3.害虫駆除
「着いた……。控えめに言って生きた心地がしなかったぜ……」
すっかり日の昇った朝。
連日の強行軍に神経をすり減らしたザックが、肩で息をしながらボヤいた。
目の前には、粗末な木の柵で囲われた小さな集落――目的地のマルチダ村があった。活気などはなく、痩せこけた村人たちが遠巻きにこちらを不安げな目で見つめている。
「おお、砂塵の傭兵団の方とお見受けしました!」
みすぼらしい村人たちの中から、一人だけ少しマシな服を着た初老の男が小走りで近づいてきた。村長だろう。
「よくぞ来てくださいました。最近、村の者が次々と東の森に――」
「……」
村長が涙ながらに被害状況を語り始めたが、ライカは最後まで聞く必要はないと判断した。
興味を削がれたようにさっさと踵を返すと、村長が指差した東の森へと歩みを進める。それは道中抜けてきた森だった。
「おい、待てって! 人の話は最後まで聞けって、親に習わなかったのか!?」
背後でザックが慌てて肩を掴んで引き留めてきた。
「……親は、いない」
ライカが静かに振り返ってそうこぼすと、ザックはハッと息を呑んだ。
「あ……す、すまねぇ……。いや、今はそれ関係ねぇ! とりあえず依頼主の話を聞けって!」
思わぬ地雷を踏み抜いたと勘違いしたのか、ザックが慌てふためく。だが、ライカにそんな些末な感傷に浸るつもりはない。
「必要ない。場所さえわかれば問題ない」
「ったくよォ……。お前、そんなんじゃ、そのうち真っ先に命落とすんじゃねぇか……?」
周囲の警戒もせず、敵の規模すら聞かずに単身で森へ向かおうとするライカの背中に向けて、ザックが深いため息をつくのが聞こえた。
(ちげぇねぇな!)
そのボヤキに、内側の悪鬼――十八年前に一度自爆して命を落としている悪鬼は、笑いのツボに入ったのか鼻で嗤い、ライカは東の森へと足を踏み入れた。
* * *
「おいおい、ライカ。これはヤベェ数だぞ……」
「……」
(おうおう、ずいぶんと景気よく繁殖してんな)
村長の指差した方角に残っていた巨大な足跡を辿っていくと、切り立った崖の下に巨大な洞窟が口を開けていた。
茂みの陰から覗き込んだザックが、顔面を蒼白にして震え上がる。
洞窟の周辺には、人間の倍はあろうかという筋骨隆々の巨体――食人鬼たちが、大小合わせて数十匹もひしめき合っていた。血肉の残骸が散らばるその光景は、まさに地獄だ。
「冗談じゃねえぞ……あんなバケモノの群れ、俺たち二人でどうにかなるレベルじゃねえ! まともにやり合ったら、帝国の正規軍が百人は必要だろうが……ッ!」
パニックになりかけ、這いつくばったまま後ずさろうとするザックを一瞥し、ライカは剣を抜くこともなく再び無言で歩き出した。それも、洞窟から少し逸れた森の奥の方角へ向かって。
「お、おい! だから人の話を聞けって! 逃げるなら村の方角はあっちだぞ!」
必死に声を殺しながら追ってくるザックを連れ、やがてライカは岩肌から澄んだ水が湧き出す小さな泉を見つけた。
泉にたどり着くや否や、昨晩の野営で作った小瓶を取り出し、甘く刺激的な異臭を放つドス黒い粘液を清流へとドボドボと流し込む。
「おい、まさか……お前、それ、毒じゃ……!?」
顔を引きつらせて問うザックへ、ライカは空になった小瓶を捨てて淡々と事実だけを口にした。
「奴らの住処周辺の足跡の深さ、土の踏み固められ方、それに獣道の動線……見ればわかるだろう。あの群れは、必ずこの泉から日常的に水を引いている」
「お前、毒って……戦士の誇りはないのか?」
「ハッ、戦士の誇りだと? そんなもんは同格相手にしか使わねぇよ。害虫駆除は戦じゃねぇ」
非情な駆除作業の宣告。ザックは血の気が引いたのか、それ以上言葉を続けることができなかった。
(基本だな)
恐怖に顔を歪める凡人を他所に、内側で悪鬼が満足げに嗤う。
「……来るぞ。息を潜めろ」
ライカの冷たい声に従い、ザックは泉を見下ろす風下の茂みに身を隠した。
やがて、心臓を早鐘のように打たせているザックをよそに、巨大な水桶を担いだ数匹のオーガが、地響きを立てながら水汲みに現れた。
「――やっぱり来るんじゃなかった! こんなのが一匹でもこっちに気づいてみろ、俺なんか即座にミンチだぜ……ッ。一山当ててリッチになってよォ、綺麗で優しい嫁さん捕まえる俺のナイスな人生計画が……むぐっ!?」
茂みの中でガタガタと震えながら、ザックが己の不運を呪ってブツブツと早口でボヤき始めたため、ライカは無言でその口を手でふさいだ。
「……行ったな」
やがて、巨体たちが地響きと共に遠ざかると、ライカは静かに立ち上がった。
オーガという種は、力や生命力に関しては人間の比ではないが、悲しいほどに知性が足りない。彼らは水桶から漂う微かで不自然な甘い香りなど気に留めることなく、せっせと群れの待つ洞窟へと毒水を運び去っていったのだ。
* * *
再び、件の洞窟を遠巻きに観察する。
「おい、もう帰ろうぜ。最低でもまずはみんなに報告しねぇとよ……」
「そろそろだ」
「おう?」
ズズンッ……!
ザックのボヤキを遮るように、洞窟の奥から野獣の断末魔のような叫び声と、巨体が悶え苦しみながら地響きを立てて倒れる音が連鎖し始めた。
それを見届け、ライカは喉の奥で獰猛に嗤うと即座に駆けだした。
「おい! 待てってば!」
背後でザックが必死に追いかけてくる気配がする。ここで相棒を一人で放っておくほど、彼は薄情な男ではないらしい。
「イーーーーヤッハァアアアアアア!!」
血生臭い洞窟の中に、ライカの口から狂気じみた高笑いが響き渡る。
毒に侵されて全身を麻痺させ、口からブクブクと泡を吹いて痙攣する数十匹のオーガたちの間を舞うように駆け抜け、ライカはその太い首を次々と無慈悲に刎ね飛ばしていく。
「……できれば、人生で見たくねぇ光景の一つになるかもしれねぇ」
遅れて洞窟に飛び込んできたザックが、惨状を見つめながら虚ろな目でそうこぼすのが聞こえた。
『おい、悪党! 私にも淑女としての嗜みというものが……。 一応、女は捨ててはいないのだぞ』
(やかましい。どうせ見てるのは、あのボサッとした兄ちゃんくらいしかいねぇよ)
「クアーハッハッハッ!!」
脳内で抗議する本来の肉体の持ち主をゲラゲラと笑い飛ばし、ライカはなおも血飛沫を上げながら洞窟の奥へと進んでいく。
その道中には、無惨に引き裂かれた衣服や、人間と思われる四肢の欠片が散乱していた。村長の言葉通り、この群れが村人を攫い、捕食していた何よりの証拠だ。
そして、濃密な血の匂いが立ち込める洞窟の最奥。
毒を盛られたはずの空間に、ただ一匹だけ、微動だにせず胡座をかく異様な巨体があった。
「……ほう」
歓喜に打ち震えていたライカの身体に、初めて戦士としての獰猛な闘志が宿る。
岩のように隆起した筋肉と、血を被ったような赤銅色の皮膚。他の個体よりふたまわりはデカい、群れの長――『レッドオーガ』である。




