3.これは、愛ってなぁもんだ
『――――は?』
「ブッ、げほっ! ごほっ、けほっ!!」
唐突な国盗り宣言に、エルマは口に含んだ紅茶を盛大に吹き出し、むせ返った。
むせる喉の苦しさとパニックに陥るエルマの感情を内側から感じ取りながら、バルバロッサは冷徹に次の一手を要求する。
(おい小娘、むせてる暇はねぇぞ。とっとと俺にこのシマを見せろ。まずは領民どもの面と懐具合を確認しねぇと話にならねぇ)
『む、無理ですぅ……まだ足がぷるぷるしてるのにぃ……』
(歩け。歩けねぇなら這ってでも行け。国盗りの第一歩は視察からだ)
『うぅ……スパルタですぅ……』
脳内で情けなく泣き言を垂れる小娘の尻を叩き、バルバロッサはギシギシと悲鳴を上げる借り物の足を引きずらせて、屋敷の周辺にある町へと出向いた。
* * *
ベルン領の町は、通行税の引き上げの影響で物資こそ少なかったが――バルバロッサが想像していた活気のない貧乏村とは、空気が違っていた。
(……ハッ。存外イカれてるじゃねぇか)
バルバロッサはエルマの目を借りて、すれ違う町民たちを観察する。
軒先で巨大な骨付き肉を叩き切っている肉屋の親父。よくよく見てみれば、鉈を思わせる無骨な大剣を握っている。それを丸太のような腕で、片手で軽々と振るっていた。
笑顔で野菜を並べている八百屋の女将。一見隙だらけのようでいて、油断なく周囲を警戒している。
荷車を引く若者たちの、いつでも武器を抜けるような重心の低さ。
(……ただの農民や商人じゃねぇ。どいつもこいつも、戦を潜り抜けた戦士の匂いがプンプンしやがる。あのクソ真面目な領主……辺境の領民を兵隊として育てあげてるってか?)
予想外の光景に思わず目を細めた、その時。広場のずっと奥の方から、やたらと響き渡る野太い、そして上機嫌な笑い声が聞こえてきた。
「あの痛みに打ち勝ち、自らの足で食堂へ歩いてきたのだ! まさに不屈の精神! そして私をも警戒させたあの殺気! さすがは私の天使だろう!! いや、ここにきて戦乙女か! ハッハッハ! よしたまえ、その通りさ! うちの娘は大陸一可愛いのだ!!」
「へ、へぇ」
領民たちが苦笑いを浮かべて道をあける中、すでに姿も見えないほど先へ行ってしまった男、ガルムの声である。今朝、食堂で通行税問題に頭を抱えていたはずの領主の威厳など、そこには微塵も感じられなかった。
「お、お父様……なにを、言いふらして……うぅ、腹筋が痛くて大声が出せません……待ってぇ……」
内側からカッと顔が熱くなるのを感じる。恥ずかしさにプルプルと震える足で必死に後を追おうとするエルマだが、筋肉痛の身体では当然走ることもできない。
そんな情けない足取りを見かねたのか、肉屋の親父が人懐っこく笑いかけてきた。
「おおっ!? お嬢! 体の具合はもういいのかい!?」
「よくないですぅ……お肉屋さん……」
他の町民たちも「お嬢、無理すんなよ!」「お嬢、あとで林檎を持っていきな!」と、まるで自分の娘や孫を可愛がるような、温かい視線を向けていた。
(……なるほどな)
周囲の生温かい視線を浴びて、バルバロッサは思わず内側で深い溜息を吐き出した。
(個々の戦闘力はまぁ悪くねぇ、使える手駒だ。……だが、こいつら、この小娘に対する情が深すぎる。冷酷な盤面の削り合いになった時……この身内への甘さが、全員の致命傷になるぜ)
バルバロッサはエルマの瞳を微かに細めさせ、広場を行き交う町民たちを値踏みする。
(……ざっと見渡したところ、戦力になりそうな町民は合わせて百人といったところか。遊撃隊として敵の大軍をかき回すことくらいはできるだろうが、正面衝突なんざ自殺行為だな。となると、特産品でも売り捌いて装備を整えるか……?)
そこまで思案して、バルバロッサは自らの思考に鼻で嗤った。
(……らしくねぇ。この小娘の甘さに当てられたか。なんで俺が真っ当な領地経営なんて考えてんだ。そういや、すぐ隣にもっと美味で、まるまる太った獲物がいるじゃねぇか。街道警備費とやらをピンハネしている、バルデ子爵の豚の兵どもだ)
極上の獲物を見つけた悪鬼は、町民からお見舞いの林檎を受け取ってすっかり気を緩ませているエルマの意識へ向けて、底意地悪く語りかけた。
(おい小娘。お前ら、通行税が上がって困ってんなら、その関所ごとブッ壊して、逆に奴らの金庫をかっさらえばいいだけの話だろ?)
広場の真ん中で、町民からお見舞いの林檎を受け取ろうとしていた肉体の動きが、ピタリと止まる。
エルマが脳内に響いた物騒な提案に顔を引き攣らせたのが、内側からハッキリと伝わってきた。
『えっ!? なに言ってるんですか! そんなのただの強盗です! 犯罪ですぅ!』
エルマが脳内でパニックになり、猛抗議の声を上げる。
(強盗? 犯罪? そりゃあ、ちがうぜ小娘。愛ってやつだよ愛。うめぇもん蓄えて獲らせるような隙をみせてるってなぁ、『早く私から奪って!』てなぁもんだ)
『でも……! でも? え? なに? は?』
(いいか小娘。愛だよ愛。言ってみろ、最高だぜ?)
『む、無理ですぅっ! とにかく訳が分からな過ぎて無理です!』
(よし、決定だ。だが、いきなり関所を潰すには頭数が足りねぇ。まずは使い捨ての手駒を増やさねぇとな。なに、こんな辺境にはいくらでも転がってるはずだぜ。……さえねぇゴロツキどもがな)
『な、なにするんですか!? なにするつもりなんですか!?』
(ちょっと体を貸せ! ――ええい、主導権よこせ! 妙なとこで抵抗しやがって!)
『ダメダメダメェェェッ!』
広場のど真ん中で林檎を抱きしめたまま、エルマの肉体が恐怖と混乱でプルプルと震え、顔が引き攣っていくのがわかる。バルバロッサは、必死で抵抗してくるその不器用な反応すらも娯楽として嗤っていた。
エルマの視界越しに、すれ違う町民たちが不思議そうに、そしてどこか生温かい視線を向けてくるのが見えたが、悪鬼にとってそんなものはどうでもいいことだった。




