしている時間なのだ。
一方、フォルテ第六皇子は、帝城の奥深く、第四皇子ベルベットの執務室へと呼び出されていた。
豪奢な机の向こうに座していたのは、第四皇子ベルベット・ダイタス・ガルヴェリア。
二十歳を越えたばかりの彼は、まさに軍事国家の王族だった。整えられた茶髪に、彫刻のように深く刻まれた顔立ち。膨大な書類に目を通しながらも、フォルテと同じはずの鮮やかな青色の瞳は、深海のように暗く冷たく、弟を射抜いている。
対するフォルテは、まだ幼さの残る柔らかな輪郭に、強さへの憧れを宿した澄んだ青い瞳を持っていた。同じ血を引き、同じ瞳の色を持ちながら、片方は「鋼の支配者」、片方は「期待されていない予備」という残酷な対比がそこにはあった。
「フォルテ、私兵を作ったそうだな」
「はい、兄上」
「では、お前も戦場に立つということだ」
「心得て……おります」
冷たい大理石の床に膝をつくフォルテを書類越しに見下ろし、ベルベットは感情の欠片もない声で告げた。
「まずはジークデン砦の増援に向かえ」
「はい。……ジークデン砦は、現在西南のディーズ公国から攻められている要所ですね」
「戦況は劣勢とのこと。すぐに行け」
「我が傭兵団はまだ、馬もなく……」
「知ったことか。西南の要所よ。出遅れは許さん。五日で行け。フン、別動隊もある。精々行き損にならないようにな」
(はぁ、どうやって行くんだよ……。馬は僕のしか……)
暗い気持ちのまま、フォルテは自身の屋敷へと戻った。
しかし、屋敷の広場には既に完全武装した傭兵たちの姿が、一寸の乱れもなく整列していた。そこに数日前の帝都に帰還した喜びなど欠片もない。ただ、団長の恐怖で顔を引き攣らせた獣たちが立っている。
「事は一刻を争うものと存じます。出立の許可を」
(またも密書の狙い目の案件だ)
先頭に立つライカの言葉は、短く、そして鋭い。
氷の美女の美貌は、戦装束を纏うことでさらにその神秘性を増していた。そこに感情の揺らぎは一切なく、ただ任務を遂行するためだけに研ぎ澄まされた、冷たく完璧な戦場の氷刃であった。
「うん。じゃあ、いこう。五日でいけって……ごめん。ぼくは馬に乗るから――」
そして、フォルテが自身の愛馬に跨り、視線を前方に戻せば。
そこに広がるのは、ただ風に舞う猛烈な土煙だけだった。
「……え?」
はるか前方。街道を凄まじい勢いで、文字通り「爆走」していく集団の背中が見える。
先頭を走る少女の瞳は、すでに氷の菫色から、爛々と輝く黄金色へと変貌していた。
「オラァッ! 遅れてるぞゴミムシ共ォ! 人からもう格下げか!? それとも皮被っちまったか!? カーチャンに剥いてもらって出直してこい! 五日で着くところを三日で着くのがテメェらの仕事だァァ!」
「ひぃぃぃぃッ! は、はいッ、ボスゥゥ!」
「誰か! 誰か俺の足を切り落としてくれぇぇ!」
瞬く間に点となって消えていく自身の私兵たち。
後に残されたのは、置いてけぼりを食らった皇子と、ポカンとしている馬だけだった。
「……すごい! やっぱりみんな、馬より速いよ!」
フォルテの無邪気な歓声が、誰にも届くことなく空に消えた。
* * *
西南の要、ジークデン砦。
砦を守る将は、降り注ぐ矢の雨の中、苛立ちとともに城壁を叩いた。
「くそ、ジリ貧だ。増援は!?」
「帝都に送った伝令からすると、まだ五日はかかるかと!」
「ギリギリだな……この門が破られるのが先か」
眼下を埋め尽くす数百のディーズ公国軍。その鉄錆びた鎧の波は、一向に衰えそうにない。
守備隊の士気は底を突き、絶望が冷たい霧のように砦を包み込もうとしていた。
「ん?」
ふと、将は目を細めた。
遥か後方、ドラグの森を抜けた帝都側の街道から、地平線を覆い尽くすほどの猛烈な土煙が上がっているのが見えたのだ。
「なんだ? 人……? いや、あの速さは騎馬隊か?」
およそ二十名程度。しかし、掲げられる旗は、高貴なる銀糸で縁取られた『冠なき青獅子』の紋章。
それは帝国の皇族、あるいはそれに準ずる者のみが掲げることを許される旗印だ。
「走って……る? 馬なしで、あの速度をか!?」
将は己の目を疑った。
先頭を走るのは、銀髪を振り乱した一人の少女。その後ろを、泡を吹きながら目を血走らせた荒くれ者たちが、文字通り死に物狂いで追従している。
黄金色の双眸を見開いたライカの顔には、獲物を前にした獣のような獰猛な嗤いが浮かんでいた。
「フハハハハハハッ! たまんねェなァ、この血の匂い! 戦場だ! 戦場だ!」
そして彼らは、砦を包囲する敵軍に向かって、魂を削り出すような絶叫を放ったのだ。
「愛を! 愛を差し出せ! 愛を! 愛をよこせェェェッ!」
空気を震わせる傭兵達の狂気の咆哮。
その異様な光景に、砦の将も、包囲していた公国軍も、一瞬だけ動きを止めて凍りついた。
「ストォォォォップ!! お前ら減速しろ!! そのまま突撃する気かァァァッ!!」
「あったりめぇだ! 景気よくいくぜぇ! 野郎共! 気張りやがれ!!」
集団の後方で、唯一正気を保っているザックが、激しい胃痛に顔を歪めながら血の涙を流して絶叫する。
だが、彼の悲鳴など聞こえぬとばかりに、狂乱の集団はそのまま敵の陣中のど真ん中へと突き刺さっていった。
帝国の歴史のほんの片隅に刻まれるであろう、小さな戦が今ここに幕を開けた。




