8.バルバロッサの足跡
「いいかお前ら! 出発はすぐだ! 一時間後にこのダダリアを発つぞ!」
団長ライドの酒場に響き渡る唐突な号令に、傭兵たちから一斉に不満の声が爆発した。
「はぁ!? 冗談キツいぜ団長! いくらなんでも唐突すぎるだろ!」
「武器の手入れも終わってねぇぞ!」
「細かいことはいいんだよ! とっとと準備しろ! 遅れた奴は置いてくからな!」
「クソッ、相変わらず横暴な親父だぜ……!」
文句を垂れながらも、金払いの良い「でっけぇ案件」とあって、傭兵たちは慌ただしく身支度を始める。
ここダダリアから、目的地である旧ゼネビアまでは、馬車と徒歩の行軍でおよそ丸二日の行程だ。
一時間後。
慌ただしく街を出立した一行は、豪華な馬車を中心に据え、その周囲を武装した数十人の傭兵たちが囲むという物々しい陣形で街道を進んでいた。
馬車のすぐ真横――最も内側の直衛には、約束通りライカとザックが配置されている。
やがて、一行の目の前に鬱蒼とした巨大な樹海が姿を現した。
『ドラグの森』。
荒々しい武を司る軍神ドラグの名を冠するその森は、強力な魔物や血に飢えた野盗が跋扈する魑魅魍魎の巣窟である。南北にどこまでも長く広がっているが、東西の幅はさほどでもない。ダダリアから真っ直ぐ東に向かい、この森を縦断して抜けた北側に、目的地である旧ゼネビアが存在する。
「気を引き締めろ! 森に入るぞ!」
ライドの号令と共に、傭兵たちの空気が一段と張り詰める。
森特有の湿った空気と、陽光を遮る高い木々。足を踏み入れて数時間もしないうちに、さっそく血の匂いを嗅ぎつけた森の住人たちが牙を剥いた。
「ギギャァァァッ!」
「右からゴブリンの群れだ! 数は十!」
「雑魚だ! 問題ない!」
茂みから飛び出してきた醜悪な魔物たちに対し、砂塵の傭兵団の荒くれ者たちが嬉々として武器を振るう。
ドラグの森とはいえ、彼らが通っているのは比較的安全とされている開拓ルートだ。砂塵の傭兵団の練度であれば、容易に対処可能な程度の魔物しか現れない。事実、ライカやザックが剣を抜くまでもなく、前衛の傭兵たちがあっという間に魔物たちを蹴散らしていく。
(……やはり、どいつも使えそうにねぇな)
バルバロッサが内心で毒づきながら歩みを進めていた、その時。
不意に、すぐ真横を歩く馬車の小窓が、カチャリと細く開いた。
覗き込んでいたのは、上等な外套のフードを被ったあの少年だった。
その瞳は、深海のように澄んだ美しい青色をしていた。温室育ちの貴族の少年が、血みどろの魔物討伐を目の当たりにすれば、普通は恐怖で顔を引き攣らせるはずだ。
しかし、その青い瞳に浮かんでいたのは、怯えではなく、信じられないものを見るような純粋な熱だった。
「ひぃッ!? 坊ちゃま! 窓を開けてはなりません!」
「あ……」
「外は血で汚れた傭兵と化け物だらけです! あのような野蛮なものを、坊ちゃまが見るんじゃありません!」
ピシャリ! と、馬車の中から侍女のヒステリックな金切り声が響き、乱暴に窓が閉められる。
『……言うだけマシね』
かつて暗躍し、微笑みながらすべてを奪ったマーサに比べれば、表立って喚き散らすこの侍女はまだ分かりやすい。
そんなエルマの冷え切った達観を内に秘めつつ、ライカは表面上は一切の表情を崩さず、淡々と馬車の横を歩き続けた。
◇ ◇ ◇
その日の夜。森の中での野営。
パチパチと爆ぜる焚き火の前で、ザックはげっそりとした顔で固い黒パンを齧っていた。
「……はぁ。あの侍女、休憩のたびに馬車の揺れが酷いだの空気が淀んでるだの、文句ばっかり言いやがって……。俺の胃がドラグの森より先に限界を迎えそうなんだが」
「死なない程度に耐えろ。報酬は悪くない」
ライカは冷たく言い放ちながら、先日手に入れた小型のボウガンを布で丁寧に磨いている。
「お前は気楽でいいよな。あのババアに直接嫌味言われても、微塵も気にしてねぇんだからよ」
「……」
ザックの言葉に、ライカは手元に視線を落としたまま無言を貫いた。
微塵も気にしていないわけがない。昼間の道中、事あるごとに口を出してくる侍女の態度は、エルマのトラウマを抉り、それをバルバロッサに揶揄われる始末。今この瞬間も、いつ馬車に毒矢を撃ち込んでやろうかと、脳内で具体的なシミュレーションを行っている最中なのだ。
「まぁいいさ。明日にはこの鬱蒼とした森も抜ける。……とっとと仕事を終わらせようぜ」
ザックの疲労に満ちた溜め息が、夜の森に虚しく溶けていった。
◇ ◇ ◇
翌日。
一行はついにドラグの森を抜け、開けた平野へと出た。
そこで足を止めた彼らの眼前に広がっていたのは、異様な光景だった。
広大な大地のど真ん中が、まるで神の鉄槌でも落ちたかのように、大きく抉り取られている。
黒く焦げた土と、風化した石垣の残骸だけが散乱する、巨大なクレーター。
「ここが……」
馬車から降り立った御貴族様が、直衛であるライカとザックを伴いながら、ふらふらとその巨大な窪地の縁へと歩み寄る。
「これが、昔、たった一人の悪鬼が都市を道連れに引き起こしたという……『バルバロッサの一撃』……!」
少年の青い瞳が、圧倒的な規模の破壊の痕跡を前に、畏敬の念に大きく見開かれる。
そしてそのすぐ真横で、元凶である大悪党をその身に宿す銀髪の女が、退屈そうに欠伸を噛み殺していたのだった。




