6.優秀な傭兵団員
血印を押されたザックが隣で絶望の叫びを上げていたが、バルバロッサの耳には微塵も届いていなかった。
悪鬼の意識は、奪い取った書簡に書かれた暗号じみた文字列に釘付けになっていたからだ。
(こいつはナイスな情報だ。……ククッ、あと三年は必要だと想定していたが、大幅に短縮できそうだぜ)
歓喜と邪悪な野心で、悪鬼は獰猛に細めた。
『悪党。これは……』
肉体の奥底から、信じられないものを見たというようにエルマの声が響いた。
「ひでぇ……血が止まんねぇ……だいたい俺はしがない底辺の一般人なんだぞ。なんで国家規模の反逆罪の片棒担がされてんだよ……」
隣では親指に汚い布を巻きつけながらザックがぶつくさとボヤき続けているが、バルバロッサはそれを無視し、脳内の令嬢へと応えた。
(この小僧の言う通りだ。ただの密書じゃねぇ、帝国軍の将軍クラスがやり取りする軍事機密だ)
『では、これをどうする気? まさか公に……』
(するわけがねぇだろうが。俺はこの情報を元に、傭兵団を動かす。帝国の連中がどこで何を仕掛けるか、事前に分かってるんだからな)
悪鬼の口角が、限界まで吊り上がる。
(この軍隊崩れのチンピラ共を完全に掌握するために必要なのは、圧倒的な実績だ。まずはこの密書に事細かく書かれている、国内の小競り合い――そいつを「先回り」して、美味しいところを根こそぎ俺たちが頂く。手始めにそこからだな)
バルバロッサは書簡を丁寧に折りたたむと、懐の奥深くへとしまい込んだ。
* * *
数日後。
むせ返るような酒の匂いと、男たちの汗、そして血の匂いが染み付いた薄暗い空間。
砂塵の傭兵団のアジトとして使われている荒くれ者たちのたまり場の扉を蹴り開け、ライカとザックが帰還した。
「……おい、帰ってきやがったぞ」
「チッ、またあのバケモノと目が合ったぜ……」
二人が足を踏み入れた瞬間、酒場の空気がスッと冷えるのが肌で感じ取れる。
嘲笑う者はいない。傭兵たちの視線に混じっているのは、底知れぬ気味の悪さと、明らかな腫物扱いの畏怖だ。
ライカはそんな視線など無視し、受付代わりのカウンターへと歩み寄ると、ドサリ、と麻袋を乱暴に放り投げた。
中から転がり出たのは、腐臭を放つ巨大なレッドオーガの生首だ。
「うおッ!? きったねぇな! いきなり生首を出す奴があるか!」
カウンターの奥で帳簿をつけていた団の管理役が、顔を顰めながら身をのけぞらせる。
「依頼完了の証明だ。とっとと確認しろ」
「わ、わかったよ! ……チッ、相変わらず血生臭ぇ女だぜ」
管理役が文句を言いながらオーガの討伐を帳簿に記録する中、ライカはさらに、革袋に入った銀貨と銅貨をじゃらりとカウンターに置いた。
「依頼主の村からの追加報酬だ。規定通り、団への上納金として一部を納める」
「……追加報酬って、これっぽっちかよ。相変わらずチマチマした稼ぎしやがって。まあいい、ご苦労だったな」
舌打ちしながら金貨を回収する管理役。
ライカは、少し離れた場所からそのやり取りを眺めているザックの顔を横目で見た。あいつの目は、完全に死んだ魚のように濁りきっていた。
(ハッ。カウンターに出された追加報酬が、あの村長の隠し蔵にあった財宝の山の『ほんの耳かき一杯分』にも満たない小銭だって知ってるのは、この場で俺とあいつだけだからな。残りの軍資金と特大の爆弾(密書)は、この懐ん中だ)
ザックが己の胃の痛みに耐えかねたように、深く、ひたすらに深い溜め息を吐き出すのが見える。
本当に、扱いやすい男だ。
「お前ら、なかなか早い仕事っぷりじゃねぇか」
その時、酒場の奥から野太い声が響いた。
立ち上がってきたのは、筋骨隆々の巨漢。『砂塵の傭兵団』を束ねる団長、ライドである。
彼はカウンターに転がる首を見て、ニヤリと笑った。
「レッドオーガかよ。超大物じゃねぇか。……よし、ザック。お前ら、このまま組ませてみようと思う」
その言葉を聞いた瞬間、ザックがヒュッと冷たく跳ね上がるように肩を震わせるのが分かった。
「おい、団長、ちょっと待て!」
ザックは血相を変え、縋り付くようにカウンターへ身を乗り出した。
帰り道の間ずっと、「このイカれた女からどうやって逃げようか」と必死に考えていたのだろう。レッドオーガを地形利用で突き落とす容赦のなさ、水場に毒を仕込む外道に加え、村人の惨殺。極めつけは帝国軍の『特級軍事機密』の保持。あいつの凡人としての生存本能が、これ以上の関わりを全力で拒絶して喚き散らす。
「俺はしがない普通の砂塵の傭兵団員だぜ!? なんで俺が、こんなどこの馬の骨とも分からねぇ――」
「砂塵の傭兵団は優秀ってことだな!」
「団長。ありがとう」
だが、ザックの必死の抗議は、ライカの言葉によって無情にも真横からすっぱりと遮られた。
ライカは淡々と礼を述べると、さっそく密書の情報を元に盤面を動かすべく口を開いた。
(御しやすい駒いただきだな)
「次なんだけど……」
「これからでっけぇ案件がある。まずはそれからだ。今回は砂塵の全員で行くぞ」
「あ? 聞いてねぇぞ、ライド!」
団長の突然の宣言に、酒場で飲んでいた団員たちから一斉に不満の声が上がる。
「うるせぇ! もう決めたんだ! 帝都のボンボンが旧ゼネビアに行きたいそうだ。その護衛だ!」
ライドの一喝が酒場を静まらせる中。
ライカは、微かに黄金の瞳を見開いた。
(ゼネビア……ね)
『?』
令嬢が不思議そうに首を傾げる気配を感じながら、悪鬼は内心で獰猛な笑みをこぼした。
交易都市ゼネビア。それは約十八年前、大盗賊団ゼノン一家の戦頭であったバルバロッサ自身が、都市もろとも道連れに自爆した因縁の地である。
(まぁいい。小娘、問題ない。目的地は同じだ。……このボンクラ団長、存外いい仕事持ってくるじゃねぇか)
己の野望と、過去の因縁が交差する。
銀髪の傭兵は、来るべき波乱の予感に、笑みを深く刻んだ。




