4.対決!野盗! りんごを添えて
夕暮れ時になり、一人、また一人と露店を畳んで家路につき始めた。
(……頃合いだな。人目が薄れている)
エルマの脳内で、バルバロッサが極悪なニタリ笑いを浮かべる。
次の瞬間。エルマの体は、まるで本来の持ち主が置き去りにされたかのように、ぎこちなく、しかし確実な力で動き出した。
(オラ。抵抗すんな。いくぞ)
『う、うごかないでぇ……っ! 私の体、勝手に動かないでくださいぃ……っ!』
エルマは脳内で、必死に自分の体に命令を返そうと抵抗する。だが、彼女の意志は、バルバロッサの圧倒的な意志の奔流の前に、まるで荒波に抗う小舟のように無力で、指先一つ自由にすることも叶わない。
全身を縛り上げられたような感覚に、エルマは恐怖に怯えることしかできなかった。
* * *
ベルン領の郊外。
北の魔獣の森から吹き下ろす夜風が、荒れ果てた野良を寒々と通り抜ける。
町民の目を盗み、驚くべき速さで郊外の荒野へと現れたエルマは――そのツラを、涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしていた。
彼女が意志の力で制御できるのは、もはや、溢れる涙と鼻水、そして口から漏れ出る嗚咽だけだった。
『えぐっ、ひぐっ……ひ、ひどいです……ひどいですぅ……。私の体、返してくださいぃ……っ』
脳内で泣き叫ぶエルマの嗚咽が、実際には口元から「うう、うぅ……」という情けない泣き声となって漏れ出している。
だが、その体はエルマの意志を完全に無視して、無造作に道端の赤い草をむしり取り、地面に落ちた枯れ木を拾い上げ、手慣れた動作でその重さと重心を確認していた。
(チッ、やかましいな。外に声が漏れてるぞ)
『うぅ……だ、だって……だってぇ! 全身筋肉痛で、あんなに痛かったのに……っ!』
涙目で、自分の腕が勝手に棒切れを振るうのを恐怖に満ちた目で見つめながら、エルマは脳内で叫んだ。
『なんで……なんで、意志の力だけで……うごけるんですかァ!?』
彼女の脳内にあるバルバロッサは、エルマの口を使って嗤った。
「ハッ、この程度の痛み。超越済なんだよ」
『……え?』
この小娘の器は、確かに筋肉ミリなしのヒョロ枝だ。だが、バルバロッサの精神は、そんな肉体の悲鳴など微塵も気にとめない。
町民から貰った林檎を無遠慮に齧りながら、足を進める。
筋肉痛の悲鳴を上げる全身に、バルバロッサの意志が問答無用で命令を下し、強制的に動かしている。それはエルマにとって、痛みの信号を倍増させ、全身を針で刺されるような凄絶な拷問だった。
『超越済……ひ、ひどいです……っ! バルバロッサさんの大悪党! うぅぅ、痛い痛い痛い痛い……っ!』
(黙ってろ。獲物の匂いがする)
『いわれなくてもしゃべれないもん』
バルバロッサはエルマの視覚を北の森へと向けた。
エルマの目(バルバロッサの意志)が、街道沿いの大きな岩の影、風に揺れる微かな焚き火の煙を捉えた。
そこには、ボロボロの革鎧を身につけ、錆びついた剣を研いでいる、チンケな男たちの姿があった。
(ほうら、居た。三人か。好都合だ)
バルバロッサは岩陰から、なんの躊躇いもなく飛び出していった。
「よう。ウサギがカモをくわえて、ネギまでしょってきてやったぜ」
『……っ!?』
当のエルマは、目の前に本物の野盗が現れたあまりの恐怖と、限界を超えた筋肉痛の痛みに耐えきれず、ついに脳内で白目を剥いて完全に気絶してしまった。
(……おい、小娘? 気絶しやがったか。好都合だ)
突然の闖入者に、野盗どもは一瞬武器を構えて怪訝な目を向けたが――月明かりに照らされたのが、棒切れを持っただけの、涙と鼻水まみれの小柄な少女だと気づき、すぐに下品な笑いと共に警戒を解いた。
「なんだぁ!? ビビって損したぜ。迷子のガキか?」
「おいおい見ろよ。ちいせぇけど、肌も服も上等だ。とんだ上玉じゃねぇか!」
野盗たちは舌なめずりをしながら、下劣な視線をエルマ(バルバロッサ)へと向ける。
「う、嘘よ。ただのいたずらなの……。お、お兄さんたちかっこいいから、これ、リンゴあげたくて……あっ」
わざとらしく上擦った声を出したエルマ(バルバロッサ)の手から、町民にもらった真っ赤な林檎がこぼれ落ちる。
ポロリ、と。
それは計算し尽くされた軌道を描いて転がり――パチパチと音を立てる野盗たちの『焚き火』の中へ、ポチャリと落ちた。
「あん? 知らねぇな。わかりやすいゴマすりなんかしやがってよ。世間知らずの貴族のお嬢様もいいとこだぜぇ。いい金になりそうだ、ふへへへ」
下劣な笑みを浮かべ、三人の男たちがゆっくりと距離を詰めてくる。
対するエルマは、ガクガクと小刻みに震えながら、恐怖に耐えかねたように懐からハンカチを取り出し、口元をきつく覆い隠した。
焚き火に落ちた林檎が、ジュウゥゥ……と奇妙な音を立てて焦げ始める。
炎で炙られた林檎から、甘ったるい匂いと共に、白く濁った煙が立ち昇る。
「ひいっ、こ、こないでぇ……っ」
恐怖で倒れこみ、口元をハンカチで覆ったまま、エルマの体がビクッと跳ねる。
「へへへ、泣くなよお嬢ちゃん。優しくしてやるか――あ、あれ?」
一歩、前へ踏み出そうとした野盗の男が、突如としてダァンッ!と無様に地面へ倒れ込んだ。
「おい、どうした!? ……って、あ、足が……!? 痺れ、て……っ!」
「ガハッ、なんだこの煙……っ! 息が、できな……!」
実は町を出てからここへ来るまでの道中、バルバロッサはただ歩いていたわけではない。道端に生えている『痺れ草(先ほどの赤い草)』をむしり取り、小娘の細指を使って林檎の芯にギチギチに巻きつけていたのだ。端から見れば、ただの赤い林檎にしか見えない。
致死量スレスレの強烈な痺れ毒を含んだ煙を至近距離で吸い込んだ男たちは、剣を構えるどころか、立ち上がることすらできずに次々とその場に崩れ落ちた。白目を剥いて痙攣している者すらいる。
静まり返った夜の森。
焚き火の煙が風に流れていくのを見計らい、口元のハンカチをゆっくりと下ろしたエルマは――愛らしい少女の顔に、極悪非道な大悪党の笑みを浮かべた。
「……穴だらけの作戦だが、容姿がこれならやはり確率は高い。結果は悪くはねぇ。綺麗っちゃ綺麗だ」
手近にあった野盗たちの荷物から丈夫な麻縄を引っ張り出すと、バルバロッサは動けなくなった三人の男たちを、手際よく、そして情け容赦なく縛り上げていく。
「さて、そろそろ喋れる頃合いじゃねぇか?」
「お、お前なんなんだよ!?」
「知る権利があると思ってんのか? あぁ?」
「ゴフッ!」
鈴を転がしたような綺麗な声ではなく、恐ろしく冷徹でドスの効いた声。
同時に、縛り上げられた野盗の一人のみぞおちに、エルマの細い爪先が容赦なくめり込んだ。
そしてエルマ(バルバロッサ)は、ずいっとその顔を覗き込んだ。
「ひぃっ……!」
凄まじい殺気だった。酷く美しい容貌に浮かぶ、獰猛な笑み。暗闇の中で、その瞳はまるで飢えた肉食獣のように金色に輝いているように見えた。
この時、野盗は可憐な少女の背後に、巨大な『悪魔』の幻影を見た。
「こまけぇことはいい。勝手に喋るごとに、おてての指が一本ずつ飛んでいくぜ? そして、お前らはこれから俺の言いなりになる。逃げたら死ぬ。極上にシンプルだろ?」
そう言い捨てるが早いか、バルバロッサは奪い取った野盗のナイフを逆手に持ち、みぞおちを蹴られて悶絶している男の肩口を、躊躇いなく深く抉った。
「ギャアアアアッ!?」
「ハッハッ! 良い印が彫れたぜ!」
鮮血が噴き出すのも構わず、大悪党は残り二人の肩にも、次々と無惨な傷(印)を刻み込んでいく。
「俺特製のありがたぁーい印だ。たっぷりと『魔力』を込めた。逃げたら死ぬ。俺に危害を与えたら死ぬ。俺が不機嫌になったら死ぬ。んっんー♪ わかるか?」
「お、お前は悪魔だ……っ」
シュッ、と。
夜闇の中で銀刃が一閃する。
「ギャアアアアアアアアッ!?」
「今、指が一本別れを告げていったってな。つれないねぇ。お前にはもったいねぇ指だったのによ」
喋るなというルールを破った男の指を躊躇いもなく切り飛ばし、バルバロッサは冷酷に嗤った。
「残念ながら他称は『悪鬼』でな。存外に気に入っているんだ。……さあ、今からお前らは俺の言う通りに行動するんだ」
魔獣の住む静かな北の森に、14歳の美少女の姿をした大悪党の、楽しげな鼻歌が響き渡った。




