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大悪令嬢──蟲這う大陸で戦士達は詠う──  作者: 三四郎
第二章 狼と薔薇の輪舞曲(ロンド)
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4.ナイスだぜ。

 返り血を浴びて歓喜するバケモノ、ライカの瞳に、そのレッドオーガの姿が映った。

 岩のように隆起した筋肉と、赤銅色の皮膚。毒を盛られたはずの最奥で、そいつは胡座をかいたまま、冷徹な双眸でこちらを睨みつけていた。


「クク……なるほど、上位種か。そんじょそこらの毒など、その巨体と生命力で無効化するってわけだ」


 内側の悪鬼が、嬉しそうに口角を歪める。

 毒が通用しない、戦闘相手。ライカは剣を構え直し、獰猛な覇気を放った。その覇気に反応したのか、レッドオーガがゆっくりと立ち上がる。

 一方、ライカにおいついたザックは、毒に侵されていないボスの姿を見るや否や、血の気が引くのを感じた。


「お、おいライカ! そいつ、毒が効いてねぇじゃねぇか! 冗談じゃねぇ、こんなバケモノ相手に勝てるわけねぇだろ……ッ!」


 ガタガタと震え、後ずさるザック。だが、ライカは動じない。

 次の瞬間、レッドオーガが爆発的な踏み込みで、ライカへ向かってその巨大な拳を振り下ろした。

 洞窟が砕け散るような轟音。ライカは紙一重でそれを回避するが、衝撃波だけで、鍛えているとはいえ女の華奢な肉体がきしむ。


『ッッ、強い!』

「ハッハー! 中々やるじゃねぇか!」


 内側で本来の持ち主が悲鳴を上げる中、金色の瞳は衝撃波など構う様子もなく、敵の動きを観察するように躱しながら狂喜の高笑いを上げた。


(――クソッ、おれが……おれがやるしかねぇんだろ!!)


 その時、岩陰で震えていたザックが、己の恐怖を、そして人生計画を振り切って叫んだ。


「おーい! こっちだ、この赤カビ野郎!! お前の母ちゃん、ゴブリンじゃねぇか!?」


 洞窟に響き渡る、凡人のヤケクソな挑発。

 レッドオーガの冷徹な双眸が、鬱陶しい羽虫ザックへと向けられた。


「ハッ、上出来だザック!」


 その一瞬の隙。金色の瞳をした銀狼が、音もなく地面を滑るように肉薄した。

 レッドオーガが気づいた時には、すでに遅い。ライカの剣が閃き、ボスの巨大な右足の踵を正確に切りつけた。


「グウッ!!」


 呻き声と共に、巨体が若干よろける。


「ザァーック、ナイスだぜ。こういうのは機動力から弱めていくぅ」

「お、おう。ありがとうよ……」


 必死の覚悟で囮になったというのに、当の相棒は死闘の最中だというのに完全に鼻歌交じりのゲーム感覚である。その常軌を逸した狂人っぷりに、ザックは恐怖を通り越して若干引いていた。


 機動力を多少奪われたボスに対し、ライカは追撃の手を緩めない。さらに左足の膝裏を切りつける。


「さあ、追いかけっこの時間だぜ」


 よろけながらも、怒りに燃えるボスを嘲笑うように、ライカは踵を返して駆け出す。向かう先は、洞窟の入り口の外――先ほど二人が上から覗き込んでいた、さらに深く切り立った谷底へと続く断崖絶壁だ。

 怒り狂ったレッドオーガは、自分を舐めた女を犯し、そして惨殺すべく、足を引きずりながらも洞窟の外へと必死に追いかける。


(――ここらだな)


 洞窟を抜け、吹き抜ける風が舞う断崖の縁で、ライカが急停止した。

 ついに追いついたとばかりに、全身の怒りを込めて両拳を振り下ろすレッドオーガ。だが、ライカはその巨体の股下を滑るように潜り抜け、背後へ回るや否や、渾身の力で体当たりを食らわせた。


 後ろから押されたレッドオーガは、空を打った自らの拳の勢いも相まって、断崖からそのまま深い谷底へ向かって、滑稽なほど無様に、そして静かに落下していった。


 ズズンッ……!!


 遥か下の谷底から、ひときわ大きな地響きが轟き、そして――静寂が訪れた。


「き、汚ねぇ……」

「……ま、城攻めの基本は水源を断つこと。そしてボスの首を取るなら、地形を利用することだな」


 崖上からドン引きの表情で吐き捨てるザックをよそに、ライカはレッドオーガの首を回収するため、身軽な動作で崖下へと下りていきながら、呆然と立ち尽くすザックへ向かって振り返るのだった。


 ***


「……依頼は完了した。これが討伐の証明だ」

 マルチダ村に戻ったライカは、村長の足元へ無造作に『それ』を放り投げた。

 ずしりと重い音を立てて転がったのは、血に塗れた赤銅色の巨大なツノだ。そしてオーガの生首を掲げる。


「ヒッ……! こ、これはまさか……」

「レッドオーガだ。ボスごと群れは潰してきた」

「レ、レッドオーガ!? 馬鹿な、なぜあんな上位種がこの辺りに……ッ!」


 喜ぶどころか、まるで予定外の事態に直面したように顔面を蒼白にさせる村長。

 ザックはその反応を「バケモノの恐ろしさに引いているだけ」だと思い込み、「ライカ、ヤバいだろ?」と誇らしげに鼻を鳴らした。村長は震える手で、そそくさと約束の報酬である金貨を差し出した。


「た、確かに受け取りました。ご苦労様でした、傭兵殿……」


 逃げるように家の中へ引っ込んでいく村長を背に、二人は村の広場を歩き出す。

 ふと、ライカの足が止まった。

 視線の先には、みすぼらしい服を着た小さな女の子が二人、泥だらけになりながら無邪気に追いかけっこをして遊んでいる。


『…………』


 その光景に、内側のエルマは釘付けになった。

 ベルン領での悲劇が起きる前、当たり前にあった、穏やかで温かい日常の欠片。もう二度と自分の手には戻らない、普通の少女たちの笑い声。


「どうしたんだよ? 腹でも減ったか?」


 立ち止まった相棒を不思議に思い、ザックが声をかける。


「……いや。なんでもない」


 ライカが伏し目がちにそう呟いた、その時だった。


(小娘。……すぐ戻るぞ)

『え……?』


 内側の悪鬼が、突然鋭い警告を発した。ライカの表情から一瞬でエルマの気配が消え去り、戦場で生き抜いてきた戦士の冷徹な顔へと切り替わる。

 ライカは踵を返し、村の出口へ向かって足早に歩を進め始めた。


「おいおい、そんな急がなくてもいいだろ? せっかく大仕事終えたんだ、少しゆっくりしていこうぜ」

「黙ってついてこい。走れ」


 ザックのボヤキを無視し、ライカは村を出るなり、背後の森の茂みへとザックの首根っこを掴んで飛び込んだ。


「い、痛ぇな! なんで隠れるんだよ!」

「静かにしろ。……来るぞ」


 ライカが鋭い視線で村の出口を睨みつける。

 数分後。ザックの目に、信じられない光景が飛び込んできた。

 先ほどまで「怯える貧弱な農民」の顔をしていた村の男たちが十数人、その手に粗末な槍や鎌を握りしめ、血走った目で森へと駆け込んできたのだ。


「クソッ、あの傭兵どもどこに行きやがった! レッドオーガまで殺しやがって……!」

「俺らには金のなる木だったのにな!」


 茂みに隠れ、息を殺すザックの耳に、怒声が次々と飛び込んでくる。


「どうせ罠でも張ったんだろ! 運のいいやつらだが、今頃ボロボロに疲弊してるに決まってる!」

「まさか本当に討伐するとは思わなかったが、手間が省けたってもんだ。探せ! あの金貨を取り戻して、身ぐるみ剥いで奴隷にでも売り飛ばさねぇと、今年の冬は越せねぇんだよ!」


 彼らはプロの盗賊などではない。貧困に追い詰められた結果、魔物討伐にやってきた傭兵を油断させ、疲弊した帰り道を大人数で襲うという「ハイエナのような騙し討ち」に手を染めた、哀れで愚かな農民たちだった。

 その胸糞悪い事実と、自分たちの命が初めから金づるとして狙われていたことに気づき、ザックは血の気が引くのを感じた。


(……マジかよ。人間の性根ってのはここまで腐るのか)


 恐怖よりも先に、あまりの浅ましさにザックが呆然としている隣で。

 ライカは冷めきった、無機質な瞳でその様子を眺めていた。


(小娘。あいつらは貧乏だからあんな真似をしてるらしいぜ。お前も一時期は這いつくりながらも命を繋いでいた身だ。同情でもしてやるか?)

『……』


 バルバロッサの脳内での意地悪い問いかけに、エルマは答えなかった。

 貧しさの辛さ、理不尽にすべてを奪われる絶望は知っている。だが、だからといって他者の命を騙し討ちで奪う泥棒に、情けをかけるほどお人好しではない。彼女の沈黙は、『好きにしろ』という明確な意思表示だった。


(俺としては、だ。挑戦者にはその気概を持って受けたつのがポリシーだ。ただ、挑戦料は命だがな)


 内側の悪鬼が、獰猛に口角を歪める。

 バルバロッサにとって彼らは、小汚く、ひどく鬱陶しい羽虫の類でしかないのだ。


「お、おいライカ……!? どこ行くんだよ!」

「……ちょっと、ゴミ掃除の続きだ」


 ザックの制止を振り切り、いつの間にか金色の瞳を輝かせたライカは音もなく茂みから立ち上がった。

 そして、獲物を探して血走った目をしている十数人の村人たちの背後へ、一切の足音を立てずに歩み寄り――。


「――おい。そんなに探してるなら、手伝ってやろうか?」


 ぞくりと。

 村人たちの背後に、絶世の美女の顔をした死神の低い声が響き渡った。


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