4.ナイスだぜ。
返り血を浴びて歓喜する悪鬼の瞳に、レッドオーガの姿が映った。
岩のように隆起した筋肉と、赤銅色の皮膚。毒を盛られたはずの最奥で、そいつは胡座をかいたまま、こちらを鋭く睨みつけていた。
(クク……なるほど、上位種か。そんじょそこらの毒じゃ、あの巨体は沈まねぇってわけだ)
内側の悪鬼が、嬉しそうに口角を歪める。
ライカは剣を構え直し、一気に踏み込む。その気配に反応したのか、レッドオーガがゆっくりと立ち上がる。
一方、息を切らして追いついてきたザックの顔から、一気に血の気が引いていくのが視界の端に映った。
「お、おいライカ! そいつ、毒が効いてねぇじゃねぇか! 冗談じゃねぇ、こんなバケモノ相手に勝てるわけねぇだろ……ッ!」
ガタガタと震え、後ずさるザック。だが、ライカは動じない。
次の瞬間、レッドオーガが爆発的な踏み込みで、ライカへ向かってその巨大な拳を振り下ろしてきた。
洞窟の壁が砕け散るような轟音。ライカは紙一重でそれを回避するが、衝撃波だけで、鍛えているとはいえ女の華奢な肉体がきしむ。
『ッッ、強い!』
「ハッハー! 中々やるじゃねぇか!」
内側で本来の持ち主が悲鳴を上げる中、金色の瞳のライカは衝撃波など構う様子もなく、敵の動きを観察するように躱しながら狂喜の高笑いを上げた。
「おーい! こっちだ、赤カビ野郎!! お前の母ちゃん、ゴブリンじゃねぇか!?」
洞窟に響き渡ったのは、ザックのヤケクソな挑発だった。岩陰で震えていた彼が、引き攣った顔で声を張り上げている。
レッドオーガの冷徹な双眸が、鬱陶しい羽虫へと向けられた。
「ハッ、上出来だザック!」
その一瞬の隙。ライカは音もなく地面を滑るように肉薄した。
レッドオーガが気づいた時には、すでに遅い。ライカの剣が閃き、巨大な右足の踵を正確に切りつけた。
「グウッ!!」
呻き声と共に、巨体が若干よろける。
「ザァーック、ナイスだぜ。こういうのは機動力から弱めていくぅ」
「お、おう。ありがとうよ……」
囮になって引き攣っている相棒に対し、ライカは鼻歌交じりに嗤いかける。
機動力を削られたレッドオーガに対し、ライカは追撃の手を緩めない。さらに左足の膝裏を切りつける。
「さあ、追いかけっこの時間だぜ」
よろけながらも怒り狂うレッドオーガを嘲笑うように、ライカは踵を返して駆け出す。向かう先は、洞窟の入り口の外――先ほど二人が上から覗き込んでいた、さらに深く切り立った谷底へと続く断崖絶壁だ。
レッドオーガは耳をつんざくような咆哮を上げ、血を流す足を引きずりながらも、執拗に背後へ迫ってくる。
(――ここらだな)
洞窟を抜け、吹き抜ける風が舞う断崖の縁で、ライカが急停止した。
追いついた巨体が、両拳を高く振り下ろしてくる。だが、ライカはその股下を滑るように潜り抜け、背後へ回るや否や、渾身の力で体当たりを食らわせた。
後ろから押されたレッドオーガは、空を打った自らの拳の勢いも相まって、断崖からそのまま深い谷底へ向かって、滑稽なほど無様に落下していった。
ズズンッ……!!
遥か下の谷底から、ひときわ大きな地響きが轟き、そして静寂が訪れた。
「きたねぇ……」
「……ま、城攻めの基本は水源を断つこと。そしてボスの首を取るなら、地形を利用することだな」
顔を引き攣らせて吐き捨てるザックを一瞥し、ライカはレッドオーガの首を回収するため、身軽な動作で崖下へと下りていった。
* * *
「……依頼は完了した。これが討伐の証明だ」
マルチダ村に戻ったライカは、村長の足元へ無造作にそれを放り投げた。
ずしりと重い音を立てて転がったのは、血に塗れた赤銅色の巨大なツノだ。そしてオーガの生首を掲げる。
「ヒッ……! こ、これはまさか……」
「レッドオーガだ。ボスごと群れは潰してきた」
「レ、レッドオーガ!? 馬鹿な、なぜあんな上位種がこの辺りに……ッ!」
喜ぶどころか、村長は顔面を蒼白にして後ずさった。
ザックは誇らしげに鼻を鳴らす。村長は震える手で、そそくさと約束の報酬である金貨を差し出した。
「た、確かに受け取りました。ご苦労様でした、傭兵殿……」
逃げるように家の中へ引っ込んでいく村長を背に、二人は村の広場を歩き出す。
ふと、ライカの足が止まった。
視線の先には、みすぼらしい服を着た小さな女の子が二人、泥だらけになりながら無邪気に追いかけっこをして遊んでいる。
『…………』
その光景に、内側のエルマは釘付けになった。
ベルン領での悲劇が起きる前、当たり前にあった、穏やかで温かい日常の欠片。もう二度と自分の手には戻らない、普通の少女たちの笑い声。
「どうしたんだよ? 腹でも減ったか?」
立ち止まった相棒を不思議に思い、ザックが声をかける。
「……いや。なんでもない」
ライカが伏し目がちにそう呟いた、その時だった。
(小娘。……すぐ戻るぞ)
『え……?』
内側の悪鬼が、突然鋭い警告を発した。ライカは気を引き締める。この警告は流して良いものではないと嫌というほど経験してきた。
ライカは踵を返し、村の出口へ向かって足早に歩を進め始めた。
「おいおい、そんな急がなくてもいいだろ? せっかく大仕事終えたんだ、少しゆっくりしていこうぜ」
「黙ってついてこい。走れ」
ザックのボヤキを無視し、ライカは村を出るなり、背後の森の茂みへとザックの首根っこを掴んで飛び込んだ。
「い、痛ぇな! なんで隠れるんだよ!」
「静かにしろ。……来るぞ」
ライカは目元に力をこめて村の出口を睨みつける。
数分後。ザックが息を呑む気配が、隣から伝わってきた。
先ほどまで怯えた顔をしていた村の男たちが十数人、その手に粗末な槍や鎌を握りしめ、血走った目で森へと駆け込んできたのだ。
「クソッ、あの傭兵どもどこに行きやがった! レッドオーガまで殺しやがって……!」
「俺らには金のなる木だったのにな!」
茂みに隠れ、息を殺すライカたちの耳に、怒声が次々と飛び込んでくる。
「どうせ罠でも張ったんだろ! 運のいいやつらだが、今頃ボロボロに疲弊してるに決まってる!」
「まさか本当に討伐するとは思わなかったが、手間が省けたってもんだ。探せ! あの金貨を取り戻して、身ぐるみ剥いで奴隷にでも売り飛ばさねぇと、今年の冬は越せねぇんだよ!」
『……なるほど。初めから討伐など期待せず、帰り道を襲って身ぐるみを剥ぐ算段だったというわけか』
ザックが顔面から血の気を引かせ、口を半開きにして呆然としている。
その隣でライカは冷めきった、無機質な瞳でその様子を眺めていた。
(小娘。あいつらは貧乏だからあんな真似をしてるらしいぜ。お前も一時期は這いつくりながらも命を繋いでいた身だ。同情でもしてやるか?)
『……』
バルバロッサの脳内での意地の悪い問いかけに、エルマは答えなかった。
貧しさの辛さ、理不尽にすべてを奪われる絶望は知っている。だが、だからといって他者の命を騙し討ちで奪う泥棒に、情けをかけるほどお人好しではない。エルマの沈黙は、『好きにしろ』という意思表示だった。
(俺としては、だ。挑戦者にはその気概を持って受けたつのがポリシーだ。ただ、挑戦料は命だがな)
内側の悪鬼が、獰猛に口角を歪める。
「お、おいライカ……!? どこ行くんだよ!」
「……ちょっと、ゴミ掃除の続きだ」
ザックの制止を振り切り、ライカは音もなく茂みから立ち上がった。
――その瞬間。
暗がりの森の中に、爛々と輝く『黄金色の双眸』が、ふわりと浮かび上がった。
背後の茂みで、ザックが腰を抜かして短い悲鳴を漏らす。
だが、美女の皮を被ったその化け物は振り返ることすらしない。獲物を探して血走った目をしている村人たちの背後へと、足音を立てずに歩み寄り――告げた。
「おい。そんなに探してるなら、手伝ってやろうか?」
ぞくりと。
村人たちの背後に、地を這うような死神の声が響き渡った。




