5.悪意の横取り
「あ……?」
背後で見守るザックが息を呑むより早く、金色の眼光が獲物を射抜くように鋭く細められた。
踏み込みの予備動作すらない。次の瞬間、男の膝の少し上――脆い関節部分へ、破壊的な蹴りが無慈悲にめり込んでいた。
ゴキリ、と骨が砕ける鈍い音が響き、男が悲鳴を上げる間もなく畳まれるように崩れ落ちる。悪鬼は蹴り足を下ろしたその反動をそのまま利用し、隣にいたもう一人の顎を下から掌底で打ち抜いた。
脳を揺らされた二人が、白目を剥いて土に沈む。悪鬼にとって、それは呼吸をするのと変わらない、ただの作業のような流れる暴力だった。だが、ザックから見ればそれは神技に近かった。
残り三人。ライカが口を開く。
「お前らはお前らの為に俺を狩る。牙を向けられたらどんなに弱者でも狩らざるを得ない。ただ、その牙は気に入らないというだけで向けたことになる。ハッハ! 俺を餌と勘違いしたか? 死か服従か。二択だ、選べ」
あまりの傲岸不遜。
残る三人の顔に、一瞬だけ恐怖と戸惑いが浮かんだ。だが、彼らが震える唇を開いて答えを出すより前に、黄金の瞳を持つ死神は動いていた。
「……遅ぇよ」
足音すら立てず、一人の懐に滑り込む。抜刀の閃き。
声を発する間もなく、太い首があっけなく宙を舞った。
「なっ――!?」
「化け物、がァッ!」
血飛沫を浴びながら、残る二人がヤケクソで斬りかかってくる。しかし、ライカはそれを最小限の動きで躱すと、すれ違いざまに二人の頸動脈を正確に掻き切った。
ドサリ、ドサリと崩れ落ちる三つの死体。
ライカは微かに笑みを浮かべると、事切れた三人の首を無造作に刎ね、髪を掴んで提げる。そして、手足の骨を砕かれて呻く生き残り二人の首根っこを掴むと、ボロ雑巾でも扱うかのようにズルズルと乱暴に引きずって村へと歩き出した。
広場の中心。血の跡を延々と引きながら戻ってきたバルバロッサは、無力化した二人と、三つの生首を放り投げる。
ゴロン、と転がった首が、村人たちの足元で止まった。
凄惨な光景に、村長をはじめとする村人たちが顔面を蒼白にして震え上がった。
「さて、これはおまえらのとこの害虫か? であれば、よかったな。あらかた掃除してやったぜ。……で? お前ら、まさかこれで『ハイご苦労さん』で済むとは思ってねぇよな?」
黄金の瞳をギラつかせ、村長を見下ろすライカの冷酷な恫喝。その声には、一切の容赦も慈悲も含まれていなかった。
普段なら「やりすぎだ」と止めに入るザックも、今回ばかりは背後で腕を組み、黙ってその光景を眺めていた。
(まあ、こいつらが企んでた胸糞わりぃ騙し討ちを考えりゃ……ここでの落とし前としては妥当だわな)
と、傭兵としての視点で納得していたからだ。
「ヒィィッ! わ、わかりました! な、なんでも差し出します! 命だけは、命だけはお助けを……ッ!」
生首と血だまりを前にして、村長はもはや立っていることすらできず、地面に額を擦りつけて泣き喚いた。
「ハッ、話が早くて助かるぜ。今までテメェらが掠め取ってきた金品、隠し蔵にたっぷりとため込んであるんだろ? 案内しろ」
「は、はいぃぃっ!」
失禁しながら這いつくばる村長に案内されたのは、村の裏手にある頑丈な造りの蔵だった。重い扉が開かれると、貧しい村には不釣り合いなほどの金貨や武器、美術品が山のように積まれていた。
一方、ガタガタと震えながら命乞いをする村長を無視し、さっそく隠し蔵を物色し始めたライカは、ガラクタの山から黒光りする小型のボウガンを拾い上げていた。
そして、実に悪辣な、何か良からぬ騙し討ちを企んでいる顔でその暗器の部品を弄り始める。
「……おいおい。オーガ相手の時は害虫退治だからって言ってたから流したけどよ。これから人間相手にもそんな毒塗った隠し武器使うつもりか?」
そのあからさまな様子に、ザックは呆れ果ててため息をついた。
「正面から戦わねぇで騙し討ちみたいな真似ばっか……お前、本当に戦士の誇りとかそういうのねぇのな」
――だが、その時だった。
カチャリ、と。
部品を弄っていたライカの手が止まり、ボウガンが木箱の上に静かに置かれた。
「……二度、言ったな?」
「……!?」
ゆっくりと振り返った彼女の瞳は、先ほどまでの獰猛な黄金色ではなく――極寒の雪山を思わせる、深く透明な『菫色』に染まっていた。
孤高の獣が放つような、冷たく重い圧力。
その瞳に見据えられた瞬間、ザックは心臓を氷の刃で貫かれたような錯覚に陥り、思わず一歩後ずさる。
「わ、わかった! 悪かったよ、俺の言い方が間違ってた……!」
「…………」
圧力に耐えきれず叫ぶと、ふい、と菫色の瞳が伏せられた。
次に顔を上げた時、その瞳は再び黄金色へと戻っている。
先ほどの底知れぬ怒りは何だったのか。ザックが冷や汗を拭う間もなく、ライカは再びガラクタの奥へと無造作に手を突っ込んだ。
埃にまみれた木箱の底にあった不自然な二重底を短剣の柄で叩き割ると、中から厳重に封をされた一通の書簡が出てきた。
上質な羊皮紙。そして、それを閉じる蜜蝋には、見慣れぬ紋章が刻印されていた。
意匠は『黒百合』。
ライカの背後から覗き込み、それを見たザックの顔から、さぁっと血の気が引いた。
「お、おい……嘘だろ。これは……!?」
「知ってるの?」
「知ってるも何も……たしか、『黒百合』は帝国軍の将軍クラスか、それに連なる大貴族の紋章だぞ! なんでこんな辺境の村の隠し蔵にこんなモンが……ッ! おい、ヤバい匂いしかしねぇ! 見なかったことにして、さっさとズラかるぞ!」
本能的な危機感を爆発させ、全力で後ずさるザック。
しかし、振り返った金色の瞳の顔には、今日一番の獰猛で邪悪な笑みが張り付いていた。
「ククッ……ハハハッ! 逃げるだと? 冗談じゃねぇ。こんな極上の手札、手放すバカがどこにいる」
「バカはお前だ! そして情緒不安定だな! 口調もバラバラだ! 寝不足じゃねぇか!? ともかく、帝国軍の陰謀なんかに首を突っ込んだら、俺たちの命がいくつあっても足り――痛ぁッ!?」
ザックの言は、鋭い痛みに遮られた。
バルバロッサが電光石火の速さでザックの腕を掴み、その親指の腹を短剣の切先で浅く裂いたのだ。
「な、なにすんだこの野郎!」
「野郎ではなく、一応レディだ。覚えておけ。いいからちょっと貸せ」
「あ、おい、待て、まさか……やめろぉぉッ!」
ザックの悲鳴をBGMに、ライカは鮮血の滲むザックの親指を、書簡の裏側、紋章のすぐ横の余白へと容赦なく押し付けた。
べっとりと、見事な血印(拇印)が羊皮紙に刻まれる。
「……よし。これでこの特大の爆弾を拾ったのは、俺とお前だ。おめでとう、優秀な傭兵だお前は。これで俺たちは一蓮托生の共犯者ってわけだ」
血のついた指を離し、悪びれもせずヒラヒラと書簡を振ってみせるバケモノを前に、ザックは己の胃壁が崩壊する音を聞いた。
「キタねぇ! きたねぇぞライカ・ローサァァァッ!!」
絶望に満ちたザックの絶叫が、血と泥に塗れた村の空に虚しく響き渡った。




