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大悪令嬢──蟲這う大陸で戦士達は詠う──  作者: ぐんそう
第二章 狼と薔薇の輪舞曲(ロンド)
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10.少年よ大死を抱け

 走りながら、ライカは敵を引き連れつつも本隊を挟み撃ちにする陣形を頭に描いたが、ふと背後を一瞥し、内心で鼻を鳴らした。


 既に、そこにあるべきザックの姿がない。


 相変わらず、危機回避における嗅覚だけは異常に鋭い男だ。このままライカが敵を連れて本隊に突っ込めば、最後尾にいたザックが取り残されてしまう。それを察知し、いち早く身を隠したのだろう。


(押し引きは一人前だな)

『見習うところはあるわね』


 大悪党と令嬢が、その見事な生存本能に内心で賛辞を送る。


「ライカ殿! もうすぐだよ!」


 前方から本隊の剣戟の音が聞こえてきた。

 少年は必死に足を動かしているが、その後ろを走る侍女と執事は、すっかり息を切らせて顔を真っ青にしている。


「少年。囮を使うんだ」

「へ……?」


 唐突なライカの言葉に、少年が目を丸くする。


「このババアとジジイは、こと戦場に於いては一切使い物にならねぇ。だが、肉壁にはなる。そら、息が切れて足がもつれかけてるぞ。テメェが少し蹴ってやれば、見事に躓いて終わりだ。その隙に、俺とお前だけで本隊に合流する」


 あまりにも冷酷で、合理的すぎる悪鬼の提案。

 背後でヒィヒィと喘ぐ侍女たちに視線をやり、少年はギュッと唇を噛み締めた。


「で、できない……」

『だろうね』


 少年の拒絶に、エルマは脳内で冷ややかに同意した。

 温室で育てられた、血の匂いも知らない無力な貴族の子供。命のやり取りなどできるはずがない。


「何故だ?」

「だって……」

『だって、貴方は。貴方も私と同じ、ただの砂糖菓子の……』


「――僕の、守るべき領民たちだから」

『……!?』


 エルマの脳髄を、強烈な落雷のような衝撃が貫いた。

 足が竦んで怖いからでも、残酷な真似ができないからでもない。ただの煩い侍女と、何もできない執事すらも、上に立つ者として命を懸けて守るべき対象であると、この少年は一片の迷いもなく言い切ったのだ。


 それは、弱者の言い訳などではない。


「ハッ。いと貴きってやつか」


 絶句するエルマとは対照的に。

 悪鬼は、その青い瞳に宿る決して折れない鋼の意志を見て、最高に上機嫌な、獰猛な嗤いを漏らしたのだった。


「では、どうする?」


 ライカは足を止めずに、首だけを向けて冷酷に問いかけた。

 この少年は今、大層なことを言った。しかし、どれほど高潔な理想を掲げようと、行動が伴わねばただの甘ったるく吐き気のする妄言に過ぎない。


「こうする! 奴らの狙いは僕だろ!」


 言うが早いか。少年は突如として足を止め、迫り来る黒装束たちを前に堂々と仁王立ちになった。

 自ら的になるという、狂気の沙汰。


「処理対象だ! 斬れッ!」


 獲物が自ら足を止めた絶好の隙。敵の二人は、背後のライカから一瞬だけ意識を外し、一直線に少年へと殺到した。

 だが、それは戦場において悪手である。


「俺を目の前にして意識を外すってか? 死にてぇのか? ――いや、死ぬんだわ」

「ガッ!?」


 無造作に振るわれたライカの剣が、一人目の首を呆気なく刎ね飛ばす。

 その直後。もう一人のスパイが体勢を立て直そうとした、まさにその死角から。


「右に同じくってな! 分け前更にゲットォ!」

「ゴガッ!?」


 姿を消していたはずのザックが岩陰から飛び出し、流れるような凶刃の軌跡で二人目の胴体を深々と薙ぎ払った。


 二つの物言わぬ肉塊が地面に転がる。

 完璧な連携ハイエナで返り血を浴びた二人を見上げながら、少年は小刻みに震える膝を必死に堪え、パァッと花が咲いたような、満面の笑みを向けた。


「僕が囮になった方が、もっと効果的だろ? 奴らの狙いは僕なんだから。役立たずが転ぶよりも、ずっと厄介に気を引ける!」


 血みどろの死体の前で、己の策がハマったことを無邪気に喜ぶその笑顔。

 それは、無垢故の狂気だった。


(クハハッ! 傑作だ! 小娘! 狂ってやがるぜ!)

『……ええ。本当に』


 悪鬼の歓喜の哄笑と共に。

 エルマの胸の奥底にも、かつてない強烈な感嘆と、ほんのわずかな敬意が芽生え始めていた。


 血みどろの死体を後にしたライカたちが、岩陰を抜けて本隊の戦場へと躍り出る。

 そこで彼らの目に飛び込んできたのは、砂塵の傭兵団が押されている劣勢の光景だった。


「ひるむなッ! 押し返せ!」


 前線で剣を振るう団長ライドが、血を吐くような怒号を上げる。

 開戦時、三十人近くいた砂塵の傭兵団は、すでに三分の一が地に伏し、立っているのは二十人程度まで減らされている。対する黒装束の本隊は、別働隊の四人を差し引いた十六人。


 数の上では、いまだ傭兵側が有利なはずだった。

 しかし、戦況は完全に押し込まれている。


「クソッ! なんだこいつら、隙がねぇ!」

「陣形を組まれてる! 崩せねぇぞ!」


 傭兵たちの悲鳴が上がる。


 個人の武力と暴力性で戦う傭兵団の荒削りな剣撃は、小隊単位で精密な連携を見せる敵の盾に容易く防がれ、その直後に生じる死角から、無慈悲なカウンターの刃が傭兵たちの急所を次々と貫いていく。


 一対一の殺し合いならともかく、集団戦においては、烏合の衆がどれだけ喚こうとプロの統率には決して敵わない。


(チャーンス)


 バルバロッサが内心でほくそ笑む。

 このままでは、砂塵の傭兵団が全滅するのは時間の問題だ。


「おい、ライドォ!!」


 突如、戦場の喧騒を切り裂くように、腹の底から響く異常な『覇気』を伴った声が轟いた。

 声の主――ライカの姿を認めたライドが、血走った目で怒鳴り返す。


「ライカ!? てめぇ、護衛対象はどうした!!」

「囮にして四人ぶち殺してきた! そっちは手ブラだ!」

「はぁッ!?」


 耳を疑うような報告と、その後ろで何故か『満面の笑み』を浮かべている少年の異常な光景に、ライドの思考が一瞬フリーズする。


 その隙を縫って、ライカは戦場全体によく通る声で高らかに要求した。


「そんな不細工な陣形じゃ、プロには一生勝てねぇぞ! 全滅したくなきゃ、その指揮権を俺に寄越せ!!」


 一介の新人傭兵が、ベテランの団長に向かって言い放った傲慢極まりない命令。

 平時であれば鼻で笑い飛ばすか、その首を叩き斬っているところだ。しかし、ライドは今の戦況の絶望感と、そして何より、自分を指揮下に従えようとするライカの瞳に宿る圧倒的な強者の光に、無意識のうちに気圧されていた。


「……ッ、クソが! 背に腹は代えられねぇ!」


 ライドは迫り来る敵の剣を弾き返しながら、自嘲気味に叫んだ。


「しかたねぇ! お前に任せる!! 好きに指揮りやがれ!!」

 

 団長からの正式な言質。

 その瞬間、銀髪の女の唇が、三日月のように深く、獰猛に吊り上がった。


「言質は取ったぜ。――さあ三流ども! 極上の殺しの授業を始めてやる!!」

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