14.鞭と鞭と幻想の飴
そうして、狂気の契約が結ばれた。
フォルテ皇子の傘下の私兵として正式に雇われることになった砂塵の傭兵団。当面の目標は、現在地であるゼネビアから、東へ徒歩で十日ほどの距離にあるガルヴェリア帝国の帝都への帰還だ。
だが、荒くれ者たちを待っていたのは、皇子のお抱えという甘い汁などではない。
道中の十日間を丸ごと使った、地獄の練兵だった。
「すごい! みんな! 馬と同じくらい速いよ!」
泥まみれで行軍する傭兵たちを見て、馬車の窓から身を乗り出したフォルテ皇子が、目を星のように輝かせてはしゃいでいる。
そんな無邪気な少年の服の裾を、顔面蒼白になった侍女が必死に引っ張った。
「フォルテ様! 危のうございます! それに、あのような野蛮な者たちを専属にするなど……ッ!」
「あぁ?」
ギリッ、と。
馬車の横を並走しながら、抜き放った剣の冷たい切っ先を、窓枠越しに侍女の鼻先へピタリと突きつけてやる。
「ひっ……!?」
「戦士の決めたことだ。テメェの皇子を腐らせたいのか? クソムシは黙ってろ」
「あ、あぁあ……ッ」
殺気を込めて睨みつけると、侍女は白目を剥いてそのまま馬車の中で気絶した。
その様子を一瞥し、前方を走る部隊に向けて怒号を飛ばす。
「おら! 馬より速く走れ!!」
「ボ、ボス……む、むりぃ……ッ!」
「左舷! ライド! 遅くなってねぇか!?」
「お、おうよ!」
「右舷! ザック! そっちもおせぇ! 気張りやがれ! つまり全員おせぇ!」
馬として太い縄で身体を繋がれ、文字通り馬車を引きながら走らされている傭兵たちが、泡を吹きながら悲鳴を上げる。
「テメェらはゴミムシだ!」
「はい、ボス! 俺たちはゴミムシです!」
かつては自由を謳歌していた荒くれ者たちが、限界を超える負荷に涙目を浮かべながら、それでも整然と声を張り上げる。二日目くらいまでは反抗する者もいたが、悉く鉄拳制裁で分からせてやった結果だ。
「おい、ライカ……いい加減に――」
その時。列の端で同じく縄をつけられて走るザックが、恨めしそうな顔で口を開きかけた。
「ザック。わかる。だが、やれ。マジで死ぬぞ」
「ライド……」
隣を走る元団長のライドが、顔面を土気色にしながら小声で必死に制止する。風に乗って届いたそのヒソヒソ話を耳朶で拾い、鼻で嗤う。
先日ボコボコにしてやった巨漢の男は、すっかり恐怖の調教が完了したようだ。
「ゴミムシは這いつくばって、泥水すすって、歯ぁ食いしばってやっとただの虫になる! それすらできねぇテメェらはなんだ!?」
「ゴミムシであります!!」
一糸乱れぬ傭兵たちの絶叫。完璧な返答、のはずだった。
だが、並走していた一人の傭兵の胸ぐらを掴み上げると、問答無用で拳を叩き込んでやる。
「おめぇはただのゴミだ」
「ぎゃあぁぁぁぁっ!?」
「ぎゃあぁぁぁぁっ!? なんて返事は教えてねぇなぁ?」
模範解答をしたはずなのに制裁を与えられ、地面を転がる哀れな傭兵。こいつに限り、たまに反抗的な目を向けてくるからだ。
その理不尽な光景を目の当たりにしたザックとライドが、無言のまま背筋を伸ばし、死に物狂いで足を動かすのが見えた。
『……』
精神の奥底から、ひどく重苦しい沈黙が伝わってくる。
内側に引っ込んだエルマが、ギリッと強く掌を握りしめているような、悔恨の気配。
あのライドとの戦い。身体を貸すだけの人形にはならないと見得を切ったにもかかわらず、巨漢の剛剣の前に手も足も出ず、最後は結局こちらの力に助けられた。
自身の無力さ。暴力という力の前に屈した、渇望にも似た激しい悔しさが、エルマの魂をジリジリと焦がしているのが手に取るようにわかる。
『私なら……あの一撃、どうやって凌げた……? お父様なら、どうした?』
歯痒さに唇を噛み切りそうなほどの悲痛な声。
だが、そんなちっぽけなプライドを慰めてやる義理はない。
鼻で嗤い、残酷なまでの戦士の現実を突きつけてやる。
(小娘、おめぇには愛が足りねぇ)
『いつも言ってる訳のわからない理論ね』
(そうさ。おめぇにはわからねぇ。敵ってのはいつも愛を差し出してるのさ。私を斬って! ここをやれば殺せるわよ! ってなもんだ。ハッ、野太いラブコールの方が多いがな!)
『やっぱり、訳がわからないわ』
それから、帝都に着く直前まで地獄の練兵は続いた。
「つ、着いた、俺たち、やったぞ!」
「やりきった! やりきったんだ!」
「あぁ!」
手を取り合い喜び合う傭兵たち。肩を組んで泣いている者すらいる。
「死ぬかと思ったぜ……ライカ、イカれてやがる」
「だな。だがな、最もイカれてるのは俺たちと同じようなことして、息も切らせてねぇアイツだ……」
「貴様ら!」
歓喜に浸るクズ共に向けて、怒声を張り上げる。
「貴様らは連日の行軍によって、ゴミムシからやっと人になった! 人はゴミムシを蹂躙する! つまり、テメェらはやっと蹂躙する側になったのだ」
「俺たちは、蹂躙する側……」
「ああ、そうさ。これからフォルテ皇子の傭兵団として、数多の戦場で武勲を上げるのさ。想像してみろ。凱旋し、戻った時の民からのお前らに向けられる歓声、そして、夜にはよりどりみどりの綺麗所だ」
その言葉に、傭兵たちがだらしなくにやけ始める。
「あぁ、生きていてよかった」
「綺麗所なら、俺はボスに手当してもらいてぇ」
まだ何もなしていないというのに、現実逃避ゆえか妄想の世界に逃げ込む者さえ出てきた。その滑稽な顔を見下ろし、口角を吊り上げる。
「着いてこい。最高の快感と栄光を味わわせてやる。これからはとっても刺激的だぜぇ?」
「っしゃあ! いくぜ!」
甘言に乗せられて士気をあげる傭兵達を、ザックが呆れたような視線で見ているのがわかった。




